メディア=媒体=媒介=橋渡し

雑感

「しんぶん赤旗」に、選挙期間中のマスメディアの報道についての分析記事があった。メディアという言い方が幅をきかせている。
メディア=媒体=媒介=橋渡し。
日本の媒体であるメディアは、情報の橋渡しの時に、かなり主観的な取捨選択を行っている。

しんぶん赤旗の12月29日の記事の一部を引用してみよう。

それがもたらすものは、単にメディア露出の「量の問題」にとどまりません。民自公、「第三極」という「自民党型政治」の枠内の政党しかださないことで、その外にある真の対立軸がおおい隠されています。

 たとえば、「朝日」6日付の「公約を問う」という企画の中の財政再建を考える記事には、民主、自民、未来、みんな、維新しかでてきません。富裕層増税を論点にしながら、富裕層増税を主張する日本共産党はださず、「各党は財政再建の道筋を示していない」とします。

 7日付の社会保障を争点とする企画でも、共産党の財源論にはまったくふれずに、「多くの政党の公約は財源の根拠が乏しい印象がぬぐえない」「各党の理念と政策は入り乱れ、必ずしもきれいに対立軸は描けない」という、有権者の選択にほとんど役立たない記事に終わっています。

 こうした展望の見えない「袋小路」記事は、11日付の沖縄の基地問題、12日の生活保護問題なども同様です。

 同じことは「毎日」にもいえます。「選択の手引」という争点企画の経済政策を考える回(14日付)は「デフレ」脱却がテーマですが、登場するのは自民、民主、維新、みんなのみ。「国民の家計を温めて内需を起こす」という対抗軸はまったく出てきません。

記事にある「富裕層増税を主張する日本共産党はださず、『各党は財政再建の道筋を示していない』」ということについて、もう少し書いてみよう。

日本共産党は、累進課税の強化を主張し、その中で富裕層の増税を求める提言を発表している。
税制度の民主主義の基本は、総合課税、累進課税、生計費非課税。「累進課税を強化すれば、消費税増税は必要ない」という主張は、税体系のことを知っている人からすれば、王道になる。消費税増税に反対であれば、累進課税の強化になるというぐらい当然の対案だ。しかし、この対案を紹介しないで、「各党は財政再建の道筋を示していない」と言い切るのは、日本共産党の提言を無視しないと書けない。社会保障における「各党の理念と政策は入り乱れ、必ずしもきれいに対立軸は描けない」という書き方も、対立軸を示している日本共産党を無視しないと書けない。

テレビのコメンテイターになるともっとひどくなる。
日本共産党は、原発即時ゼロという提言を発表している。この提言の一番のテーマは、ただちに原発をゼロにできるのかどうか、だ。この提言は、この疑問に答える形で書かれている。
この提言の存在を知っているのか知らないのか、識者は簡単に「日本共産党の主張は説得力に欠ける」といってのける。
消費税増税については、「増税が必要なのは国民も理解している」といってのける。

主観的な取捨選択。無視と強弁。それは、自民党の論戦の仕方と同じ。国会質問では、日本共産党の追及に対しては、まともに向きあわなければならないので、答弁もすれば反論もする。しかし、テレビの討論会になると、日本共産党の主張に対して、よってたかって反論して、発言を抑え込むようなことが多い。
テレビは一発芸。短い言葉で表現することを徹底的に求める。
テレビでじっくり物事を明らかにするためには、ドキュメンタリーの手法が必要になる。NHKにはいい番組がある。この手法で日本共産党の提言を紹介すれば、かなり説得力のある番組ができるだろう。

日本のメディアは、媒体としては、かなり歪んだフィルターだ。日本共産党は、アメリカと財界という既得権益に立ち向かっている。マスメディアは、日本共産党のこの姿勢が気に入らない。そういう政治勢力については、全部フィルターにかけて、まともに描かないという態度を取る。その一方でこの2つの勢力の要求に近いものについては、洪水のように情報を垂れ流す。

原子力発電所の事故によって、日本の汚染がどんどん進んでいることを告発しないで、日本に原発は必要だということを思わせるような情報が溢れている。多くの人は、原発は必要なのではないかという意識をもつ。
しかし、福島事故の現実は、確実に日本を蝕んでいる。
「このような事故を二度と繰り返してはならない」ということが、事故から導き出される原点にはならず、日本は原発再稼働かどうかが問題にされる。

国民のすべてが、生の情報にタッチできるはずがない。マス・ミュニケーションは、たくさんの情報を伝達すること。同時にコミュニケーションは、意思の疎通、情報のやり取りという意味も含む。日本の場合、マスコミという言葉よりもマスメディアという言葉の方がよく使われるようになってきた。たくさんの媒体、媒介。ここには、コミュニケーションが介在しなくなっている。
マスコミと言った場合、どのような立場に立って情報を伝達し、コミュニケーションを図るのかということがテーマにされてきた。しかし、マスメディアになると、媒体は媒介となり、単なる情報の橋渡しになる。しかも、それはいつもフィルターとしての役割を担っている。そこから出てくる情報には、たえずバイアスがかかることになる。

今回の選挙報道をみて、横並び、同じ報道の仕方が目立った。朝日、毎日、読売、産経。どうして各新聞社は、判で押したような報道姿勢になるのか。
読売新聞の販売店主の方に聞いてみた。
「記者クラブがあるでしょう。そこでみんな相談しているんですよ。選挙期間中はスクープなんてないでしょう。他社を出し抜くなんて絶対にしない。足並みを揃えるんです」
それが事実なのかもしれない。

雑感

Posted by 東芝 弘明