「崖の上のポニョ」を家族で観る

未分類

家族3人で「崖の上のポニョ」を観てきた。宮崎駿さんは、67歳という年齢をおして5歳の子どものために映画を作ったんだと思った。
この世の中で、映画で5歳の子を観客として想定して作られた作品があっただろうか。
「子どもたちのために作品を作っていない」、という宮崎さんの強烈な思いが、手書きで、色鉛筆で、丸いタッチでという世界を生み出した。映画の背景は、小さな子どもが描く色ぬりの世界につながっている世界だった。
「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」、「ハウルの動く城」を観てきた人々のなかに、どうも戸惑いが広がっているようだ。宮崎作品に込められていた哲学的な深いメッセージのようなものが、今回の「ポニョ」にはあんまり込められていなかった。
しかし、深い内容のないように見える「ポニョ」は、「ハウル」のあとに作られた作品として、貴重なものだったようにぼくには思われる。
生きることへの手放しでの賛歌が、「ポニョ」にはある。不思議なことがたくさんあっても、宗介のお母さんのリサは、大人の常識を一切ふりかざさないでポニョを受け入れる。これは、ものすごく驚きだった。「宗介とリサはすごいなー」と思ってしまった。
ジブリの宮崎作品は、宮崎さんや鈴木さんの話を聞いていると、極めて限定された人のために作られてきたことが分かる。
「紅の豚」は当時中年だった宮崎監督自身のために作られた小さな作品だったようだが、結局は2時間物に肥大化してあの作品になった。中年の男女の恋物語を描いた作品。これは、今、ぼくがもう一度じっくり見るべき作品だという気がする。
「風の谷のナウシカ」は、アニメージュに漫画が連載されたように、当時の20歳代のアニメファンを視野に入れて作られた作品だったように感じる。わが家の9歳の娘にはまだ、作品世界がむつかしいようだ。「ナウシカは恐い」──この感想にそれはよく現れている。
「天空の城ラピュタ」は、10代の少年と少女の冒険活劇だった。この作品のファンは多い。何が最高傑作なのかと問うと「ラピュタ」をあげる人も多い。10代の少年と少女の夢とロマンを体現したこの作品は、忘れ去ることのない10代の記憶にふれるものなので、ファンが多いのかも知れない。
「となりのトトロ」は、メイとサツキという姉妹のお話で、昭和30年代に子どもだった人々に書かれたものだった。この作品は、「忘れ物を届けに来ました」というように大人に向けたメッセージを込めたものだった。しかし、最もこの作品を広く深く受け入れてくれたのは、メイとサツキと同じ年齢の子どもたちだった。
作品を観てもらう対象の設定という点で、となりのトトロは焦点を絞りきれない課題を抱え込んだのかも知れない。赤字の原因はここにあったのかも知れない。
「魔女の宅急便」は、中学生の頃の思春期の女の子が描かれている。ユーミンの曲が思春期の女の子の気持ちに良く合っていた。
半径3メートルで映画を作るといっている宮崎作品は、いつも具体的な人に映画を捧げている。
「千と千尋の神隠し」は当時10歳の女の子のために作られた作品だった。人物も特定されている。
「ハウルの動く城」は、20歳代の恋の物語だった。
「もののけ姫」は、そういう中では、異質だったのかも知れない。この作品は、宮崎さんの環境問題がテーマだったので、映画の対象年齢は、明らかに大人だった。
「崖の上のポニョ」を5歳の子どもがどう受けとめるのか。ぼくが一番知りたいのはこの点だ。
わが家の9歳の娘は、少し物足りなさを感じたようだ。
5歳の子どもに分かる映画として成功しているかどうか。
5歳の子どもにドキドキしながら「どうだった?」と聞く宮崎さんの姿が浮かんでくる。
わが家は、久しぶりに、映画館の出口で「ポニョ」の劇場用パンフレットを買った。車の中で映画の話で盛り上がって、寝不足だったお母さんの記憶の穴埋めをしてあげた。娘は一生懸命に観た映画の情景を語っていた。
鈴木敏夫さん曰く。
「映画に感想は必要ない。大事なのは観てきた映画をもう一度、言葉で再現できるかどうかなんですよ」
この点で、帰りの車の中は、「正しい?」映画の見方で盛り上がった、──ということになった。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

未分類

Posted by 東芝 弘明