東日本大震災ボランティア1

日本共産党

11月14日に大船渡市に到着して以後の活動について、書いておきます。今回は第1弾です。

11月14日、9時に日本共産党気仙地区委員会の事務所に到着した。
出迎えてくれたのは、田中英二大船渡市議会議員だった。この方は、元JRの職員だった方で全国を移動しながら新幹線の工事などJRの土木建設工事に携わってきた人だった。大船渡を終の棲家に選んで、漁師の方と一緒に100日ほど海に出たり農業に従事したりして暮らしていたという。
日本共産党の市議会議員に初当選したのは、昨年11月の補欠選挙だった。議員になって5か月目の3月11日に東日本大震災が起こり、災害対策の責任者になって8か月、全国から集まってくる日本共産党のボランティアを受け入れて、活動を続けている。

紀の川市の岡田勉市議とぼくの2人は、2トントラックに救援物資を満載して、大船渡に着いた。物資は、青空市などで被災者の方々に配布される。日本共産党が、配布してきた救援物資はかなりの量にのぼる。さまざまな物資の中には自転車や電気製品などもあった。今回もO君の力を借りて富有柿を持っていった。果物はいつも歓迎される。
仮設住宅における青空市は、行政との橋渡しや住民のお世話をしている支援員に連絡をして、住んでいる方に青空市の日程を知らせてもらい、実施するようになっていた。ぼくたちがもっていった物資は、20日ごろ市をおこなうということなので、とりあえず地区委員会事務所に保管することになった。

14日は、田中さんの案内で大船渡と陸前高田の被災状況を視察させてもらった。震災から8か月が経過した今、瓦礫の撤去が大きく進み、住宅地でも更地が目立つようになっている。住宅の撤去は公共工事として住民の負担なしに行われるようになっていて、住宅の基礎の解体もかなりの規模で進んでいる。大船渡や陸前高田では、工事を受注した土木事業所が、臨時の作業員を雇用して解体と分別作業をあちこちで行っていた。入り交じっている瓦礫を分別するのは骨が折れる作業だが、この分野では、ボランティアの仕事という域を超えて災害復旧工事の一環として事業が動き始めているのを感じた。下の写真は、越喜来(おきらい)小学校のグラウンドで行われている分別作業だ。

田中さんは、防波堤がどのような状態になっているのかを説明してくれた。防波堤は押し寄せてくる波を防ぐ機能をもっていたが、引き潮の時の力にはもろかった。もちろん、ものすごく大きな津波によって波は防波堤を乗り越えたが、防波堤を破壊したのは引き潮だったという。下の写真でも防波堤は海側にこけている。

下の写真の真ん中ほど(湾の中ほど)に見えるのが残った防波堤だ。以前は湾を囲むように右側と左側から伸びていた。残されたのはほんの少しだけだった。

越喜来小学校は、屋根を超える津波に襲われた。津波は12回、13回というように何度も押し寄せては引き、押し寄せたという。そのたびに家や建物が壊され、瓦礫が建物の中に入り、引き潮によって窓やドアから瓦礫が出るという現象に見舞われた。また大量に押し寄せた海水は、さまざまな渦をつくりいろいろなものを破壊した。学校の中を見せてもらったが、まだ手つかずの状態だったので津波がどのようなものだったかを感じることができた。下の写真は体育館の中の状態だ。人間の生活のあらゆるものが、瓦礫となって流れ込んできたのがよく分かる。

天井まで水がついたことによって、天井を支えていた木材が破壊されて上からぶら下がっている。

体育館に流れ込んできた冷蔵庫。

引き潮によって窓から流れ出ようとしている瓦礫。どこから来たのか鯉のぼりがある。

体育館の床板が完全にめくり取られていた。

体育館の壁もはがされて格子状に組まれた角材がむき出しになっている。大きな窓は、ガラスなどがすっかりなくなって建物の枠だけになっているのが確認できる。

今日はここまで。明日も写真で津波の状況を説明したい。

日本共産党

Posted by 東芝 弘明