戦争に荷担しようとしている人々への問いかけ
戦争が始まるとき、国民の中に戦争を受け入れるエネルギーが生まれてくることを感じている。騙されるというだけではなくて、積極的に戦争の片棒を担いで、戦争反対を主張する国民の敵対していく。政治家の戦争への協力を批判するのと同じように、国民の中に生まれている戦争を受け入れる傾向も、批判されなければならないと考える。
以前にもこの問題については書いたことがある。しかし、もう一度、今日的な問題として、主体性をかねそなえた人間の生き方が問われているので考えてみたい。
ドイツは、戦後、ある時期から若者が中心になって、親の世代がヒットラー政権に荷担し、協力した責任を問い始めた。
どうして国民は、ヒットラーが生み出した独裁政治に騙され、荷担していったのか。
この問いは非常に大きかった。批判は、自分たちの親の世代に対して向けられた。
その結果、ファシズムを二度と台頭させないために、物事の本質を自分の頭で見抜くことのできる国民への教育、国民の育成という方向へドイツは向かっていった。それは、徹底的にヒットラー政権に協力した軍人の戦争責任を追及するということと一体のものとして進められた。
日本では、こういう反省の仕方はなされなかった。
中国政府は、日本人民には戦争の責任がなく、戦争の責任は戦争を遂行した勢力にあるとしているようだ。しかし、こういうものの見方は、突きつめていけば、命令を下した指令者が悪いのであって、戦争を実際に遂行した国民には責任がないというのに等しい。これは、人間はロボットのように命令で動くと考えているような議論ではないか。これは、人間を主体性をもった存在として捉えない見方であり、中国政府の人間観の遅れを示すものだと思われる。
ぼくの父親は、戦争中に罪のない中国人をたくさん殺害したという。斥候という軍の中の仕事によって。
父に戦争責任はないのか。
極めて重大な戦争責任があり、批判されなければならないと考えている。戦後父は、酒浸りになって戦後21年たって、死んでしまったけれど、父の人生には、極めて重い加害責任がつきまとっていたと思われる。戦争の犠牲者であり加害者だった父。ここに父の苦しみや悲劇があったのではないだろうか。
軍の命令には逆らえなかった。
という意見があるだろう。でも、逆らえなかったから、命令に従っただけだから一切責任は問われない、というのはいかがなものか。
国民の中には、銃後を守ると信じて、積極的に日本政府に従って動いた人々がたくさんいる。じつはこういう人々の方が多かったのかも知れない。戦後、こういう態度を取った人々の責任は、すごくあいまいにされてきた。戦争への協力問題は不問にされてきた。
共産党の中には、国民の変革のエネルギーに信頼を寄せようという意見がよくでてくる。しかしこれは上から目線ではないだろうか。国民が真実を見抜けないまま、騙されて動いているのは、マスコミや政府が真実を伝えないからであって、騙されている人々は、本当のことを知らされてないだけ。国民が騙されるのは仕方がない。それよりも、日本社会を変革しようという力は、国民の中に強く存在しており、これに信頼を寄せてたたかおう。というようなものだ。国民の側には責任がないという見方は、中国政府のいう日本国民には責任がないというのによく似ている。
戦争に協力しようとする人々の責任は重い。「あなたの発言は国民を騙すもの。政府に迎合して戦争をあおるもの」という視点で、その人の生き方に迫るような問いかけをすべきではないだろうか。本質を見抜けないで騙され、戦争への道を熱病のように駆り立てられている人々、中国や韓国の人々を口汚くののしっている人々に対し、物事の本質がどこにあるのかを考えてもらう問題敵意が重要になる。大切なのは、問いかけだろう。自分の頭で考えて本質を見抜く力が問われている。
著名人の方々が、赤旗に登場して勇気ある発言を重ねている。その一方で本質をみないで、体制に流されながら迎合している人々が存在する。多くの人々は、波風を立てない生き方を選び、大勢に迎合し、不合理なことにも手を染めて生きている。それは、日本人らしい生き方かも知れない。しかし、そのような生き方が、日本人の首を絞めて、身動きの取れない社会の流れを作りだしてきた。
勇気ある発言のあとをついていきたい。社会のなかで起こっている問題に積極的に関わって、勇気ある発言の側に立つ人に拍手を送り力を合わせたい。
時代の流れは、「市町村合併やむなし」の大宣伝のなかでも作り出された。あの時も熱病のようだった。冷静に考えればわかる問題が、合併して当たり前という流れを大規模に作り出す中で、そこに押し込めようという形になった。
一定の立場にある人は、自分の主張を述べない傾向にあった。「合併反対」ということを主張するのには勇気がいった。熱病が醒めれば、物事の本質はよく見えてくる。熱病のような流れが作られているときに、勇気を振り絞って洪水に逆らうような生き方を選択して立ち向かうことが問われている。
「戦争反対」「憲法9条を守れ」──この主張があたかも、日本共産党の主張であるかのような、特異な思想であるかのような所に押し込められる、洪水のような流れが作られている。公務員が身を縮めて憲法擁護を口にしにくくなっている。日本国憲法の精神に反する一切の改正を認めないはずの原則を歌った憲法なのに。
安倍総理のしていることに興味や関心をもたず、集団的自衛権や特定秘密保護法を横目で見て、やり過ごしていく人々の多くは、どうしても体制に流されていく。大勢が賛成といえば賛成、大勢が反対と言えば反対という処世術で世の中を渡っていく先に待ち構えているのは戦争だろう。
国民主権が踏みにじられても、意に介さないで、自分の周りにある自由と民主主義に寄りかかり、個人のプライバシーを守れといい、自分勝手な主張と利益をふりかざしているうちに、本当の意味の民主主義と国民主権は窒息死させられる。自分の最大の拠り所が壊されていても知らない人が多い。
「日本は戦争なんかしないって。安倍さんはしないって言ってるやん。積極的平和主義っていってるやん」「放射能は湾の中で完全にコントロールされている、だから原発事故は大丈夫。総理大臣が約束したんだから」
そう思っている人は、進んでいる暗黒が見えていない。
戦争反対と憲法9条を守れという運動を高めないと、守れない平和がある。目を見開いて時代の動きを読み、勇気ある発言を信頼して立ち上がらないと、とんでもない時代がやってくる。このような時代を作り出さないためにも、戦争に迎合する動きに対しては、鋭い問いかけをすべきだと思っている。
どう生きるか。戦争に反対する人にも、戦争に賛成する人にも、この問題が鋭く突きつけられている。










ディスカッション
コメント一覧
憲法9条を守ることと、平和主義とは同義語ではない。憲法9条を守ることが、如何にも平和主義のような錯覚に陥るキャンペーン的宣伝をするものだから勘違いする人が多い。間違った法律は訂正しなければいけない。
それと・・・文章の内容は批判だけを組み合わせて構成されていますが、簡潔にいうと何を言いたいのかわかりません。30文字以内にまとめると・・・・どうなるのでしょうか?戦争の話?市町村合併の話?それとも憲法の話?
関連性のない項目を、無理に関連付けてまとめたのはいいけど・・・はて????何が言いたいのかわかりません。
時代の流れを見抜き戦争反対を貫くこと。です。
安倍政権は、軍事同盟を結んでいる国との戦争に参加しようとしている。これをくい止めること。そのために生きるべき。1つの方向に押し込めようとする流れを見抜こうということ。
あなた方の主張は、戦争への協力に手を貸していないか?ということ。
時代の流れを読めず過去の戦争にこだわりすぎている。・・・・文章ですが・・・笑。
集団的自衛権行使も、憲法改正も具体的な政治日程に上っていない問題を国会で時間を掛けてやるほど、国会は暇ではありません。具体的な動きに応えるために動いているということです。
憲法改正に手を貸し、朝鮮と中国を徹底的に非難し、ヘイトスピーチをおこない、排外主義的になり、集団的自衛権行使は当たり前だとうそぶいている人の中には、戦争の足音を感じていない人がかなりいます。まさに平和ボケですね。
平和ボケは共産党ですよ。「憲法を守って、国を守らず。」・・・それが共産党の主張。
しかし・・・本当に共産党の主張に疑問を持たないの????
