肩叩き。
この頃左肩が凝っていて、さわるとコリコリ、ゴリゴリいう。
夕方から急いで演説原稿を打っていると右肩が妙に凝ってきた。
五十肩かも。
肩が凝るという話を色々な人がしているのをぼくは横目で眺めてきたし、嫁さんが「肩をもんで」と言って、もんであげたりしていても、「なんで、肩なんか凝るんや」みたいに、どうも人ごとのようなところがあった。
しかし、ほんとに凝ってくると「コリコリ」実際に音がするのだから驚きだ。
子どもの頃、小さかったのに、母親の肩を叩いたりもんだりしていた記憶がある。
最初は楽しそうに叩いたりするのだが、直ぐに疲れてくるし、飽きてくるので、「もういい?」と聞いてやめようやめようとしていた。
「もうちょっと」
と言われると、「えー」とか言ってがんばって叩いていた。
「あー気持ちよかった。ありがとう」
母親にそう言われると、ちょっぴり恥ずかしく、でも嬉しかったものだ。
母親は小学校の教師だった。ぼくも妹も母親がつとめる小学校の生徒だったし、ぼくは3年生と4年生のときには、母親に担任をしてもらっていた。学校では「先生」と呼び、家では「おかちゃん」という生活が2年続いた。
「弘明だったから担任をもてた」
母親は何度かそう言ったことがある。
2つ下の妹は、初めての女の子だったので、母親としては溺愛に近かったのかも知れない。小学校に上がっても妹は母親の胸の中で毎日眠り、朝目が覚めて母親がふとんの中にいなかったら泣いて母親を捜すような女の子だった。
ぼくは、それが腹立たしかった。自分が母親に甘えられない分、妹が憎らしかったのだ。
「この子は世話のない子」
そう言われながら育ったので、子ども心にも母親との間に客観的ともいえるような距離を取っていた。
こういう関係だったので、担任をもってもらうことができたのかも知れない。
肩こりの思い出は母親の背中につながっている。
もうすぐ50歳という年齢になる。このまま、病気もせずに普通の生活をおくれば、あと数年で母親が生きた年齢を追い越してしまう。
47歳でガンに侵され51歳で亡くなった母。
母親が元気だったなら、ぼくが成人して大人になってからも肩叩きをしてあげれたのに。
「もいいい?」
などと言わずに。
母の背中にありがとうという言葉をこちらからかけることもできたかも知れない。








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