「おくのほそ道」の授業参観
娘の授業参観に行った。「おくのほそ道」の授業だった。
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
この冒頭の句を好んで暗記している。暗記したのは高校生だったのか、中学生だったのか、定かではない。
松尾芭蕉は、この書き出しをこの形にするまでに、どれだけ書き直しをしたのだろうか。何度も何度も書き直したように思える。それほど工夫を重ねた表現のように見える。
船頭という言葉も、馬子という言葉も用いない。「船の上に生涯をうかべ」「馬の口とらえて」という表現は、短い文章の中に情景を浮かび上がらせるものになっている。芭蕉の目はカメラのようだ。
「日々旅にして旅を栖とす」というのもすごい。「旅を栖とす」という旅そのものが住む場所だという表現は真似できない。この文章が書かれたのは1689年だと思われる。今から324年も前のことだ。
過客は旅人のこと。すぐ後の文に旅人という表現もあるので、過ぎ去る日々を過客と表現し、年については旅人だと表現している。芭蕉にとっては、同じ旅人でも過ぎ去る日々には過客という言葉をあてたということだろう。
俳句という短い表現の中にダイナミックな情景を切り取って詠った松尾芭蕉は、目に見えるような文章を好んで書き、一言一句、苦心して書いた作家だったように感じる。
こんなことをつらつら考えながら、教室の後ろに立っていた。50分授業は短かった。