戦後の社会発展のねうち

8月15日を迎えながら漠然と考えていたことがある。
日本は、第二次世界大戦のときに、連合国によって無条件降伏を押しつけられた国だった。このことを忌々しく思っていた勢力があった。もちろん、戦争を遂行した勢力の中には、深い反省をした人々はあったと思うが、戦争責任を徹底的に追及しなかったことにより、戦争を遂行した勢力を無反省のまま復活させた歴史をもっている。
いま、第二次世界大戦を正義の戦いだったと言っている人々は、戦後、ずっとがまんを強いられてきたということだろう。これらの人々の中には、戦争遂行勢力のDNAを受け継いだ人々もいる。このようなDNAをもった人々が、右翼的な首相の傘のもとで水を得た魚のように復活しつつあるのではないだろうか。
第二次世界大戦に対する歴史の評価は、世界史的視点でいえば、評価の定まっている問題だ。国連憲章は、この世界史的評価の上に立っている。日本国憲法と国連憲章を比較すると、国連憲章の精神をさらに徹底させたのが日本国憲法だという視点が成り立つ。日本のように、あの時の戦争が正しかったというような議論は、ヨーロッパでは成り立たない。ドイツでは、当時の戦争遂行勢力は、今も責任を問われている。
日本は、第二次世界大戦について、決着のついていない国であり、この歴史的な宿題は、戦後69年を経て決着を求めている。歴史が風化しているのではなく、大日本帝国が敗北した当時からくすぶり続けてきた戦争の火種が、大きくなってきているのだ。戦争を知らない世代となった多くの日本人が、再び日本を戦争をする国にするのか、それとも戦後の原点を守り、憲法と憲法第9条を守って、戦争しない国として、さらに発展するのか。歴史の全面に押し出されてきているこの問題に決着をつけるのは、戦争を知らない者同士の話し合いによる。
戦前のような政治の復活を企む人々も、戦後の自由と民主主義の原点を守ろうとする人々も、お互いに問われているのは、未来に対する責任だろう。
「戦後レジュームからの脱却」という安倍さんの言葉には、戦後の自由と民主主義の否定があり、「美しい国、日本」という言葉には、戦前の社会への盲目的な郷愁がある。
戦後レジュームからの脱却が本当に必要なのか。戦前が本当に美しい国だったのかどうか。
戦後、日本は戦争をしない国として発展し、豊かになってきた。女性に参政権が与えられ、国民は自由に意見を表明できるようになった。自由と民主主義は拡大してきた。もちろん、さまざまな問題は山積しているが、拡大してきた自由と民主主義は、空気と水のように私たちの大事な考え方の基礎になってきた。同時代を生きてきた人間として、国民主権と自由と民主主義は、戦後の財産として、守り発展させる値打ちをもっている。この生活実感の上に立って、戦争と平和の問題を一緒に考えれば、新しい視野が開けるのではないだろうか。