エッセイが書きたくなってきた

「ベスト・エッセイ集」を読んでみたくなった。日本エッセイスト・クラブ編のこの本は、文藝春秋から刊行されていた本で、2011年版を最後に編集されなくなった。
「『ベスト・エッセイ集』という本があって、いい話がいっぱい書かれている」というような話をラジオで聞いて、読み始めたのが最初だった。
この情報に触れたのは散髪屋さんだったような記憶がある。1983年の『耳ぶくろ』を買い求めてから、ある時期まで毎年買い続けて読んできた。いつのまにか買わなくなり、気がついたら編纂が終了していた。慌てて全巻をそろえたのは、5年前のことだった。そのときに買った本の何冊かは、持っていた本と重なってしまったので、何人かの人に受け取っていただいた。
エッセイの中には、そのまま短編小説のような感じのするものがある。今読み始めているのは『人間はすごいな』という2011版のものだ。3月議会に忙殺されていたときの、議会準備の作業場は自分の書斎だった。息抜きに読み始めた『人間はすごいな』のことを思い出して、2階の書斎から持って降りてくる気になったのは、『読書会入門』という本を読んだからだ。
論文は、ものの見方に対してヒントを与えてくれる。今日読んだ経済学者の新聞記事は、新型コロナを社会全体の中において考える上で、新しい視点を付け加えてくれるものだった。新しい視点は、新しい事実を読み解く力になる。
でもエッセイや小説には、論文にはない力がある。
エッセイは、ものに対する感じ方を豊かにしてくれる。人間は五感を通していろいろなことを感じて生きているのだが、忙しい日々の中にいると五感がそぎ落とされていく。忙しく動いていると、感じ取らなければならない新鮮なものが見落とされて、意識から排除されていく。そういう生活になっているのが悲しい。心が渇いているときにエッセイなどを読むと、機能停止に陥っている感覚が呼び起こされ、自分の中の何かが回復されるような気持ちになる。乾いた砂に水が染み込むように。
「今日はスーパームーンやで」
一昨日の夜、月を見ながら娘がそう言った。家族みんなで車に乗ろうとしていたときのことだった。
今日の夜、夕食を食べてからしばらくして、外に出ると庭が明るかった。流れる雲から月が見えようとしていた。スーパームーンのあとの月もいい。そう感じながら車まで歩いた。
桜は、誰にも見られていないのに夜の風の中で花びらを散らせている。なんだかそんなことが気になった。
ワードプレスのバージョンが上がると、記事を書くエディタの画面が明朝体になった。目の前に表示されている字体は遊明朝体だと思われる。以前はゴシック体だった(ブログとして表示されるときはゴシック体だ)。明朝体で文章を書くのと、ゴシック体で文章を書くのとでは、できあがる文章の水分量に違いが出る。明朝体の綺麗な字を見るとエッセイが書きたくなる。














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