うれしい電話がかかってきた

雑感,出来事

街宣から戻って、事務所で音声データをホームページに載せる方法を検索していたら、電話がかかってきた。
Twitterでのやり取りに対して、それを読んでくれた人からの電話だった。かつらぎ町民の方からの抗議かなと思って話を聞いていると、ぼくが丁寧に書いたと思っているブログの文章も読んでくれて、「議員の中でこんなに詳しく歴史を調べている人はいない」と言っていただいた。

共産党に確信的な疑いを持って、ツイッターに書いてくる人に、できるだけ丁寧に対応してきたが、書かれた人たちの中には、かつらぎ町民も読んでいるから、こんな議員がいることを、町民がどう思っているんでしょう、というような意味のことを書いている人もいた。

ぼくは最初から、Twitterにはふさわしくない議論ですと言うことを書いていたが、集まってきた人はお構いなしだった。仕方がないので、議論したい人はブログにお越し下さいとも書き、ブログの方には、まとまった形で治安時報等被告事件のことを詳しく書いた。この事件の一番確かな資料は、宮本顕治公判記録だと今でも思っている。この記録には、裁判の全ての記録がある。膨大な記録だが、ここは裁判官や検察側の考え方も全て入っている。
事件は、大泉と小畑という特高警察が共産党内に送り込んできた2人のスパイを査問調査し摘発、党から除名するということのなかで発生したものだった。調査の2日目、小畑が心臓麻痺か何かで急死し、調査は中止された。このことを特高警察は、共産党内の派閥抗争の結果、リンチを受けて小畑は殺害されたと描いて、大々的に発表した。しかし、事件当初、特高警察が描いたこのシナリオは、裁判の中で完全に破綻した。しかし判決は、このシナリオに沿って出されるという異常なものだった。
宮本顕治さんの裁判では、証人の申請を全て却下し、一人の証人も認められなかった。客観的資料であった、遺体の鑑定をした医師に対する証人尋問も実現しなかった。
鑑定には鑑定記録というものがある。鑑定の記録では、遺体にはほとんど外傷らしきものはなかった。しかし、鑑定による医師の所見は、鑑定記録と大きく食い違うもので、外傷性のショック死だとされた。
鑑定記録と全く食い違う鑑定所見。戦後の裁判ならば、鑑定した医師が法廷に出席して、被告人の尋問に答える。しかし、これさえ実現しなかった。検察側が殺害したというが、誰が殺害したのかも、どのように殺害したのかも明らかにできないまま、宮本顕治さんには治安維持法違反、傷害致死という判決が下された。
裁判の実態は、完全に裁判そのものが崩壊して、継続できないような内容だった。
こういう内容だったにもかかわらず、Twitterでのやり取りは、でっち上げの裁判に対してインターネット上にあふれかえっているむちゃくちゃな言説を「証拠」として提示し、ぼくに訂正を迫るものだった。
結局、ぼく一人で多くの人のコメントに対応していたし、140文字という制限の中で充分に受け答えするということにはならなかった。やり取りをしていた人々は、ぼくの伝えたいことが全く伝わらず、結局は共産党攻撃をさらに拡大させるようなものになった。

こういうやり取りの中で共産党を支持している方から、共産党に対して攻撃したい人とやり取りをしても納得してくれることはないので、やめたほうがいいという忠告をいただいた。
ぼくのやっていることは、共産党攻撃のツイートを広げているだけだなという思いもあったので、この方の忠告を受け入れて、それ以後、一切質問に答えないようにした。こういう中で、このやり取りを冷静に眺めている人がいたとして、そういう人々にぼくの言いたいことが伝わっていたんだろうかという不安が残った。

そんな感じだったので、相手にしたこと自体がまずかったなあと思っていた。おそらくまずかったというのは正しいと思われる。今後もまともなやり取りにならない人に対しては、Twitterなどでのやり取りは避けるべきだろう。

ぼくに対する質問で一番困った質問は、全く事実誤認の前提に立っているものだった。戦前の日本には国民主権の原則がなく、国民主権を掲げることが最大の犯罪だったことへの認識がないまま、または特高警察が「危険思想」(国民主権が天皇主権を正面から否定していたので、国民主権そのものが最大の犯罪思想だった。戦争反対は国策の最大の課題を正面から否定するので、許しがたかった。これに比べると、国民主権を主張せず、戦争反対を避ける社会主義思想に対してはまだ弾圧が緩い時期もあった)を最大の犯罪として取り締まっていたことを知らないまま、今の時代と当時の時代が同じかのような認識で問われると、その当時の時代についての説明をしないと相手に真意が伝わらないので、140文字という制限の下では返答のしようがなかった。
一番驚いたのは、宮本顕治さんたちへの裁判が治安維持法違反に問われた裁判だったのに、裁判と治安維持法は何の関係もないという意見だった。これにはあきれ果ててしまった。しかし、同時に戦前へのまとまった認識がない人がいかに多いのかを知る機会にはなった。

とにかく、こんな変なことになったなか、嫌な気持ちがあったが、Twitterとブログを読んで下さった町民の方が、ぼく宛に電話を下さった。ぼくのしたことを理解してくれた人がいたことが嬉しかった。


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Posted by 東芝 弘明