真実の見つけ方

雑感

朝から印刷物を和歌山市と岩出市、かつらぎ町で同時に印刷した。版下はメールで送ったりしたが、A4プリンターしかないところでは、USBを持ってコンビニに行き、マルチコピー機を使ってプリントアウトしてもらった。こういうときに役に立つのは、PDFファイルだ。マルチコピー機を活用すれば、かなりクオリティの高い印字ができることが分かったので、ぼくもお昼ご飯を買いに行ったときに、iPhoneからPDFファイルをWi-Fi接続でプリントアウトしてみた。

街中にカラーも含めて印字できるシステムがあるというのは、面白い。ぼくのiPhoneは基本的にマックに入っているファイルについて、iPhoneからも見ることができるので、iPhoneがあればかなりのファイルを印字できるということだ。iPhoneからの印字は、少し手間だが、USBからの印字は超簡単だと思われる。iPhoneさえ持っていれば、プロジェクターを使ってプレゼンさえできるようになってきているので、一昔前ならマジックのようなことが出来る世の中になっている。

昨日、友人と話をしているとマスコミが流している情報は操作されているという話になった。
「テレビは10年ぐらい前から見ていない」
という友人もいた。ネットの情報を読んで判断しているという話になった。しかし、テレビは真実を伝えていないが、ネットは真実を伝えているというのもどうも怪しい。ネットにはネット右翼的な情報が氾濫するようになり、韓国や北朝鮮を嫌う傾向が強まりつつある。何でもかんでも在日だというような批判も溢れている。でも、ほんまでっか、という感じでこういう会話を交わすのも面白い。

ネットでもう一つ多いのは、陰謀論の類いだ。日本を牛耳っている勢力という点で、日本共産党は、財界・大企業とアメリカという存在を指摘している。これは陰謀論ではなくて、事実の積み重ねによって浮き彫りになる日本の姿ということだと思う。日本を牛耳っているのは、在日だとか、フリーメーソンだとかいうような類いに話しも多く存在する。
陰謀論には、物事の裏事情的な説明によって成り立っている。社会の現象に対して、「実はこういう事情があり、この問題はこういうようにして成り立っている」というものだ。物事に対して、まことしやかに必然性をもって語られる。これらの必然的説明の中には明らかなでっち上げやウソが存在する。
調べながら思い出したのは、物理学の先生の話だった。ハウツーや陰謀論の類いは情報収集しても意味がない。注目すべきなのは事実について書いていること。ネットには偽情報が多いので気をつけること。自分の頭で問いを立て、それを追求する中で答えを明らかにしていく丹念な作業が必要。つまり、答えを探すのではなくて、答えは自分で見つけるということ、などだ。
こういう見方の根底には、事実の自己検証という作業が横たわっている。陰謀論が事実なのかどうかを見抜くためには、説明が上手に成り立っているから信用するというのではなくて、論じている前提や事実を自己検証するということだ。そういう目で事実を追及していけば、陰謀論が本当なのかどうか、見えてくる。
自然科学者には、自分が打ち立てた仮説が正しいと信じ、長期にわたって実験を繰り返し、悪戦苦闘している人がいる。しかし、この努力の中には仮説そのものの誤りも含まれている。自然科学者が自分の仮説を信じて暴走しにくいのは、たえず自己検証という作業と向きあっているからだろう。社会科学の場合、検証が自然科学よりもより一層難しいので、自分の打ち立てた仮説を信じ込んで誤った論理を展開するケースが多い。こういう事情があるので陰謀論もはびこりやすいということだろう。

ネットよりも本の方が信用できる。出版社にも傾向があるし、書いている人によって内容は大きく左右される。出版社に対する信用や書いている人に対する信頼が、本選びを左右しているともいえる。その場合でも、たえず自己検証を怠らないこと、つまり本の中に答えを探すのではなく、答えは自分の研究によって発見することが重要になる。事実にもとづく分析と考察、自己検証。信頼のおけるハウツー物ではない本による情報。そういうものが面白い。

私たちは、物事を一度に全ての側面を理解して把握することはできない。私たちの目の前にある事物のほとんどは、肉眼では確認できない。自分の目だけでは見えないものの方が圧倒的に多い中で、とらえようとする事物の全体像を把握するのは極めて困難だ。だからこそ、対象に接近するための不断の努力が必要になる。自分の思い込みを排除するためには、自分の問題意識に対しても、その前提を疑うという視点が必要になる。肯定的に理解しながらも、同時に否定、その必然的没落の理解を含むようなものの見方、考え方が物事の本質に接近できる唯一の道だと思っている。

雑感

Posted by 東芝 弘明