戦場と戦争とは違う?

雑感

Threadsに以下の書き込みをした。すると1.3万人が見てくださって、いいねが1050人、書き込みが133人になり、再投稿が85人になりました。

「私の父親は二度中国戦線に招集され、斥候として任務につき、「どれだけ中国人を殺したか分からない」と言いつつ、戦後酒浸りになって苦しんで生き、46歳で短い生涯を閉じました。 この父のことを書くと、日本は侵略なんかしていないという文脈の書き込みがよってきました。この中に、 「この人殺しの息子が」 という書き込みがありました。それは確かに事実です。事実ですが、侵略戦争はなかったという人々の学び方って何だろうかと思いました。 一人の人間の人生と戦争体験から、真摯に何を学ぶのかを考えています。簡単に答えは見つかりません。ですが事実と向き合いながら、歴史を学び、考え続けることを大切にしています。 父の軍歴を調べ、中国のどこにいたのか。どんな状態だったのかを辿りたいので、年表なども作っています。

自虐史観、侵略なんてしていない。なんて簡単なことではないと思います。」

これに対して、何人か、中国人の方が書き込んでくださいました。
その中に次の書き込みもありました。
「作为中国人,很庆幸有你这类的人。 我知道你已经正视历史,也明白当年那场战争给中国带来了多么深重的苦难。 你祖辈晚年在悔恨和战争后遗症里度过,说明他心里也清楚,那段行为是错的、是有罪的。 我们恨的,从来不是普通日本人民,而是那场侵略战争、军国主义,和至今不肯道歉、还在美化侵略的人。中国几千万伤亡、无数家庭破碎,不是数字,是几代人的真实苦难。 希望你我这代人,能一起让历史不再重演,中国几千万伤亡、无数家庭破碎,不是数字,是几代人的真实苦难。 我们不会把仇恨延续到你这一代,但历史不能被抹掉,罪行不能被洗白。」

以下が翻訳です。
「中国人として、あなたのような人がいてよかった。 私はあなたが歴史に直面し、戦争が中国にどれほどの苦しみをもたらしたかを理解している。 あなたのおじいちゃん(注:父の誤り、東芝)は、晩年を後悔と戦争の後の影響で過ごしました。そして彼はその行為が間違って有罪だと心の中で知っていたのです。 我々が嫌いなのは決して普通の日本人ではなく、侵略戦争、軍国主義、謝罪を拒否し、未だに侵略を称賛している人々です。 中国で数十万人の死傷者と無数の家族が壊れたのは数字ではなく、世代の本当の苦しみです。 あなたと私の世代が一緒に働いて歴史を繰り返すことがないよう願っています。 中国には数十万人の死傷者があり、数え切れないほどの家族が壊れています。数ではなく、世代の本当の苦しみがあります。 我々は憎しみをあなたの世代に持ち続けることはありませんが、歴史は消すことはできませんし、犯罪は洗い流すことはできません。」

重い言葉だと思いました。日本が、韓国や台湾、中国、東南アジアの方々と対等に向き合うためには、第2時世界大戦に至るまでの歴史を反省し、日本がどうして、朝鮮や中国の人を蔑視し、ひどいことをしたのかも含めて反省し、平和を求め力を合わせるようにする必要があると思います。真剣に対等平等で相互互恵の精神で互いを尊重し合うことが大切だと思います。

この書き込みに対して、日本の中に悲しくなる書き込みもありました。
「中国人を数え切れないぐらいに殺した方の息子様なんですね。 父は苦しんで生きて酒浸りで短い生涯を閉じた。 それで許されるんだね、なら今の日本人はもっと許されて良いんじゃないですかね。 侵略だ侵略じゃない、善だ悪だ、これを決めることにどれだけの意味があるのでしょう。 それは重要なことなのですか? 重要だと言うなら貴方の贖罪は歴史を学ぶこと、それたけですまされるとお考えか? 私の父も祖父も中国人は殺していない、一人も。 自分で事を大きくしたいのなら、まずは自分が、率先垂範で責任取れば? のうのうとスレッズなんかやってないでさ。 貴方の父に無残に殺された数え切れないぐらいたくさんの中国人の身になって贖罪し続けろ。 他人に押し付けるなよ。」

これに対して、ぼくは次のように返しました。
「父は、誰からも戦争の責任は追及されなかった人です。しかし、自分のした行為からは、逃れることができなかったんだと思います。酒を飲んで体を壊しつつ、退院したその日に村の中のお店に行って、そこにあるお酒を全部飲んで、俺は短く生きたと言って、脳溢血で亡くなりました。こういう体験をした人は多かったとも思います。」

さらにその方は次のとおり返事が返ってきました。
「なるほど貴方の父は責任を取らずに自暴自棄になったんですね。 で貴方は現代日本人に対して、日本は侵略したんだ、日本は悪い国だ、だから周辺国がどんな国であろうとどんな要求をしようと常に反省してはいはい言ってろとおっしゃるのですね? で責任取らなかった人の息子は這いつくばる日本人を得意げに見てスレッズやると。 なるほどですねー。」

ちゃんとした会話になっていないですね。

一番強烈だった意見は次のとおりです。
「貴方のお父さんは戦場は知っていても 戦争は知らないんです。戦場と戦争は違うんです。 別のものなんです。
一般の人の体験は戦場の体験しか 出てきません。それだけで判断すると 戦争というものを見誤るんです。
それが超簡単にまとめられたのが 自虐史観という言葉です。自虐史観とついを成す言葉に 東京裁判史観という言葉があります。こちらの言葉ならば もう少し分かりやすいと思います。
歴史は勝者が書き換えるのは世の常です。
その書き換えの最たるものが 東京裁判です。」

「戦場と戦争とは違う」「一般の人の体験は戦場の体験しか 出てきません。それだけで判断すると 戦争というものを見誤るんです。」
一般の国民は戦場しか知らない。それは戦争ではないという意見らしい。この方の論理で言えば、戦争の作戦を立てて戦争を遂行していた人々こそが戦争を行っていたのであって、戦場だけしか知らない一般の人々が戦争を語ると、戦争の本質を見誤ります。ということらしいです。

この文章を読んで頭に浮かんできたのは特攻作戦でした。特攻作戦で無残に命を投げ捨てた若者の現場は、戦場であって戦争ではないということになります。人間魚雷回天などに乗り込み出撃した人は全員亡くなっています。桜花という人間爆弾も同じです。これらの人が亡くなったのは戦場であって戦争ではないという論理。ここには非人間性を感じます。
特攻作戦を命じた軍の幹部たちは戦後生き残っています。特攻作戦を提案した軍人は1945年8月15日に自決しています。戦争を遂行していた軍部で、戦後も責任を問われなかった人々はいます。戦争の全体像を明らかにするためには、前線の部隊のたたかい、つまり戦場で行われた具体的な戦争の実相をつかむことは重要です。それと同時に戦争を遂行していた司令部の実相をつかむことも重要です。それらはいずれも戦争だということです。あえて戦争と戦場を分けるところに、なんだか人間的でないものを感じます。

雑感

Posted by 東芝 弘明