物語を生きる

議員の活動

柳田邦男さんの話をもう少し紹介しながら、記事を書いてみたい。
「人間の本質とは何か」という問いに対して、
哲学者や経済学者、生物学者など、様々な定義があるでしょうといいつつ、
「私は作家ですから、『人間とは物語を生きている』といいたいですね」と語った。

「物語を生きる」という言葉は、ぼくにとって、今年得た中で、一番の言葉になるかも知れない。
わが家の家族は、わずか3人だが、一つ屋根の下で暮らしていても、3人は全く違った人生を生きている。
21年間、議員を続けてきた。日本共産党の議員としての21年間は、非常に刺激的な時間だった。一番身近な存在である家族は、ぼくの議会での姿を全く知らない。21年間の議員生活は、現在かつらぎ町にいる議員の中では一番長いキャリアとなった。同じ議員でも議員活動の内容は、ものすごく大きく違っている。
妻は、幼稚園の先生として25年ほど仕事をしてきた。一度だけ研究発表を見に行ったことがあるが、ほとんど職場での姿を知らない。
夫婦で飲食店を経営している友人がいる。夫と妻が同じ時間、同じ店の中で働いているが、役割分担はかなり個性的だ。ブログを立ち上げて、管理しているのは妻で、夫は調理などに心血を注いでいる。
同じ家族でも、全く違った人生を生きている。入れ替わることは出来ない。

「物語を生きる」という言葉は、人は極めて個性的な、誰とも代わることの出来ない人生を生きているということを意味している。多くの人は、自分の波瀾万丈の人生を語ることなく、胸の奥にさまざまな思いを折りたたむようにして生きている。
ぼくは、議員活動を通じて、様々な人の生活に関わる相談を受けてきた。それらの相談は、相談してくれた人々の波瀾万丈の人生に触れることだった。信頼される人間関係が出来れば、人は他人に自分の人生を語り始める。真剣にその人の人生に耳を傾ける。耳を傾けると、その人の人生に寄り添える。
人生を選択するのは、その人自身である。一生懸命その人といっしょに問題を考えて、答えを見いだす努力をする。

相談をしてくれた方々に説教めいたことは言えない。生きる姿勢が崩れている人もいた。生きる姿勢が崩れている人も、はじめからそういう生き方をしてきたのではない。長い道のりがあって、その人の今がある。もし、自分の働きかけでその人が再生するとすれば、それには、かなり長い時間が必要になる。
誰かに強烈なことを言われて、気がついて生き方を変えるということは、あるかも知れない。でも、ぼくにはそんな芸当は出来ない。その人とトコトンつき合っていく中で、前向きに意欲をもって生きることが出来るよう努力をすること。これが大事だと思っている。

相談をしてくれる人が、病気だったこともある。話を聞いていると、何と言っていいか困惑することが何度もある。相談を受けて病室に行ったこともある。かつらぎ町の保健師といっしょに橋本市民病院に行ったこともあった。生活保護を受けた人が、車で飲酒運転をして交通事故を起こしたところから相談がはじまったこともあった。
相談者に利用されたこともある。そのことによって、役場の職員に迷惑がかかったこともあった。

「物語を生きる」人間には、波瀾万丈のことが起こっている。関わる人間にも色々なことが起こる。振り回されることがあるけれど、それでいい。自分自身も「物語を生きる」人間なので、波瀾万丈になることは避けられない。
「物語を生きる」──この言葉を大切にして、多くの人の物語に寄り添っていきたい。

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Posted by 東芝 弘明