多分、東芝さんの主張はワンパターンなので、共産党の勉強会や機関紙の内容に沿ったものだと思うけど・・・
間違った憲法を改正するのは当然だと思う。それを守る・・・・間違いを維持するのかと言いたい。
戦争をするために憲法を改正しようとしているのが見えないのでしょうか。それが見えないとすれば、まさに平和ボケだと思います。
自分の思想に相反する意見には「好戦的」というのは、悪い癖です。ここが宗教と同じ論理。よく宗教の誘いなんかで説明を受けることがあるけど、よくできた論理的な説明です。が・・・教義に基づく論理という条件があっての論理で、その教義が間違っていればその論理は成り立たない。
「戦争をするために憲法を改正」という思想で共産党の論理は組み立てられているのですが・・・僕は、何度も言うように「現実の社会と憲法9条のズレ」を問題にしているのであって、それが好戦的と言われるのは心外です。自衛隊の必要性を説明するために思考実験で紛争をテーマにしたことはあるが、戦争しろなんて主張したことはない。
また、東芝さんの論理から推測すると、日本は特別な国で軍事力がなくても平和が続くと考えている。さすがに・・・そこまで能天気な思想にはなれない。平和ボケの人に平和ボケ言われると・・・ある意味呆れてしまう。
自衛隊や米軍がなくても日本は侵略されずに平和に暮らせる。・・・馬鹿の考えです。
アメリカは、日米安保条約に基づいて、日本に戦争参加を求め続けてきました。その一つの結果がイラク戦争への自衛隊派遣でした。
集団的自衛権が行使されると「国際社会の平和と安定への一層の貢献」という名目で自衛隊の海外派兵が行われます。
判断は、武力行使の新3要件に基づきます。
1 我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
2 これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
3 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
1番目の要件というのは、アメリカが他国と戦争をしている場合、自衛のための戦争だと位置づけていれば、日本の自衛隊が参戦できるということです。「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」を判断するのは政府であり、なぜそのような判断に至ったかは「国家秘密」扱いになります。
実際の派兵の行為は、「武力行使をしてはならない」、「戦闘地域にいってはならない」という歯止めを外し、自衛隊が活動する地域を「後方地域」「非戦闘地域」に限定するという従来の枠組みも廃止するものになっています。「戦闘地域」でも支援活動ができるということになれば、まさにあのイラク戦争のさなかに、米軍のために戦闘地域に入り、支援することになります。
国会での答弁は、これをすべて裏付けています。
トリノさんが、個人的に、個人の感覚で純粋理論的に、憲法改正を唱え、自民党の憲法改正を問題なしとして支持し、集団的自衛権を容認するのは自由ですが、その判断は、すべて安倍政権による戦争準備に手を貸すものだということです。あなたは、政権に関わっている人ではありませんから、あなたの判断と政府の判断は違うといっても、現実の生々しい軍事関係にある日本は、アメリカとの関係で戦争への参加を準備しているということです。
