多方面に子どもを育てる

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娘にとって、学校で習ったことは、印象的なようだ。授業参観は、図工で紙粘土で花瓶を作ることだった。絵の具を紙粘土に練り込んで、さまざまな色を付けていく。これが楽しかったみたいで、家にも紙粘土を持って帰ってきて、いま、Homeこたつのテーブルで、紙粘土細工をおこなっている。
マイブームということだろうか。
小学校時代の豊かな体験が、今後の人生の大きな糧になる。
人間は、できるだけ多面的に豊かに経験を積み重ねて成長していくことが大事なのかも知れない。可能性は、将来絞り込まれてきて、職業を選択していく。
一人一人の人間が何に向いているのかは、誰にもよくは分からない。先生が才能を見抜くこともあるし、自分が才能を伸ばしていくこともある。
可能性は、おそらく、最初はきわめて多方面に開いているのだろう。その多面的な可能性をできる限り広げて、豊かに体験をさせることが、人間の土台を形成するのではなかろうか。
人間の土台としては、豊かな教養が必要な気がする。それは、社交的に「教養的な」マナーを身につけるということではなく、豊かな知識と豊かな感性を育むということなのだと思う。
土台としては、できる限り可能性を狭めないで、多方面に発展させていくような意識的な働きかけを、教育の中に貫く努力が重要なのだ。
発展の芽を教師の手によってつみ取ることは、本当は、許されないぐらいに大きい。
教育者にとって、もっとも必要な資質は何か。こういう問いへの答えは、「人間の可能性への信頼と確信」だということではないだろうか。
これは、さらに突き詰めると「人間への信頼」ということになる。
人間を信頼せよ。こう訴えることだけでも大事だと思うが、人間への可能性への信頼と確信は、科学的な確信に裏付けられるべきものだろう。
発達論、教育論、人間論を基礎にした人間への確信。これが問われている。
これらの論をもう少し砕いていうと、人間発達の哲学、人間の認識のたどるプロセスへの確信、人間とはそもそも何か、人間とはどうあるべきなのか、教育とは何か、なぜ教育が重要なのか等々というような問題への深い認識が必要だということだ。
人間はどこから来て、どこに行こうとしているのか。
何のために人は生きるのか。
なぜ人にとって教育は大切なのか。
なぜ人は、学校に行って教育を受けるのか。
これらの問いは、根源的な問いであり、教育はこの問いへの答えを、時間をかけて具体的に明らかにしていくプロセスでもある。
これらの問いへの答えは、一般論では終わらない。教育は、すべての子どもたち一人一人の人生論に深く関わって、ともに答えを見いだしていく作業になる。
あー眠たい。もう思考停止の状態だ。


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Posted by 東芝 弘明