議会改革を次のステージへ
今日から6月会議がはじまった。町長の挨拶の中で、宮井健次前議員が地方自治の発展に貢献したということで知事表彰を受けたことが紹介された。本人も喜んでいた。32年間の議員活動が評価されたことは嬉しいことだと思う。宮井さんの努力の上にかつらぎ町の議会改革がある。この改革が第2ステージに登れるよう今年は集中した努力をしたいと思っている。
建設的な議論が起こるように、問題点は深める形で会議を進めたい。出されてくる意見の違いは、もう一段深い議論になるよう必要な文献にアクセスしたいと思っている。
議会改革の一番の目的は、議員が住民の代表として、住民の声や願いを議会を通じて実現するよう議会運営を改善するところにある。そのために、議員は住民に向き合わなければならない。議員は根底に住民主権という考え方を据える必要がある。ただ住民には多様な意見があり、どこに住民の意思があるのかは、わかりづらい。
議員は、自分の判断で何がいいのかを見極めつつ、さまざまな提案が住民の幸福の条件を整えるものになるのかどうかを考える必要がある。そういう目安をもちつつ、住民の考えがどこにあるのかを広く探ることが大切になる。自分の考えに生き生きとした血流を与えてくれるのが、住民との意見交換になる。議員の方から住民の方に向う。議会そのものが住民との間で意見交換を続けていく。これがかなり重要な意味をもつだろう。
以下は、議員間で意見が分かれるだろうことを書いてみたい。
国政と地方自治の棲み分けを考えている人は多い。しかし、地方自治にできることを行うということでは、住民の生活は守れない。むしろ地方自治体は、国政が悪いのであれば、それを自主的に再検討して、自治体として何ができるのかを考える責務がある。
本当は、国政の問題にも踏み込んで、地方自治の可能性を探究するという態度を議員自身が取らなければ、住民主権を貫くことはできない。でもこの点で議員間の合意はあまりない。国政が政党間に分かれ、政党は経済的な利害の対立を背景として、態度が分かれている。この影響が色濃く地方にも現れる。国の生々しい政党間対立が、地方にも反映せざるを得ないので、意見の違い、政治的立場の違いを当然のこととして受け入れて、議会改革を一致点で進めることが必要になる。意見の違いを当然のこととして受け入れて、一致点で力を合わせる。ここに地方による議会改革の姿がある。
国の施策は上から降りてくるものなので、悪法であっても実行するしかないという態度は、本当は住民主権とは合わない。実際、戦後の地方自治は、国の政治に対してさまざまな創意工夫を発揮して改善を図ってきた。もちろん、国政が変化すれば、それが一番いいが、実際の国の政治は、国民の幸福の条件を整える方向で動いてきたとは言い難い。
国が国民主権を貫いて、政治をしてきたのであれば、GDPや国民の所得が伸びない、地方がすごい勢いで人口減少に苦しみ、規模が縮小するのに伴って、困難な課題が山積するなどという事態にはなっていない。日本だけが先進国で、極めて特異な衰退の中にある。こういう状況をつくった国政の責任は極めて大きい。
そういうふうに国政を見ている議員は少ないので、こういうものの見方、考え方を議員に伝えてもあまり意味はない。それでも18歳までの医療費の無料化や学校給食の無償化で一致点は広がっている。物事は具体的なので、国政に深く関わっている問題でも、地方自治体は次第に踏み込んで、具体的な答えを生み出していく。地方自治体は民主主義の学校と言われるが、国民主権を具体的に豊かに実現できる現場は、地方自治体であることが多いので、国政を良くするためにも暮らしに密着した地方自治体における努力には、計り知れない意味と魅力がある。
今矛盾が吹き出しているマイナンバー問題も、地方自治体による具体的な考え方が重要になる。国の言いなりになって、マイナンバーを推進すると、地方自治体の理念やサービスは後退せざるを得ない。何が便利になるのかという側面とともに、何が自治体から失われていくのかをよく見抜いて、自治の力を発揮することが問われている。新しい課題の本質を把握するという点では、やはり大学の教授などの先行的な研究が力になる。行政がまだ捉えきれていないマイナンバーの危険な側面を学びつつ、具体的な改善を求めていくところに面白さがあると言っていい。








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