安倍政権は、国会をもてあそんで思考実験を繰り返しているのではなく、軍事同盟である日米安保条約にもとづいて、日本を改変しようとしています。政治は、つねに政権が必要だと思っていることを国会で議論しているのであって、その動機は極めて実践的なものだということです。
いっせい地方選挙が終了したら、集団的自衛権行使容認を具体化するために関連法案を出すことが予定されています。
日本の防衛のために対応しているのではなく、アメリカの戦争に日本が参戦するために、準備をしているということです。日本の最大の問題の一つは、日米関係にあります。日米関係が日本の国際問題を読み解く最大の関係であり、戦後の日本の歴史は、日米関係を基軸にして動いてきました。
アメリカは、イスラム国への空爆を始めましたが、これもテロとの戦いですから、アメリカにとっては自衛のための戦争だと正当化する可能性が濃いと思われます。
9月13日、オバマ大統領は、演説で、「米国単独のたたかいであってはならない」「米国の空爆力、同盟国の貢献、地上でテロ集団とたたかう勢力へのいっそうの支援が必要だ」と表明しています。ケリー米国務長官は12日、「すでに40カ国以上が支援を申し出た」と述べています。
軍事同盟を結んでいる日本は、この空爆支援に参加できません。そのためには、集団的自衛権行使がどうしても必要になり、そのための法整備が必要になります。今回、果敢に反応していないのは、いっせい地方選挙後に法改正を行いたいという思惑があるからだといわれています。アメリカの仕掛ける戦争に自衛隊が参戦するシナリオは、すでに発動していると言っていいでしょう。
トリノさんの思惑がどうであれ、集団的自衛権行使容認と憲法改正は、安倍総理の戦争に参加する日本に手を貸す行為にしかならないということです。残念ながら。
あの・・・安部政権とかアメリカとかどうでもいいのよ。法治国家としての基本的なものを聞いているのよ。論理的に共産党の主張は穴がある。間違っているのです。
自衛隊は必要かどうか?憲法違反かどうか?単純な話。
なんで戦争とかアメリが画関係するのよ・・・・笑。むちゃくちゃな返信です。
現実を見ない思考実験は、「死亡遊戯」になってしまいます。日本一般とか国家一般とかいうものは存在しません。現実に日本が戦争に参加しようとしているときに、思考実験という抽象的な世界に入り込んでいると、現実から乖離していきます。
アメリカの戦争と日本の政治を具体的に考えるべきです。本物の理論は、現実の具体的分析、現実の具体的な総合です。
自然科学の実験も思考実験で留まらないでしょう。天文学なら理論物理学は、最終的に観測によって確認されないと生きたものになりません。政治における思考実験は、何の役にも立ちません。
東芝さんのように霊感が鋭くないので、現在の状況を戦争と結び付けることはできません。
なので・・・現実の事実の認識から入ります。
自衛隊は必要か不要か?・・・必要か不要かで答えてほしい。
それとあいまいな答えはダメです。必要か不要か・・・2文字で答えてください。また、余分な文章は不要です。
必要です。
自衛隊は必要。
この前、東芝さんは自衛隊は違憲の軍隊だと書き込みました。歴代の政権は自衛隊は合憲という立場なので問題ありませんが、「自衛隊は必要」「自衛隊は違憲」という認識を持つと、法治国家で違憲状態が長く放置されることはダメです。それを認めると政治家として失格になる。
次の問いです。「自衛隊は必要」「自衛隊は違憲」という状況で、法治国家としては当然自衛隊を合憲にする必要がある。
次の質問、合憲にするために憲法改正か自衛隊解体か、どちらを選びますか?
