誰が言ったのかは問題でない

雑感

会議に提出した文書のできが悪かったので、消耗するような議論になってしまった。提出前の対応が悪かったと言うことだと思う。反省すべきだろう。
それにしても、会議というのは面白い。集団が生み出す人間の関係性がある。同じテーマなのに人間の集団が変わると、考えはじめる人が生まれて、発言が深まることがある。事前に検討していても、そのときに議論にならなかったことが、改めて議論になることがある。

出された意見を深めていき、その意見によって運動の内容をさらに考えて、対策を講じたい。会議によって出された意見を大切にして、新たな対応を深めていく。望まないような意見、驚くような意見が出されたとしても、どうしてそのような意見が出るのかをさらに深めていって、問題点や課題を明確にして対策を明確にしていけば、組織は前進すると思う。
誰が何を言ったのかが問題ではない。その人の考え方を問題にするのではなく、そういう認識になる何らかの客観的な現実があるので、フォーカスすべきはその事実にある。どうしてそういう風に考えるのかをテーマにして論じてはいるが、会議において問われているのは、自分たちの意識の外にある現実だ。
人間の認識には、レーニンがいうように何らかの現実からの反映がある。レーニンの哲学ノートにあるメモ、「弁証法の問題によせて」の最後の部分を引用しておく。

坊主主義というのは、観念論のことだと解釈されているので、坊主主義(=哲学的観念論)という注釈を付けている(レーニンのノートのメモなので、坊主主義については少し謝っておきたい)。強調したいのは、どんな認識であっても、そこには認識論的な根がある。しかもこの認識の根底には、客観的事物からの反映があるということが大切だと思っている。

誤った認識が問題なのではなくて、そういう認識に至る客観的な現実について、議論では重視して、その現実をどうするのかという議論へと発展させる必要がある。そういう点で、いろいろな発言には意味がある。そう考えている。

そういうことを考えるのは面白い。


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雑感

Posted by 東芝 弘明