「ルノワールは無邪気に微笑む」から得たこと

本の紹介

千住博さんの「ルノワールは無邪気に微笑む」(朝日新書)を読んだ。この人の存在を知ったのは、「ラジオ版学問のススメ」だった。蒲田健さんのインタビューに対し、心にしみいる話をしている千住さんの声を何度も何度も聞いているうちに、この本を買って読もうという気持ちがむくむくわき上がってきた。
ぼくは、恥ずかしながら千住さんの美術作品を一つも見たことがない。したがって、千住ファンだとは言えない。しかし、作品を見たことがないけれど、作家、千住博さんのファンになった。この人の芸術観は、非常に真っ直ぐで、気のてらいは全くなく、しかも人類の歴史的な発展という壮大な流れをくみとるものだった。
「芸術は、イマジネーションによるコミュニケーション」。まったくなんの予備知識も持たない一般の人に対しても、芸術の扉は開かれており、そういう人々に対し、芸術家は「何かを伝えたい」という豊かなイマジネーションをもって作品をつくり、それを伝えようとする。そこに芸術的行為の本質があり、コミュニケーションが生まれる。
人間は、社会体験、人生経験、さらには、生き物としての生成(誕生)と発展(成長)、及び消滅(死)というプロセスのなかで、考え方を変化させていく。
人の考え方は、時間軸の中でおのずから変化せざるをえない。それは、絶えず変化する人間の存在そのものに根ざしている。
この変化する人間が絵画と向きあうとどうなるのか。
絵画と絵画を見るという行為は、絵を描いた画家とそれを見る人間との間のコミュニケーション。その人の心の有り様によって、絵がさまざまな表情をもつのは、画家と受けとめる鑑賞者との間に、コラボレーションが生まれるからだ。絵画は、その人の心の有り様によって、さまざまな表情を示す。同じ絵が寂しく見えたり、明るく見えたり、勇気を与えてくれたり、慰めてくれたりする。
千住さんは、このことを分かりやすく語ってくれる。
絵には、人類のさまざまな歴史が反映しており、それは人種も宗教も時代も超越してみる人の心に届く場合があるという。優れた芸術作品には、ある種の懐かしさがあるのは、芸術が人類の歴史の中から受け継いできた表現方法を内包しているからだという。
こんな話を聞いていると、作品を見ていないのに、なんだか幸せな気分になる。
人間は、そもそも芸術的な存在。何とかして自分の持っているイメージを相手に伝えようとする存在。この存在と行為そのものが芸術的な営み。この考え方は深く、普遍的だ。
ぼくたちがおこなっている街頭演説、ぼくがつくるビラ、講演、これらはすべて芸術的な行為に他ならない。まずは、一生懸命になって自分のイマジネーションを伝えコミュニケーションをはかろうと努力すること、これが何よりも大切だということだ。
絵を描く行為とは何か。それは相手に思いを伝えること。
子どもたちにも、絵を描くことにはこんな意味があるんだよ、ということを伝えてあげたくなった。


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Posted by 東芝 弘明