同じく不要な文章は要りません。「憲法改正」か「自衛隊解体」どちらかで回答願います。
トリノさんの設問のしかたでは、答えることはできません。
機械論的だからです。
自衛隊が必要だと回答したのは、現在の状態を踏まえたものです。
自衛隊は、日本国憲法に違反した軍隊ですから、解体する必要があります。しかし、現存するものの肯定的理解の内に、同時にその否定、その必然的没落の理解を含みというものの見方で、現状を捉える目からいえば、必要だが、解体に向かう必要があるということになります。
日本国憲法を守る、という点でいえば、連合政権を樹立すれば、国民的な合意を図りながら、自衛隊を解体するということです。それには一定の時間がかかります。どれだけの時間がかかるのかは、国民的合意にかかる時間が必要だということです。
ここまで書けば、設問に対して簡単に答えることができます。
自衛隊解体です。
自衛隊解体ですね。
その他の文章はよく理解できない内容なので不要です。
自衛隊(必要)・・・憲法違反・・・自衛隊解体という政治的スタンス。
僕の場合
自衛隊(必要)・・・憲法違反・・・憲法改正という政治的スタンス。
必要なものはなくすのはリスクが発生します。東芝さんの場合必要な自衛隊を解体してしまって副作用が大きい。
まさに特異な思想です。
「・・・現存するものの肯定的理解の内に、同時にその否定、その必然的没落の理解を含みというものの見方で・・」
なですかこれ????法治国家の基本はなんですか?法律を守って国を治めるのです。その最高法規である憲法違反が国に存在することは許されません。だから政権は自衛隊は憲法違反ではないというのです。もし立法府国会の首班が自衛隊は憲法違反だと言ったら大変です。すぐに憲法改正か自衛隊解体どちらかを実行しなけらば行けない。旧社会党の村山が首相になった時に自衛隊は憲法違反ではないと宣言したのはそのためです。
また「日本国憲法を守る、という点でいえば、連合政権を樹立」・・・ありえないことなのです。そんな矛盾政策を主張する政権はできるわけないのです。
そのような矛盾を抱えて・・・集団的自衛権を語る。・・・・なぁ~集団的自衛権を感じて戦争を妄想する。が正しい表現かと・・笑。
集団的自衛権行使に戦争の動きを見ないのは、妄想が徘徊している、ということになります。歴代自民党が、憲法9条と集団的自衛権は両立しないと言い、この問題に手を付けなかったのに、安倍さんは、憲法改正を行わず、解釈改憲で行使はできるとして、180度転換し、「今までの解釈と何ら変わっていない」という態度を取りました。
集団的自衛権は、軍事同盟を結んだ国の一方が責められたら、一緒になって反撃するというもの。国際的には、これ以外の解釈しかないのに、あたかもいろいろな事態と解釈が存在するかのように言って、行使容認に踏み切りました。この言い分は、安倍政権内でのみ成り立つ議論です。それをマスコミが容認しているので、あたかも成り立つがごとくまかり通っているだけです。
軍事同盟における戦争参加を合理化する集団的自衛権を容認し、それに必要な法整備に入るというのは、まさに戦争への道への暴走以外にありません。この現実に対して、責任ある発言と生き方が問われています。逃げてはなりません。
集団的自衛権行使は憲法改正への布石に過ぎません。本来は50年ぐらいまえに憲法を改正するべきだったが・・・・
それと東芝さんの論理には、「自衛隊(必要)・・・憲法違反・・・自衛隊解体」に対する矛盾がある。それを自分自身でもわかっているので、
>自衛隊は、日本国憲法に違反した軍隊ですから、解体する必要があります。しかし、現存するものの肯定的理解の内に、同時にその否定、その必然的没落の理解を含みというものの見方で、現状を捉える目からいえば、必要だが、解体に向かう必要があるということになります。
日本国憲法を守る、という点でいえば、連合政権を樹立すれば、国民的な合意を図りながら、自衛隊を解体するということです。それには一定の時間がかかります。どれだけの時間がかかるのかは、国民的合意にかかる時間が必要だということです。
という訳のわからない理由で誤魔化している。シンプルに答えられない・・・つまり論理に不備がある。
