人格攻撃 2006年8月4日(金)
議員になって、議員と町長、議員と議員同士のとのさまざまなバトルをつぶさに見てきて、染みこんできた考え方がある。
人間に対して、批判はおこなってもいいが、あくまでも人格を否定するような批判は避けるべきであり、相手を恨み、徹底的に攻撃を重ねるような生き方はすべきでないということだ。
個人への怨念としかいいようのない批判をつぶさに見、対立が機会あるごとに広がっていくのを見てきた中で、個人への怨念や恨みは、必ず自分自身に跳ね返ってくるのを痛感してきた。
日本共産党がおこなってきた批判は、個人的な人格を攻撃するようなものではなく、路線的な対立というものだったので、根深い恨みを残すものではなかった。
保守系の方々同士の対立は、時として、個人の人格を否定するところまで発展し、やられたらやり返すという恨みの応酬になる場合もあった。
恨みは必ず、自分に跳ね返ってくる。
これは、こういう争いを見てきたぼくの中に染みこんできた考え方だ。
人間。すべて悪人という人がいるかも知れないが、多くの人は、よい面と悪い面を同時にあわせもっている。人格攻撃は、相手の悪い面を極端に誇張し、全面的に相手を否定するというような特徴を持つ。否定された人物には、恨みが蓄積し、反撃の機会があれば手痛いしっぺ返しがおこなわれる。
私怨が私怨をうむ。これが一番恐ろしい。
多くの問題は、許せることの方が多い。それを許せないとしてしまうところに怖さがある。
私怨を抱いていると相手はそれを敏感に感じる。私怨が私怨をうむのは、必然だと思う。
男と男の闘いでもっともすごかったのは、私怨と私怨のからみあいだった。
大人になってからの喧嘩は、ごめんなさいがいえないところにある。一つの喧嘩をきっかけにして、交流が絶えた例も多い。
許すこと、謝ること、対立しても関係を修復する努力をおこなうこと。
議員のさまざまな対立を見てきたなかで、そういうことを強く感じてきた。
人格攻撃だけは、してはならない。
心底そう思う。
ネット上に無礼な人格攻撃がはびこるのは、攻撃した人間に恨みが直接跳ね返らないからだろう。ネットで飛び交っている人格攻撃をそのまま、面と向かって肉声でおこなったら、殺人事件が増幅すると思う。
匿名性があるからといって、むちゃくちゃな攻撃をすべきではない。
人格攻撃は、自分の人間性まで破壊する。文章を書くという行為は、自分の胸に思いを刻む行為でもあるからだ。個人的には、人格攻撃の文章は、日本語を汚すという点でも許し難い。
心のこもった文章を心がけよう。日本語のよい面を引き出して相手に届けよう。
汚い文章は書きたくない。











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