秋の気配の中で

出来事

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朝、雨が降ってから上がった街を、「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟」のニュースを配るために車を走らせた。晩秋に向かう秋の景色が窓の外を流れていく。ニュースを配布するのには1時間と少し時間がかかる。
笠田の地域を配った後、妙寺方面に車を走らせ、最後に広野から短野に車を登らせた。北の山に向かって車が登っていく。広域農道の信号を横切ると次第に上り坂がきつくなる。右に左にカーブする道を車はなめらかに走る。目の前に開けてくるのは少し色のくすんだ紅葉した雑木林だった。落ち葉が、切れ目なく落ちていく。まるでスローモーションの映画に見える。
車の中で薬師丸ひろ子の透明感のある歌を聞いていた。目の前に流れる赤や黄色の景色の中に彼女の歌声が伸び、透明な空気の中に消えていく。北の山は雑木林が多く、植栽林とは違う鮮やかさがある。薬師丸ひろ子の笑い方に似た女の人のことも思い出された。笑うと声が丸い粒になっていくような感じがある。彼女は歌声も綺麗だが、昔から話し方も好きだった。聞いていたのは、23年ぶりのコンサートのライブ。彼女はコンサートに来た人に、「同時代を生きてきた感慨があります。観客のみなさんが写っているモニターの映像を見ているだけで、こみ上げてくるものがあります」そう語りかけていた。秋の景色にいろいろな思い出が重なり、記憶は20歳代の数年間に向かっていった。
しばらくすると、車は右に左に曲がりながら急な坂道を登って行き、民家の途切れるあたりに着いた。車から降りても寒くはなかった。
ニュースを届けに行った家は、瓦の葺き替えの最中らしく、屋根が明るい木の色をしたボード張りだった。

民家のある高台からは、車に乗ってきた下の道や景色が見える。大きな谷を隔てるようにして、紀の川の向の山々も重なって見える。配布が終わったので、今度は登って来た道を降りた。下り坂の左カーブを曲がると、枯れ葉が舞い落ちている中に車が吸い込まれた。晩秋には、独特の寂しさがある。秋の終わり、冬への交代が静かに繰り返されている。時は確実に冬に向かっている。

木枯らし途絶えて
さゆる空より

薬師丸ひろ子はのびやかに『冬の星座』を歌っていた。今日はまだ、この歌のように寒くはないけれど、車の外には歌のような静寂があった。

ぼくの中にある感傷的なものは、多分に10代の頃の生い立ちに原因があると思っている。家庭を一人で支えていた母が、入院してそのまま亡くなったのは高校2年の冬だった。中学校時代を寄宿舎の中で過ごしたので、母との交流は、中学以後ほとんどなかった。病院のベッドの上にいる人がぼくの母だった。亡くなる少し前に、命の灯が消えつつあった母の病室を何度も尋ね、横のベッドに座って眠っている母を眺めることを繰り返したことがあった。
寝ていても母の姿は苦しそうに見えた。眠りから覚めて、横にいるぼくに気がつくと母は少し横を向いてこう言った。
「来ていたのかい。もう暗いからお帰り」
「うん」
交わした言葉は、それだけだった。それだけの会話をするためにぼくは何度も病院に行った。

ぼくの同級生の一人は、アルコール依存の母親に苦しめられていた。その母親は国鉄に勤めている人と再婚していた。彼はずっとぼくの家に泊まって、半ば一緒に生活していた。ぼくは、胸の内に誰にも言えない寂しさを抱えていたが、同級生の彼は、どうも心の底で温かい家庭を強く望んでいたようだ。しっかりと生きていく精神的な支えにも飢えていた。今になって、ふり返るとそういうことが見えてくる。

ぼくは、やがて日本共産党という存在を知り、「まっすぐに生きることができる」と思える道に進んでいった。同級生の彼の方には、宗教的な拠り所が必要だった。彼の飢餓感は、ぼくより強かったのだと思われる。二人の道は違っているようにも見えるけれど、彼とぼくとの間に流れているものの根っこは同じだったのではないだろうか。この夏に彼とは10数年ぶりに会ったが、時間の流れなんて何も関係がなかった。そこには、毎日会っているかのような空気があった。
秋の景色は記憶を遡らせる。10代から20代半ばまでの記憶は、晩秋という景色の中に折りたたまれているのかも知れない。

自宅に到着して、喪服に着替え、葬儀に向かった。会場に着くと開会の5分前だった。座って待っていると読経が始まった。

出来事

Posted by 東芝 弘明