新かつらぎ町発足、記念式典開催 2005年10月1日(土)

かつらぎ町議会

午前9時30分から「かつらぎ町・花園村合併記念式典」が開催され、主催者の一人として出席した。花園村の議員、かつらぎ町の議員、合併協の委員、町の4役等が主催者で、招待客と来賓の方々がかつらぎ総合文化会館に集まって式典がおこなわれた。
オープニングは、井寄忠明・山本凉子の両氏による力強い太鼓演奏で幕が開いた。
開会の辞を山本惠章町長が述べ、議長と自治区長会長のあいさつの後、来賓の方々のあいさつがおこなわれた。
華やかな合併式典だったが、思いには複雑なものがある。
花園と妙寺の中学の女生徒2人が「私たちの希い(ねがい)」と題する作文を読み上げた。
合併が形成された過程は、自然発生的なものではないから、今日から花園村がかつらぎ町に編入されたと言っても実感がわかない。これは全ての人に共通する思いだろう。女生徒も「違和感がある」と言ったが、それはみんなの胸の中にある言葉だと思った。
花園村の女生徒は、21人の花園中学校だけだったが、今日からは笠田中学校と妙寺中学校も同じ街の中学校になった。交流が楽しみという話をしていた。
笠田地域と妙寺地域の女性コーラスが「かつらぎ町民歌」を披露してくださった。この歌は、「この古里を愛したい」
これを歌の中で繰り返す。伸びやかに柔らかく胸に響いてくる歌だ。
しかし、この歌には、花園のことはまったく歌われていない。
合併協議の時に、町民歌や町民憲章は、かつらぎ町の例によるという協議をおこなったが、この決め方には違和感をおぼえた。町民歌と町民憲章には、かつらぎ町の自然が歌い込まれている。当然ながら、できた当時は、かつらぎ町だけのものだったので、花園のことは視野に入っていない。
新しい歌と新しい憲章が必要になるのになあ。
こう感じたのは、ぼくだけだろうか。
四郷の千両太鼓の演奏もおこなわれた。10人を超えると思われる集団による太鼓演奏は、胸に迫ってくる迫力のあるものだった。音がよくそろっている。女性も数人チームの中に混じっていて、女性の威勢の良いかけ声が心地よいアクセントになって耳に届いた。
閉会のあいさつは、新収入役で元村長の北浦亮三氏がおこなった。収入役というアナウンスがあったので、この事実を初めて知った参加者の方もいただろう。
週明けから、自治体運営の実際がはじまる。
実際の新生かつらぎ町は、不協和音にまず苦しむだろう。
千両太鼓のように音はそろわない。
音がそろい出すには、どれだけの歳月が必要なのだろうか。
午後1時から治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の県本部で会議があった。
Blogをよく読んでおり、県本部や地域版の「不屈ーBlog」(ページにリンクを張っています)を作っているIさんにもお会いした。
読んでいただいている方に直接会うのは楽しい。
個人署名や団体署名をどのようにしてとるのか議論した。ぼくは、憲法改悪や国民保護法制、共同で謀議を企てたら罪に問われる法律などの話をして、「再び暗黒政治を許すな」という点でも国賠同盟の果たす役割は大きい、憲法9条を守れという戦いと合流していくことが大事だと発言させてもらった。
参加者の方々も、この問題に対して敏感に感じていて意見が交わされた。
署名の目標も引き上げる方向で検討をという本部の訴えを受けとめてがんばろう。
そう思った。


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かつらぎ町議会

Posted by 東芝 弘明