21世紀と資本論

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雨が降ると寒くなった。気温が低い。
あと2か月で今年も終わり。日が過ぎるのが早い。
11月。
ほんと、今日は寒い。
昨日、Mac OSをインストールしながら「21世紀・『資本論』のすすめ」(不破哲三 「前衛」2005年2月、3月号)を読んだ。
マルクスの資本論は、今から113年前の1894年(明治27年)に第3巻が刊行された。第2巻と第3巻は、マルクスの死後、エンゲルスが11年の歳月を費やして、ようやくまとめ上げたものだった。エンゲルスは、編集者としてマルクスの草稿をもとに資本論をまとめていった。この人は、マルクスに匹敵するだけの人物で、自身の研究テーマをたくさんもっていたのに、マルクスの死後は、資本論の完成のために最大の労力をさいて編集に没頭した。エンゲルスは、資本論の第3巻を世に送り出した翌年、死去している。
資本論の研究は1857年頃から始められているようだ。第3巻刊行まで実に37年が経過した。マルクスが残した草稿は、膨大なものだったが、それは充分整理されたものではなかった。象形文字だといわれ、解読に特殊な技術の必要だったマルクスの手書き草稿は、エンゲルスを苦しめ、編集は難航をきわめたようだ。
しかし、このようにして刊行された資本論は、113年の歴史にたえて古典にはなったが、現在に十分通用する成果を豊かに内包する本になった。
不破さんの上下のこの連載は、「資本論」の豊かさを紹介するものになっていた。
マルクスは、資本主義の分析を商品からはじめ、なぜ貨幣が生じるのかを明らかにし、価値の源泉には労働があり、労働に費やされた労働力が商品になることによって、剰余価値が生まれることを明らかにした。そして、資本主義的生産のなかにある搾取は、この労働力商品の販売と使用(労働力の消費=商品の生産)の中に隠されていることを見事に解明した。
マルクスの資本論は、階段を一歩一歩上るように、資本主義の現実を貫いているさまざまな法則を明らかにし、資本主義の生きた現実を解明した書物になっている。
マルクスの死後、資本主義は、マルクスやエンゲルスの時代とは比較にならない巨大な発展をとげた。しかし、マルクスが分析したものは、今もなお現実の資本主義の諸問題を解く生きた指針になっている。
聖書に次いで多く各国で翻訳された本は「資本論」だという。この話は、今後も追い越されることはないだろう。
ぼくは、夜間大学の時代、経済原論(テキストは「資本論」そのものだった)の90分授業を食い入るようにして聞いていた。拡大再生産あたりまでしか講義を聴くことはできなかったが、18歳の時の講義が、もっとも時間をかけて「資本論」を学んだ貴重な時間となった。夜の9時をまわるまで続いた講義のなかで、感じていたワクワクする思いは、その後、哲学の中でも感じることができ、「日本共産党綱領」の中でも感じることができた。
マルクスの経済学、これは、経済の現象を解釈し、かつ多くの混乱の中にあった経済学を科学にしたものだった。しかも、この経済学は、人類の歴史を発展の中でとらえ、封建制から資本主義へ、資本主義からその次の時代へという歴史観にたったもので、壮大な視野に立った、たえず発展していく学説として今日につながっているものである。
何物をも恐れない科学的精神が「資本論」の中にある。
資本主義は、その内部矛盾によって次の体制へと移行していく過渡期の社会にすぎない。人類の進歩と幸福は、この社会の変革こそにあることを見通したマルクスとエンゲルスは、経済学を現状追認のにせものの科学から、ほんものの学問へと発展させたといえるだろう。
110数年前の「資本論」は、21世紀の日本の諸問題を解明する大きな力をもっている。現在、顕在化している諸矛盾の解決は、次の社会体制への移行なしには実現しない。
哲学者の高田求さんは、かつて、“私たちはマルクスやエンゲルスという巨人の肩によじ登って、マルクスとエンゲルスには見えなかった遙かな地平を見ることができる時代に生きている”ということを本に書いていた。
21世紀は、人類の危機と新しい展望が同時に存在する時代であり、人類の存続と社会体制のあり方が根底から問われる希有の時代になる。

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Posted by 東芝 弘明