マスメディアの報道 2006年4月22日(土)
木曜日から日曜日まで早朝配達があり、日曜版を180部ほど配らなければならないので、金、土、日は結構忙しい。
土曜日の朝は、1時間40分ほどかけて日刊紙と日曜版を配る。役場への配達は準備も含めると2時間ほどかかる。土曜日は、これ以外にも1時間半ほど配達しなければ完了しない。
46歳になると体力が落ちてきたのか、土日になると疲れが溜まってくる感じだ。
お昼、食事を取ると無性に眠たくなってくる。最近は半時間ほどうたた寝をする日もある。
日本共産党は、「しんぶん赤旗」に支えられて活動している。テレビやマスコミが日本共産党のことを十分伝えないから、「しんぶん赤旗」が重要な役割を果たしている。
マスコミのおもしろさ(?)は、非常に恣意的な報道姿勢にもある。27歳の頃、東京の代々木公園で17万人を集めた集会があった。NHK本社の真ん前の公園は人で埋め尽くされていた。これだけ人が集まるとデモの隊列が公園から出て行くのにもかなりの時間がかかった。
しかし、この日、NHKはこの集会をほとんどニュースとして流さなかった。
消費税導入反対の時にも大きな規模の集会があった。
そのとき、ある新聞は、数千人の社会党の反対集会を3段か4段抜きで大きく紹介し、10数万人規模の集会の方は、数行のベタ記事扱いだった。
数千人の集会の方がニュース価値があるということだった。
テレビは、おこなおうと思えば簡単に情報操作をおこなえる。イラク戦争の時にフセイン像を引き倒す民衆という映像が紹介されたが、銅像はフセインの像ではなく詩人の像で、引き倒したのは米軍による組織された演出だったことが、しばらくして暴露された。
街頭インタビューで街の声を拾っているような報道には注意が必要だ。
何人もの人にインタビューをしているが、どのインタビューを採用してどのインタビューを採用しないかを判断するのは、テレビ局だということだ。
テレビは、強烈な印象を与えるが、事の本質をじっくり考えさせるのは苦手なメディアだ。政治家のコメントもほんの数秒に縮められて紹介される。
編集によって、世論を演出することは可能なのだ。
選挙戦がワイドショー的になって、熱病のようなブームをともなって描かれるようになった。テレビを観ていると、政治という舞台をドラマ仕立てで描くようになってきている。
情報化時代は、じょうずに描けば、一方向に情報を流し込んでいくことのできる側面をもっている。
事実の積み重ねで事の本質に近づいていく努力は、より一層重要になっている。
事実の中から本質を見いだす上で、哲学が導きの糸として十分に活用されなければならない。事実を大切にするものの見方は、自分の概念を打ち壊していく。自分の先入観や問題意識が打ち壊され再構築していくときの変化もおもしろい。
事実による真実への接近。ここにはいつも認識の発見と飛躍がある。








ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません