情報のデジタル化が時代を飛躍させた?
子どもの頃のことを思い出すと、記憶の中にあるものは、遠い昔の古い時代の中に置かれているように感じる。電話をかけると交換手が出て「東のかっちゃんとこ、お願いします」と言えば電話がつながった。交換手をしている家は、新城小学校の校庭の南に面した家だった。
白黒のテレビは、いつも映りが悪く雨が降ると砂嵐状態になって音声も画像も見えなくなった。こんな状態のテレビを近所の子どもたちが見にきていた。「テレビ線直しの弟子っこ」と名付けられて、この電話交換手の家のおっちゃんについて行って、山の中を分け入って頂上まで行くと、テレビのアンテナがあった。アンテナは家庭の屋根の上につけるもの、そこから引かれているテレビの線は、平たい線で両端に1本ずつ銅線が入っているものだった。
このテレビ線は家庭用の引き込み線のものだったが、これを延々と山頂まで引っ張ってアンテナが設置されていた。我が家までどれだけの距離があったのだろうか。いったい、何軒の家がこのテレビ線の恩恵を受けていたのだろうか。
こんな仕組みのアンテナだったので、どうしても映りが悪いし、暴風雨になると、あちこちで線がちぎれたりするという塩梅だった。
こういう昔風の生活に劇的な変化が生まれたのは、CDの登場だったのだと、今から考えると思い当たる。デジタル化は、レコードに取って代わるCDから始まった。ビデオのベータとVHSの戦いは劇的な変化を生み出すものではなかった。レコードとカセットテープ、ビデオテープは、延長線上の技術だったのだと思われる。情報をデジタル化して、ゼロと1の信号、オンとオフの信号に切り替えるところから、世の中の変化に拍車がかかった。
パソコンによるインターネットが始まり、画像の表示が瞬時に行われるようになって行く中、携帯電話を誰もが持つようになり、この電話機とパソコンとの合体が図られたことによって、世の中は極端に変化した。アップルのスティーブ・ジョブズがいなかったら、もう少し便利な世界への扉を開くのは遅れただろうなとも思う。しかし、世界の現実の中にジョブズがいて、ウォークマンに敬意を払いながら、iPodを世に出し、その延長線上にiPhoneを作って、今度はこの端末を電話にすると宣言して、全世界は激変した。
情報は共有され、通信環境が劇的に変化する中で、個人の暮らしもビジネスも人間の活動の全分野も極めて大きく変化した。音楽を信号に書き換えて、CDを作った技術は、映像を信号に置き換えDVD化するのにそんなに時間は掛からなかった。VHSがベータに勝ったのも束の間、レンタルがDVDに置き換わり、Blu-rayが席巻するかと思っていたが、映像のケーブル配信がレンタル屋さんを駆逐するのに、そんなに時間は掛からなかった。
今や新幹線の移動の中で、スマートフォンで映画を見るのは当たり前のことになってしまった。楽曲は一曲いくらで売る時代が始まり、さらに1ヶ月いくらという形で配信されるようにと変化した。コロナ禍の中、会議に人を集める方法に変化が起こり始めている。
テレビ電話が当たり前の時代になっているが、こっちの方は、外向けに身支度ができていない家庭の中に土足で入り込むようになるので、そんなに普及できていない。動き回り、歩き回りながら、もしくは他のことをしながら携帯電話に出て、次の行動に移るという形の方が、はるかにいいということを多くの人が体験的に知っているので、テレビ電話が当たり前になっているのに、実際はそうなっていないということだろう。
こういう現代から、ぼくの小学校時代を思い出すと、まるで現代がSFに描かれた近未来のように感じる。
アナログな時代の生活が懐かしくもある。そういう時代の人々の生活を文章の中に再現して、生き生きと描くのは魅力的だろう。便利な世の中が、子ども時代を遠い昔のものにしているが、この落差を楽しみたいと思う自分もいる。
白黒のテレビが、一般の家庭の中に普及し、それがカラーテレビに置き換わったのはいつだったのか。ぼくの中学時代だろうか。それよりももう少し早いのだろうか。テレビの上は物置のようになって、いろいろな小物が飾られていた。見ない時はブラウン管の前にベールのようなものをかけていたこともあった。あれは映画館の幕のようなものだったのだろうか。
