秋のはじまり

雑感

午前中2時間ほど、役場で地域猫活動の懇談会。休みなのに課長と職員さんの協力を得て話し合いのテーブルについた。ありがたかった。11時過ぎに帰ってきて、掃除をしつつ休憩し、お昼ご飯を食べてから、事務所に行った。
今日中に紀の川市の民報号外の作成をしたかったので、その作業に取りかかり、一通り終わったので、明日の議会だよりの視察受け入れの準備を行った。

秋めいてきた。昨年の彼岸花は、今年よりも咲くのが遅かった。秋のはじまりが昨年よりも早い感じがする。晩秋の寒い秋にも思いが残っているが、ぽかぽか暖かい秋の入り口がなんともいえない哀愁に満ちた感じがして、個人的にはかなり好きだ。感傷に浸るのが好きなところがあるので、次第に高くなっていく青空と雲を見ていると、気持ちが澄んでいく。

秋のはじまりは、やがて冬の入り口へと人々を運んでいく。すっかり秋に心が支配されると秋に心が満たされていく。今年はそういう秋を感じられるかもしれない。

やなせたかしさんは、夕日に対してひとりぼっちの夕日はどうしてそんなに寂しいの、みたいなことを書いていた。いいなと思った。ぼくが感傷に浸りたかったのは、父が早くに亡くなり、母も17歳の時に亡くなった影響が大きい。母が亡くなると4年ぐらいの間で兄妹がバラバラになった。そういう10代から20代初めの時期、和歌山大学経済学部の学舎の裏手のアパートに住んでいた。秋の寂しい感じが、銀杏の木に漂い、葉が道路に落ちる中を歩いていた印象がある。

そう、もっと春夏秋冬がくっきりしていて、互いに席を譲り合っていた時代。音のない世界に落ちる黄色い銀杏の葉。その時代に戻れないだろうか。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山県情報へにほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村 哲学・思想ブログ 哲学へにほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへブログランキング・にほんブログ村へ

雑感

Posted by 東芝 弘明