自分の言葉で語る

雑感

一般質問用の資料をつくっていたら、事実関係の把握ができていなくて、行き詰まってしまった。自分の頭で整理し始めると、細部で理解ができていないところが見えてきた。

「自分の言葉で語る」という言い方がある。それは、インプットとアウトプットの関係だ。インプットというのは、情報を頭の中に入れることだ。もちろん机の上だけで情報を得るのではない。歩き、体を動かして事実関係を把握し、体験する、本を読む、テレビを見、ラジオを聞き、人と会い会話を交わすなどいろいろなことをしながら把握するということだ。体全体、五感のすべてを通じて把握したことがインプットにあたる。

しかし、インプットだけでは、オリジナリティは生まれない。自分の言葉で語るためには、アウトプットしなければならない。アウトプットで最も即戦力になるのは、「語る」ということだ。他人に語ることによって、インプットされた情報が生きてくる。そのときに次のことが重要だ。

脳は24時間休むことなく動いている。意識は起きているときに働いているが、意識が消える眠っている間も脳は動いている。情報の処理は、潜在意識化で自動的に行われている。このことを積極的に、自覚的に利用することが重要だ。情報をインプットしたら、その情報は、潜在意識化で処理され整理されていく。ここまで書くと、「そんな馬鹿な」と思う人も多いだろう。しかし、潜在意識化の情報処理は、たいていの人が行っている。他人と自在に会話できる人は、情報処理が潜在意識化で行われているのを認めるべきだろう。このことを認めるのと認めないのとでは、大きな差が出る。

会話というのは不思議だ。相手の言葉に瞬時に反応して、会話がなされていく。かなり優秀なコンピューターでもこういう情報処理はできない。コンピューターによる情報処理が、人間の会話のようにできていると思う人は、テレビドラマのコンピューターと人間との会話というSFの世界と現実とを混同していると言っていい。

人間はどうして、相手の発した言葉にすぐに瞬時に反応できるのか。深く考えないのに言葉が出て相手と会話が交わされていく。
「あのときなんでこんな言い方になったのか」
と、後で後悔することも多い。それは、潜在意識化で情報が処理され、瞬時に反応しているからに他ならない。自分のことなのに、自分の考えていないようなことが口から出てくることはないだろうか。
人間の心は自分自身でも捉えにくいと考える人も多いだろうが、自分でも思ってもみなかった言葉が口から出るのは、心の問題ではなく潜在意識化で情報処理がなされているからだ。自分の思いや気持ちと合わないような言葉をなぜ人間は発するのか。心のどこかで感じていたことを(外界からの刺激に対して複雑に反応していたことが)、言葉になって出てくることもある。

脳にインプットした情報が、潜在意識化で整理され、考え方がまとまっていくというようになるために、何が有効だろうか。それは、文章を書くことに尽きると思っている。
文章を書くことは、思考を深めること、自分で気がつかなかったことに気がつくことでもあるし、自分の思考を見える化することによって、物事の論理構造を自分の目の前において、その論理構造に基づいて考えを深めていくことになる。気がつかなかった側面に気がつき、不十分さを感じ、さらに調べることによって正確さを増していく。これが書くことによって実現する。インプットした情報は、アウトプットすればブラッシュアップされて、より豊かになる。

日々、こういうことを繰り返していると思考は深まっていく。1つのテーマを徹底的に時間を掛けて探求していくと、新たな発見が積み重なっていく。

「自分の言葉で語る」ためには、判断の積み重ねが必要になる。物事を徹底的に調べつつ、判断を積み重ねていくと、自分の言葉で語れるようになる。資料を作成していると、不十分さが見えてきて、調べないと先に進めなくなったら調べればいい。そうすれば、印象も深くなるし視野も開ける。
潜在意識化での情報処理。文章を書くことによる思考の探求と事実の追求。この先に豊かな「自分の言葉」がある。

9年目の3.11。黙祷を捧げたい。


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雑感

Posted by 東芝 弘明