またもやZoom会議

雑感

またもやZoomによる会議。今回は1箇所、マイクがうまくいかなかった。音声が発せられなかったので、その会場からはメモ書きが示された。ストレスを感じる会議になった。Zoomによる会議が安定的にできるようになりたいもんだ。

知人のFacebookを見ると、高野山内はマイナス5度だったらしい。45年前はマイナス10度以下になったから、同じような気候になったとはいえ、ぼくが高校2年の時の方が寒かった。

会議を開いて情報の共有と意見交換をして、問題を自分たちで共有することの大切さを感じる。お客さんにならないで当事者になって対応する。責任を共有するには、おそらくは会議の中で個人の尊厳とともに、個人の意見が大切にされることが必要になる。そうして初めて人は積極的に会議に「参加」するようになる。

こういう会議を成立させるのは難しい。しかし、その方向を目指して努力していれば、思いを一つにできる瞬間はある。そういう積み重ねが組織を作るともいえる。日本共産党も「楽しく元気の出る支部会議」という方針をもっている。「楽しく元気の出る支部活動」ではなくて「支部会議」としているところがいい。如何にして「楽しく元気の出る支部会議」をくつるか。ぜひ月刊誌などで特集を組んでいただきたいと思っている。日本共産党によるフェシリテーター養成講座。そういう研究をしてほしい。

会議運営の技術論とその技術論を貫く民主的な哲学。これが日本共産党のファシリテーター論だ。人類の知識の集大成をめざすのが科学的社会主義なのだから、首尾一貫した民主的な会議運営論を確立してほしいと思っている。

否定的な意見も含め、提案(「この命題は実行すべきでない」というのも提案)はすべて議題にして、会議参加者で答えを出す。小さな会議であれば、個人1人1人に議題の提案権がある。普通の会議では口頭発言も提案。その提案を取り上げて議題にするのは会議運営者となる。意見が対立したら、仕切り直して、もう一度会議参加者に問いかける。そこからがみそ。対立した意見を参加者がもう一度まな板にのせて、答えを出し意見の一致を見いだす。

会議がこういう力を持っているということを、知らない人は多い。意見が対立したらまとまらないと思い込んでいるが、そうではない。まとまらなくなったら、実はまとまる入り口に立っていると考えた方がいい。
「AとBとCの意見があります。みなさん、どうしますか」
と問えば、対立していた意見の調整が始まる。出された意見を真剣に考え、譲歩する人、考えを改める人がでてくる。
本当は多数決なんてそんなに必要がない。最終手段として多数決という方法を否定はしないが、意見交換しながら合意を形成しようとしている組織の会議には、ほとんど多数決は必要ない。
もちろん議会は別物。議会には議会運営のルールがあり、このルールに従って運営されるので、議会の仕組みとして、つねに採決によってことが決するようになっている。全員一致も多いが、意見が対立すれば必ず多数決でことが決する。

意見が対立したときに、会議参加者に選択を委ねることができるかどうかは、結局、会議参加者を信頼しているかどうかによる。一人一人の意見を大切にしている組織は、会議参加者の意見を否定しないで合意を形成できる。一人一人を信頼しリスペクトしているかどうかが最も大切。個人の尊厳の尊重とリスペクトを実践的に最後まで貫けるかどうか。ここに会議の神髄がある。そうかんがえると会議というのは奥が深い。

雑感

Posted by 東芝 弘明