日本の核兵器保有を考える
日本も核武装すべきと言う人が増えてきて、「被爆者の全員が核兵器廃絶を本当に求めているのか」という驚くべき書き込みまで目にするようになった。もちろん、ぼくたちは全ての被爆者が核兵器廃絶を求めているかどうか何て知らない。
この話をすると「日本人は想像力さえ落ちてきたのかな」という意見に出会った。被爆は、深爪をして血が出たとか、頭を打ってたんこぶができたとかいう話ではない。そういう話ではないこともある程度は知っているだろうけれど、「被爆者の全員が核兵器廃絶を本当に求めているのか」なんてことをどうして書けるのだろうか。
書いている人は、日本原爆被爆者団体協議会が全国の都道府県にあり、被爆者の声として戦後の長きに渡って核兵器廃絶を訴え続けてきた歴史や、昨年はノーベル平和賞を受賞したことさえ知らないのかもしれない。原爆写真展を見たことも広島や長崎の原爆資料館を訪れたこともないかも知れない。
ぼくは被爆者ではない。原爆のすさまじさを知ったのは、峠三吉の一連の『八月六日』をはじめとする詩だったり、井伏鱒二さんの『黒い雨』や山口勇子さんの『荒れ地野ばら』だったり、原爆写真展や長崎と広島の資料館だったり、原爆をテーマにした映画と記録映画、アニメだったりする。
核兵器は、広島と長崎に落とされた。それ以外戦争で使われたことはない。アメリカやソ連、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮による核実験が行われてきた。核実験によって放射能に汚染された地域と人間集団があり、核開発は、環境破壊と多大な犠牲を生み出してきた。それだけに核開発や核実験に対しても厳しい目が向けられている。
日本が原子力発電所での電力生産を行おうとしたとき、最大の懸念材料は、使用済み核燃料による再処理、濃縮によってプルトニウムを取り出して、核兵器を開発するのではないかという懸念だった。アメリカの不安もここにあった。日本は核兵器への転用を徹底的に排除し、原子力の平和利用を約束した経緯がある。現在は、核不拡散条約を日本が批准し、IAEAとは個別の協定と追加議定書を交わして、全ての核物質については、IAEAの全監視の下にある。
日本が核不拡散条約を脱退すると、外国から買っているウランは輸入停止されるし、監視下にある核燃料や核物質、核廃棄物による不穏な動きが感知されると、直ちに同じような措置と制裁が行われる。この一連の動きは、核不拡散条約を根本とする措置であり、日本がこの条約から離脱するハードルは極めて高い。
日本の核兵器保有ということの意味を知らないで、調べもしないで平気で書いている人がいる。指摘をしても自分では調べようとせず、こちらに説明を求める人も多い。「調べてくださいね」と書くと、反発を示す人も多い。
でも、自己主張をする人ならば、自分の主張に対して、責任を負うべきなので、調べることはしてほしいと思う。
書き込みの中には「日本の場合、核兵器は3日でつくれる」という意見もあった。結論だけ書くと1年以上もしくは数年はかかるし、核実験をどうするのかという問題が残る。もし日本が実験なしで強行しようとすれば、設計が極めて単純で巨大な(実戦向きでない)ものになるか、「動くかどうか賭け」のような不確実なものになると思われる。北朝鮮が核実験を繰り返したのは、「小型化・多弾頭化」という高度な技術を確立するためだったと言われてる。
未臨界実験は「過去に大量の核爆発実験を行ったデータ」があるからこそできると言われている。一度も核実験を行ったことのない日本が、高度な未臨界核実験を行うのはかなり困難だと言わなければならない。
理由は、実験による比較が必要だからだ。核実験によって実際に 「爆発させた時のデータ」と爆発に至らない「未臨界の時のデータ」を突き合わせることで、初めてシミュレーションの正しさが証明される。未臨界核実験ができるのは、アメリカのように数多くの核実験を行い、豊富なデータをもった国だろう。日本が他の国から核実験データ及び核兵器の詳細な図面やデータを受け取り、それを土台にして核兵器を製造するのであれば、核兵器はできるかもしれないが、日本のように爆発実験のデータが蓄積されていない国が、いきなり未臨界実験を行ってもうまく行かないというのが専門家の見方だ。
そういうことを知らないまま、3日でできるというのは非現実的なデマだ。事情も何も知らない一個人がネットに書いた言葉だが、個人であっても、書く場合は、調べて書くようにしてほしい。
日本が、核兵器を保有するためには、日本国憲法第9条を変えて、日本が戦争する国に転じること、非核三原則という国是を放棄すること、核不拡散条約から離脱して、国際社会から完全に孤立する道を選び、経済制裁を受けながら、茨の道を歩むということになる。輸入ウランを停止され、原発が稼働しなくなるのを尻目に、やったことのない核兵器の開発を、国際的な協力なしに進めていく道は、日本の北朝鮮化に他ならないのではないだろうか。
このことをぼくはSNSで呼びかけてきた。しかし、なかなか、この意味が伝わらない。深い対話にならず、論点がずれたやり取りに終始する。
ただし、国会議員や政府高官の発言には重い責任が問われる。先の選挙で核兵器保有を語った参政党という政党は、とんでもない政党だと思う。同時に政府高官が、個人的には日本は核兵器を保有すべきだと言った発言は、政府の責任ある立場から言って、参政党の発言を超えるものだ。この人物を罷免しない高市総理の責任は重いのではないだろうか。
峠三吉さんの
『八月六日』の冒頭を引用しておきたい。
八月六日
あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧おしつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え
渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂さけ、橋は崩くずれ
満員電車はそのまま焦こげ
涯しない瓦礫がれきと燃えさしの堆積たいせきであった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿を踏み
焼け焦こげた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列









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