人は何のために生きるのか
朝からアンケートをもって訪問。大きな家の玄関に立つと年配の女性の方が、
「東芝さんは若い頃、赤旗の集金のために家に来てくれていた」
そう言っていただいた。顔を見ても記憶がよみがえらなかったが嬉しかった。
「アンケートのお願いに回っているんですが、少しよろしいですか」
こう声を掛けると、出来来てくれる方がいる。10代、20代の人にも出会うが、政治や社会に関心のない人が多い。それでもアンケートに答えてくれる。ほとんど回答はないけれど、それでも対話は面白い。
自分の人生を、「他人ごと」ではなく「自分ごと」にして生きることが必要だよというメッセージを本当は届けたい。
自分の人生に対する「覚醒」が求められる。誰かに導かれて「覚醒」するのではなく、何かに依存して「覚醒」するのでもなく、偽情報に絡め取られて「覚醒」するのでもない。社会と経済、政治を捉え直すことによって、自分の人生を「覚醒する」。そのためには「大学で学ぶ」ことが必要なのかも知れない。
自分が誰で、世の中はどういう仕組みで動いているのか。その中で自分は何のために生きているのか。
自己の捉え直し。人間として誕生すると、物心がつくころからはじまってから主体的に生きはじめるが、人間は生のプロセスの中で、もう一度、政治と経済、社会と文化と地域の中で生まれ変わる必要がある。それはいわば学習による「覚醒」なのかも知れない。具体的事実に基づく「覚醒」は、科学的な生き方への道だとも思われる。この科学の根底には「哲学」が必要になる。全体を捉える哲学と部分を捉える科学。科学は哲学という木の幹から伸びる枝だろう。科学は哲学という幹を必要とする。
宇宙への探究は、人間とは一体何なのかという問題意識によって支えられている。宇宙への探究は、わが人類とは何なのかという内なる旅と密接不可分につながっている。
自分の人生に対して、自分が主人公になるための「覚醒」。そのために学問はある。