せめて「自衛隊は不要」と答えてほしかった。そうすれば論理的に成り立つ。てっきり不要と答えると思ったんだけど・・・必要という回答でこちらがびっくりした。
集団的自衛権や憲法改正は、戦争とは関係ない。戦争は、共産党が自分たちの主張を認めさせるために勝手に持ち出した語句に過ぎない。
トリノさんは、多くの方が真剣に戦争への動きを批判しているのを全く見ようとしていないのか、あえて無視しているのか、どちらかですね。
全ての事物は、1つのものの中にある2つの傾向から成り立っています。自衛隊の存在そのものが、憲法と矛盾しています。矛盾しつつ存在しているものをどう把握するのか。ということです。
現実に憲法を合わせるべきだとか言って、右に舵を切ることが、戦争への道に手を貸していることに繋がっています。この現実に目を向けるためには、勇気が必要です。勇気をおもちください。
>自衛隊の存在そのものが、憲法と矛盾しています
法治国家である以上その矛盾を修正する必要があります。戦争の問題と関係ありません。僕は政権与党ではないので、自衛隊は憲法に違反していると思います。だから憲法改正が必要だと語るのです。
東芝さん政治家でしょう?論理的におかしい部分は正さなければ行けない。
>自衛隊は、日本国憲法に違反した軍隊ですから、解体する必要があります。しかし、現存するものの肯定的理解の内に、同時にその否定、その必然的没落の理解を含みというものの見方で、現状を捉える目からいえば、必要だが、解体に向かう必要があるということになります。
日本国憲法を守る、という点でいえば、連合政権を樹立すれば、国民的な合意を図りながら、自衛隊を解体するということです。それには一定の時間がかかります。どれだけの時間がかかるのかは、国民的合意にかかる時間が必要だということです。
ここよ・・・おかしいのよ。自衛隊(必要)・・・憲法違反・・・自衛隊解体という論理にいたる理由のごまかし部分。
特に
>現存するものの肯定的理解の内に、同時にその否定、その必然的没落の理解を含みというものの見方で
宗教なの???意味不明です。
自然科学に造詣が深いという方が、弁証法的な見方を知らないのは、残念です。この言葉は、マルクスに由来のある言葉です。
たとえば、磁石のN極とS極、+と-、陽子と電子、光子は粒子であると同時に波長でもあるとか、物質の量と質の関係、生物の生と死、同化と異化、社会においては、資本家と労働者の関係、社会的生産力には一定の社会的生産関係が照応するという関係、これらは、すべて1つのものの中にある2つの傾向です。この2つの側面の中には、存立の条件でありながら同時に、1つのものの中で相反している関係にある場合もあります。
1つのものの中にある2つの傾向というのは、広く現実に存在していることであり、物質の存在の根本的なあり方です。矛盾の中には、解決しがたい、分かちがたいその事物の根源的な存立に関わる矛盾もあれば、諸関係の中で生まれている矛盾もあります。陽子と電子の組み合わせで成り立っている原子の中には、自己崩壊していく原子もあります。陽子をぶつけることによって核分裂反応を引きおこすウラン235のようなものもあります。陽子と電子から成り立っている原子が壊れるときにとてつもないエネルギーが放出されるのは、壊れにくい原子のバランスを崩した結果、生じるものです。
自衛隊と憲法との関係は、諸関係における矛盾の1つですね。このような解決しやすい矛盾であっても、解決には時間がかかるということです。自衛隊は憲法違反の軍隊ですが、同時に一定の国民的信頼を得ています。自衛隊の本質は、アメリカの軍事戦略に組み込まれた、対米従属の軍隊であり、治安活動に見られるような国民弾圧の軍隊だというところにあります。しかし、日本の国家公務員の中で、最大の組織になっています。対米従属、国民弾圧の軍隊だという本質は、国民本位の新しい政権が誕生すれば、情報開示によって具体的に明らかになるでしょう。そのときに、自衛隊を解体する展望が開けます。
国家公務員ですから「解散」といって解体すべきではありません。憲法との矛盾関係は、一定の期間続けざるを得ないということです。改組する過程の中で、国民にとって必要な組織への改編もおこる可能性があります。災害救助隊を国家公務員の組織として確立する必要も出てくるかも知れません。
