一般質問準備

雑感

今日と日曜日で一般質問を仕上げる。今日は文献の読み込みを中心に準備する。今回は、伊都振興局を訪問して、話を聞いたことによって、質問のアウトラインが見えてきた。

お昼を食べてから少し『脳には妙な癖がある』(池谷裕二著)を読んだ。この本には衝撃的なことが分かりやすく書いてある。読んでいると人間の性質が脳の働き方によって、かなり左右されていることが分かってくる。もちろん、個人差がある。しかし、自分の持っている性格が、脳の一般的な傾向に大きく左右されていることが本を読むことによって自覚できる。

たとえば、同級生が失敗したり、不幸に陥ったりすれば、脳は快感を覚えるようにできている。この傾向は女性よりも男性の方が強い。実験方法は、そういう事実に出会ったときに、脳のどの部分が反応するのかということを調べることによって、人間の脳がその情報を快感に感じているのか不安に感じているのか。というようなアプローチの仕方で脳の反応の仕方を調べるというものだった。
他人の不幸を喜びに感じるというのは、いかにも不道徳的な、忌み嫌うべきものに見えるのだけれど、脳がそう反応するように「できている」ということなら、自分の中にもそういうものがあることを率直に認める必要がある。「他人の不幸」という言い方に引っかかる人は、次の事例を考えていただきたい。ライバルだと思っている人よりも競技やテストで「自分がいい点を取ったとか」、仕事で「評価された」というような場合に「優越感」を感じることがある。それは脳がそのように反応したことによって得られた感情だ。ほとんどの人がそういう経験や感情を抱いたことがあるだろう。このような「優越感」と「他人の不幸」に喜びを感じる反応の仕方は、脳の同じ部分の反応なのだということだ。
と、ここまで書けば、そういう感情をもつことを、いわば道徳的に徹底して否定することは、できもしないことを目標にして頑張るものだ、というのが理解できるのではなかろうか。宗教的な戒律の中には、人間としてなかなかできないものを目標にしているものがある。できない目標は、人間にとっては永遠のテーマになる。目標を実現できない場合は、人間として修行が足りない、ということになれば、「人生は最後まで修業の連続」ということになる。
こういうとらえ方ではなくて、脳には、そのような働き方、反応の仕方をするんだということを知った上で、脳とつき合っていく方が、人間としてバランスを保つ、理性を保つ生き方になるのかも知れない。人間は、脳の中に善と悪を一緒に保持しているということだ。一人の人間には、相反する矛盾した傾向が共存している。脳の反応の仕方にも、1つのものの中にある2つの違った傾向がある。脳の存在自体が弁証法的な存在だと思われる。

この本を読みながらそんなことを考えた。池谷裕二さんの本は楽しい。

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雑感

Posted by 東芝 弘明