ヒトラー 最後の12日間 2006年2月26日(日)
ヒトラー 〜最後の12日間〜を見て山本薩夫監督の評論を思い出した。
“東條英機は、家族に対しては愛情豊かな人物だったが、それをもって彼が果たした罪を免罪することはできない”
評論ではこういう意味のことが書かれていた。この評論は、1980年頃に「赤旗」に書かれた文章だったと思う。
山本薩夫監督は、人間を描くときに、画一的に、類型的に描くことを戒めつつ、歴史の中で果たした役割についてその本質を描く重要性を書いていた。
オリバー・ヒルシュゲール監督は、トラウドゥル・ユンゲというヒトラーの女性秘書の証言を元にこの映画を作成した。この映画は、人間としてのヒトラーを見事にとらえた作品に仕上がっていると感じた。
ヒトラーは、女性秘書や子どもにも優しく接していた。個人的には優しい側面を豊かにもっていた人物だったのだろう。
映画の中でユンゲは、ヒトラーについてエバァにこう語る。
「私生活は優しいが、冷酷な言葉を発する」
「総統の時ね」
エバァはこう答える。
最後の12日間のなかで、独裁者は自暴自棄になり、判断を誤り、妄想に近い言辞をはき、混乱し、過信し、逆転できるかのように戦力を誇示し、裏切りに怒り、将軍の無力をののしり、将軍たちに責任をなすりつける姿が描かれていた。国民に対しては、生き残っている国民は人間のクズであると言いきり、勇敢な人間は死んでいると言い放った。
「国民に対して何の責任も感じない」
ヒトラーはこうも言った。
ヒトラーは、まわりの者には優しくありつづけながら、総統としては追いつめられ、やがて自決を選択していく。次第にヒトラーは憔悴し、しかし、まわりの者には逃げ延びよ、自由にしろと語る。あのゲッペルスに対しても地下要塞を離れよと命令を下す。ゲッペルスは、この命令には従えないと涙を流す。
人間には多面的な側面がある。それらの側面を映画はよくとらえていた。人間ヒトラーがそこにいた。ヒトラーの何が問われていたのか。この映画はそういうことを考えさせてくれる作品だった。
ゲッペルス夫妻は、自分たちの子どもを毒殺する決意をして地下要塞に子どもたちを連れてきた。婦人は、ヒトラーとエバァが自決したあと、しばらくして子どもたちに睡眠薬を飲ませ、眠らせたあと、毒薬を口に含ませて殺害した。「ナチズムなき後のドイツは考えられない」
これが婦人の殺害の動機だった。夫妻は、要塞から出て外でピストル自殺とげた。
映画の中のゲッペルスの生き方を見ていると、ヒトラーをカリスマに仕立て上げながら、自分でも心底ヒトラーに惚れ込んでいたのだという感じがした。ヒトラーとゲッペルス、この2人の中には狂気が混在していた。
独裁者が死を選び戦争指揮を投げ出しても、ゲッペルスのように、まわりの多くの人々は、忠誠を忘れず死をともにした。
何が人々をそこまで心酔させていたのだろう。ヒトラー自身にそれだけ人間的な魅力、カリスマ性が備わっていたのだろうか。ヒトラーがもっていた人を引きつける力が何であったのか、どうしてまわりの人々はヒトラーの暴走を止められなかったのか。この疑問は大事にしたいと思った。
ヒトラーは、都市の模型を前に、中世のような美しい都市を建設したかったと語り、それがかなわなくなった今、ベルリンの総てを破壊せよと命令した。この命令自身、狂気の産物だった。この異常な命令に従い執行していく様が映画には描かれていた。多くの人々が、狂気の中にあってそれを疑わなかった。
歴史から多くのことを学び取らなければならない。それは現在に生きる人間の前に立ちはだかっている宿題だ。
現在進行形の問題に対して、熱病や流行に流されることなく、自分たちの目で真実を見抜き生きることは、現在の日本でも問われている。
新聞やメディアは、国民よりも先に、真実を見抜く目を失ってしまった。これは恥ずかしいことだと思う。「国民とともに立たん」と言った新聞の良心は、改憲宣言とともに葬り去られてしまった。新聞やメディアに依存したものではない科学の目をもたなければ、熱病と流行に巻き込まれてしまう危うさが現在にも蔓延している。
ヒトラーと同じ狂気は日本にもあった。この狂気は東條英機に遺書にも鮮明に現れている。
読んで考える価値はあると思う。
《日本同胞国民諸君》
今はただ、承詔必謹する〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕だけである。私も何も言う言葉がない。
ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国あるということは動かすことのできないことである。
力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、天が定まる日を待ちつづけていただきたい。日本は神国である。永久不滅の国家である。皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。
諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。(ウキペディアより引用)
戦争責任は我が国にはなく彼の国にある。
ぼくたちは、この狂気を批判しなければならない。











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