11回目の結婚記念日 2005年11月27日(日)
朝、11時からかつらぎ町にオープンする「ケアハウスかつらぎ乃里」の竣工式に出席した。会場は、はちくまカントリー(農家のコンビニをうたい文句にしているスーパー)の下に建設された2階建ての施設だ。
ケアハウスは、介護保険の対象外の施設で、おおむね60歳以上の方が入居できる、いわば有料老人ホーム(おっとパンフレットには「軽費老人ホーム」と書かれていた)のような施設である。食事が施設から提供され、入居施設を拠点に自由に生活できるものである。特別養護老人ホームのように、介護度の高い方々が入居できる施設ではない。独り身になって、自分の身の回りのことにやや自信がなくなっている方々が安心して生活できるようにする施設である。
入居費用は、所得に応じて違ってくる。年金が150万円以下の方で、月額7万3490円。300万円以上の方は、月額14万9590円となる。さらに水道代、行事費なども自己負担であり、当然、個人の必要品購入費、医療費なども自己負担となる。
こういうケアハウスのような施設ができるのはありがたいことだと思う。しかし、同時に低所得者のために、自治体立のシルバーハウジングのような施設の設置も求められるだろう。こちらの施設は、食事は自炊となるが、緊急時のケアについては、ライフサポートアドバイザーが対応することになる。
1時間少しの竣工式が行われた後、2階の通路を会場にして立食パーティーが催された。理事長の平井さんが、橋本市の方だったので橋本市の議長や議会議員、市長、収入役なども出席されていた。橋本市選出の県会議員、向井嘉久蔵氏、伊都郡選出の門三佐博氏が理事に名を連ねていた。目を引いたのは、元町長の南衞氏も理事になっていたこと、評議員の中にかつらぎ町の公明党の現職議員の堀口利夫氏が入っていたことだ。
12月1日からオープンということだったが、すでに入居される方が、荷物を運び込んで生活をはじめつつあった。部屋には、洗面所とトイレがあり、シングルのホテルよりもやや広い感じだった。
ケアハウスから帰宅したのが1時少し前。道の駅で収穫祭が催されていたので、会場に行くと駐車場のところでわが家の娘にあった。
収穫祭では、芋汁が振る舞われていた。大きな圧力鍋のようなお釜で大量に作られたみそ汁風味の里芋のお汁は美味しかった。
娘と2人で道の駅を少し散策して家に戻り、用事を済ませて事務所でビラの作成に取りかかったのは4時少し前だった。ラフができていたので、一応完成してFAXで原稿を送ったのが5時20分だった。
帰宅したのは、6時過ぎ。
今日は、11年目の結婚記念日である。11年の結婚生活の中で、娘が一人生まれ、小学生になった。家族3人の小さな家庭だけれど、3人で色々なところに行き、会話を交わすのが大好きである。
11年前の今日、曜日は日曜だった。うるう年が2回あったので11年目で日曜日が巡ってきた。11年前の朝は、暖かくいい天気だった。ぼくは当時まだ中佐野のアパートに独りで住んでいた。ぼくを迎えに来たのは、同級生のHだった。
結婚披露宴は、かつらぎ町の総合文化会館大ホールで開かれた。同級生に実行委委員会をつくってもらい会費制の披露宴をおこなった。総合文化会館はできたてのほやほやだったので、当時町長だった溝端氏は、会場にお酒がこぼされないかとものすごく心配し、受付でも念を押していた。
一番お酒をぽたぽたこぼしていたのは、町長の同級生の、長老議会議員だった。
あの日のことは、なんだかものすごくよく覚えている。
後片付けの掃除を自分たちでして、玄関にまで紙吹雪が落ちているのを掃き寄せているときに、同級生のai君がコンタクトレンズを落とした。玄関で、みんなで蛙のようにはいつくばってレンズを探し、「あった」と叫んで喜んだのが、宴の最後の出来事だった。
岩出方面に食べに行こうというぼくの提案は、結局は却下されて自宅でステーキを焼いて食べることになった。せっかくだから、オークワに買い物に行き、ワインを買い求めて食事の時に乾杯した。娘も、ライオンのイラストを描いたかわいいガラスコップに、リンゴジュースを入れてもらって乾杯に参加した。
カチン、カチン、カチンというガラスの音が心地よかった。
娘は、11年目の結婚記念日の小さな宴の始まりに、リビングの真ん中に立って、メモ帳を手に持って、牧師が聖書を広げるような姿勢で始まりを宣言し、宴の終わりには、同じように立って終わりの言葉を言った。
「これからも、結婚記念日ができますように」
妻は感激していた。








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