1960年代から70年代にかけて日本の社会は高度経済成長の中で劇的に変化したが、この次の変化は、デジタル革命だったのかも知れない。CDが開発されたときに、このような未来が到来することをイメージしていた人はどれだけいただろうか。
資本主義の技術は、それだけでは人間を幸福にはしない。利潤第一主義を抑えて社会をつくらないと、技術革新は、人間の管理・統制に利用される。日本はデジタル化によって、より一層不幸になる道に向かって暴走している。
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俺は、最近のデジタル化の進歩は、老人とか、身体障碍者を置いてきぼりにして、五体満足な人々のために進歩しているのではないかと思います。例えば、音響で言えば、カタツンボの人はいくら迫力のあるサラウンド音響のステレオで聴かせるといっても意味がない訳です。
老人なんか、PCのキーボードや、音声入力と言ったってなんの事だか分からんでしょう。
なんか、作り手の人達は健常者の事だけを考えて作っているのかと言いたい。老人や身体障碍者は少数者だから利益にならないのだからいいと思っているのか。
勿論、反対意見もあるでしょう。そういう人達の為に便利な物も作っていると。
然し、絶対多数の人々の為にデジタル化が進んでいるとしか俺には見えないのであります。
それにしても、東芝さんの記事はなんか、懐かしいなあ。東芝さんも俺も蒸気機関車に乗った事のある最後の世代だと思います。俺が子供の頃、市電はまだ木造でしたからね。かぐや姫の「赤ちょうちん」の歌詞の中に出て来る、
「あなたと別れた雨の夜、公衆電話の箱の中、膝をかかえて泣きました」ちゅう世代ですからね。公衆電話の箱の中ですよ。そんなもの今の時代どこを探してもないです。
目の見えん人にスマホを持たせてもなんの役にもたたんでしょう。
俺はこういう世の中であってほしいと思います。
中島らもの「いいんだぜ」をもう1回貼り付けときます。
中島らも ”いいんだぜ” 無修正版 – YouTube
中島らもさんの曲は、後ほど聴いてみます。土砂降りの雨の中、公衆電話から付き合っていた彼女のことで、彼女の友人に長い電話をかけたことがあります。
『なごり雪』の歌を何人もの人がカバーして歌っていますが、上手なのに汽車が走らないなあと思う歌い手がいます。イメージが伝わってこないですね、若い人が歌うと。小田和正さんがクリスマスの夜というコンサートで、自分はかぐや姫のバックバンドをしていたと言いながら、『なごり雪』を歌いました。
汽車が見事に浮かんできました。
最近、フォークが再び注目されていてですね、いろんな人がカバーしてますよね。
中島みゆきの「糸」なんか今更ながら名曲だと言って注目されていてカバーされていますね。
汽車も、はしだのりひことシューベルツの「花嫁」に夜汽車が出てくるんですが、名曲ですね。色褪せないです。
東芝さんも俺も同世代で、10代の頃フォークで育ったようなもんです。
一人、異才を放っていたのが小椋佳でしたね。小椋佳対その他フォークと2分化されていた様です。そんな時代でした。俺もギターが弾けるのですが、小椋佳ではなくよく弾いていたのはかぐや姫でしたね。「22歳の別れ」とか。アルペジオは奏法が簡単なんですが、スリーフィンガーは難しく奥が深いですね。あと、井上陽水とか、中島みゆきも弾いていました。イルカの「なごり雪」も弾きます。確か伊勢正三の楽曲だったと思います。
最近の歌にはついてゆけません。疲れます。内容が抽象的で具体性がない。歌の描写がない。観念的で創造性に乏しい。
waoさんと同世代ですね。ほんと。かぐや姫は知り始めてからすぐに解散たので、そこから歌を追いかけていました。本格的に聞いたのは「かぐや姫 フォーエバー」でした。小椋佳さんは、謎の人物でした。「シクラメンのかおり」が遊びで作った歌だとは全く知らずに、奥深い曲だと思って、聞いていました。布施明さんの「シクラメンのかおり」と小椋佳さんの曲がかなり違ったので、小椋佳さんの歌い方を好んでまねていました。
伊勢正三さん、好きでしたね。あの時代の歌は、歌詞に深みがありました。情景が浮かんでくる歌が好きでした。今の時代の歌は、叫んでいるような感じ。文学とは縁がなくなった感じです。
その通りですね。