3年目の3月11日

出来事,かつらぎ町議会

娘の高校入試だった。朝7時20分に娘は出ていった。霜が降りていた。
ぼくは、本会議の日なので9時前に役場に着いた。
議場には大きな窓がある。外はよく晴れていた。お昼休みに銀行に行ったが、気温が暖かくなっていて春を感じさせてくれた。
議案審議は、1時間半程度で1回休憩を取る。休憩のたびに3階の本会議場から2階に降りていく。トイレに行ったりお茶を飲んだりして、また3階に上る。上るたびに階段の所にある窓から青空がみえた。いい天気の入試になった。
「娘の試験はどうなっているんだろう」
休憩のたびにそういうことを考えていた。
議会が6時前に終了したので、事務所に立ち寄ってから自宅に戻った。
娘がピアノを弾いていた。覗くと、真剣な表情が見えた。
「どうだった」
声をかけてもピアノを弾くのを止めず、少し間をおいてこちらを見た。
「時間切れでできやんかった」
言葉とは裏腹に開放感のある笑顔が返ってきた。なんだかホッとした。

 
東日本大震災の時刻に、議長が質疑を止めて、議場にいる町当局と議員に対して、黙祷を求めた。
1分間の黙祷が行われた。
読売新聞は、一面で進みつつある復興の動きを伝え、赤旗は300人の聞き取りアンケートを踏まえて、進まない復興の現状を訴えていた。対称的な紙面編集だった。
震災以後、政権党による政治は悪化した。3年経って胸に迫ってくるのはこういう思いだ。政治の悪化は、原発再稼働に突き進む姿に典型的に現れている。現実をいいかのように描き、再稼働が安全であるとして突き進もうとしている。その結果、福島が置き去りになり、震災で苦しんでいる東北各県の被災者が置き去りになっている。
3月11日を記念日のようにふり返る。特集が組まれる。思い出したように。過去の出来事であるかのように。
このような報道の仕方や描き方に、怒りのようなものさえ湧いてくる。日本共産党は、現在もボランティアを継続している。紀北地区委員会は、昨年1回ボランティアに行き、1回救援物資を送り、さらに今年に入ってハッサクを送った。多くの人の協力を得て。呼びかければ、応えてくれる人々がいる。政権与党が、忘れているかのような態度を取り、支援を打ち切り、原発の補償さえ打ち切ろうとしている中で、地道な活動は今も真剣に続けられている。
志位さんは、日本共産党中央委員会委員長として長い談話を発表し、次のように締めくくった。
「東日本大震災からの復興、被災者の生活と生業の再建は、国政上の最優先課題であるとともに、日本の政治のゆがみをただす事業です。日本共産党は、被災者のみなさんの切実な要求の実現をはじめ、復興に向けた力強い歩みを、被災者、国民のみなさんとともにすすめていきます。党としての支援活動もさらに継続していきます。3回目の3月11日を迎え、国民の苦難軽減という立党の精神を発揮して、東日本大震災からの復興のために、国民のみなさんとともに力を尽くす決意をあらためて表明するものです。」


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出来事,かつらぎ町議会

Posted by 東芝 弘明