肯定的に理解しながら、同時に批判的に捉えるというものの見方で、自衛隊を把握し、将来を展望するということです。
弁証法を問うているのではないんだけど・・・おまけに電気物性論のような…内容まで・・・笑。
「自衛隊(必要)・・・憲法違反・・・自衛隊解体」の理由を聞いているのです。はっきり言えばいいのに、自衛隊より憲法の方が大事だから自衛隊解体を目指すと。僕は憲法より自衛隊が大事だから憲法を改正します。
それと、まさかとは思うけど。
>自衛隊と憲法との関係は、諸関係における矛盾の1つですね。このような解決しやすい矛盾であっても、解決には時間がかかるということです。自衛隊は憲法違反の軍隊ですが、同時に一定の国民的信頼を得ています。自衛隊の本質は、アメリカの軍事戦略に組み込まれた、対米従属の軍隊であり、治安活動に見られるような国民弾圧の軍隊だというところにあります。しかし、日本の国家公務員の中で、最大の組織になっています。対米従属、国民弾圧の軍隊だという本質は、国民本位の新しい政権が誕生すれば、情報開示によって具体的に明らかになるでしょう。そのときに、自衛隊を解体する展望が開けます。
国家公務員ですから「解散」といって解体すべきではありません。憲法との矛盾関係は、一定の期間続けざるを得ないということです。改組する過程の中で、国民にとって必要な組織への改編もおこる可能性があります。災害救助隊を国家公務員の組織として確立する必要も出てくるかも知れません。
肯定的に理解しながら、同時に批判的に捉えるというものの見方で、自衛隊を把握し、将来を展望するということです。
と共産党の国会議員が公の場で発言したら間違いなくアウトです。
ぼくが書いたことを日本共産党の綱領は次のように書いています。
「3 自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる。」
未来のことですから、この程度に留めておくことが妥当だと思います。実際における自衛隊の解消は、この問題に直面した政権が具体的に担う事柄です。ただし、解消に至るまでには、一定の時間がかかることは、綱領の規定からも明らかです。
繰り返しますが、現実政治は、戦争か平和かの岐路に立っています。トリノさんの主張は、戦争に荷担する道にならざるを得ません。理論的な問題を思考実験と称して論じるところに物事の本質があるのではなく、現実政治の具体的分析にこそ、本当の分析があり必要性があるのです。矛盾している問題を、矛盾しているからおかしいというようなとらえ方をするのではなくて、なぜ矛盾した関係にあるのか、解決しなければならない矛盾であるならば、どのようにして解決すべきなのか、ということを重視しています。
日本共産党は、80年代後半まで(記憶ですが)、憲法第9条を将来にわたって守るという立場には立っていませんでした。憲法9条にもとづく国づくりが可能だという判断に至ったのは、アジアの中に平和を求める流れが成長し育ってきたからに他なりません。国際情勢の変化によって、9条に基づく国づくりが可能だとしたところに、立場の発展があります。過去、日本共産党は、非同盟中立・自衛という政策をとり、憲法9条では日本を守れないと言う立場に立っていた、と言われればその通りだと答える必要があります。過去の政策と今日の政策には整合性がないではないか、と指摘されれば、その通りと答える必要があります。
>自衛隊については、海外派兵立法をやめ、軍縮の措置をとる。安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる。
内容はともかくこれなら問題はないですが、
東芝さんのだと、「憲法との矛盾関係は、一定の期間続けざるを得ない」と書いている。憲法違反の状態を容認した内容に取れる。アウトです。
また「国家公務員ですから「解散」といって解体すべきではありません。」という文章があるのもアウト。憲法違反より公務員の地位を優先するように受け取れる。国会議員ならアウト。
それと日本共産党は、80年代後半まで(記憶ですが)、憲法第9条を将来にわたって守るという立場には立っていた件は、前から知っていました。突っ込んでも意味がないので触れなかっただけです。共産党は国会で非武装を批判して追及したこともある。もちろん遠い昔だけど・・・政治というのはころころ変わるのよ。