反対討論
12月会議が終了した。反対討論を3本行った。
「傍聴者が東芝君の反対討論を聞いていたら、本当にその通りと思ってしまうんと違うか。長いけど」
議員のいる部屋に入るなり、そういう言葉が掛けられた。
討論のために聞き取りもして、過去の資料にも当たって書いたので、自分としては訴えたいことをすっきりと伝えることができた。
なぜ反対するのか、だけではなく対案を示し進むべき道を訴えたいという思いがある。それは、自分自身と日本共産党議員団が活動の指針とすべき1つの指標にもなる。
長くブログを書いてきて、感じるのは、書くことが物事を考えることと深くつながっているということだ。書くことによって発見することが多い。物事に対する新しい視点、観点に気がついて、さらに調べると見えてくることがある。
そういう風になったのはいつぐらいからだろうか。これはよくわからないが、ブログを書き出して以降だというのは間違いない。書くことは深く考えることと直結している。これが今日書いたことで得た1つの認識だ。
東芝さんの考えに同感します。
自分の考えを可視化することは大事ですね。
また、対案で更に自分の考えが深まる。
ダメなのは考えることを止めてしまうこと。
海外で反対派の人たちのデモを見るたびに
日本人は本当に扱いやすい人種なんだな~と痛感します。
そうですね。そういうことだと思います。
ワタナベさんのコメントを読んで、少しコメントとは、ずれたことを考えました。
テレビを見ているとものを考えなくなると長いこと思っていましたが、NHKの科学番組やドキュメンタリーを見ると、物事を深く考えるきっかけを与えてくれたり、問題意識を与えてくれます。映像は印象的で受けに身なりやすいという側面はあるけれど、それは、映像の作り方に問題があるのだと思います。
ビジュアルな映像を駆使しながら、一緒に思考を深めていく番組は作ることができるし、映像を通じて人間に認識に強く刺激を与えることもできます。
考えさせる番組というのは、調べていくとこういうことが見えてきた。というようなナレーションがあり、一緒に知的な冒険や旅に連れて行ってくれて、さらに一緒に考えてくれるような番組はできます。
印象だけを振りまいて、根拠をほとんど明らかにせず、問題を深めていかないというニュース番組は結構あります。考えているような印象を与えながら、思考を促すような編成にはなっていないということです。
そこには、意図があるケースが多いと思います。
そういう映像文化とも向きあって、自分の思考を深めていくためには、考え続ける必要がありますね。