自虐史観考2
「自虐史観」という言葉は、藤岡信勝氏が名付けの親のようだ。これは、社会科教育学を専門とする人が言い出したものだ。
そもそも自虐史観というのは、できるだけ客観的に事実を探究しなければならない歴史学に、主観的な「自虐」という言葉をかぶせたものだ。
歴史的にどういう事実があったのか、ということがすべてであって、自虐的云々というのは、歴史学にとっては何の関係もない。悲惨な歴史があるのであれば、それを直視する必要がある。
ところが、日本による侵略戦争だったことを主張すると自虐史観だという反論が返ってくる。
こういう論理の展開の仕方が、そもそもおかしい。歴史的事実として、日本が朝鮮と台湾を植民地にし、満州事変を出発にして満州国という傀儡政権を樹立した歴史は、全く動かない。その後1937年から中国全土で戦争を行い、その延長線上で太平洋戦争を行っている。その過程で日本軍が侵攻していった領土は、東南アジアに大きく広がっている。日本が領土を拡大していった国々は、日本に対して軍事侵攻することはなかった。日本軍は、大量にそれぞれの現地に軍隊を派遣し、戦闘行為を行った。
アジア諸国に対し日本が侵略戦争を展開したのは動かしがたい事実として存在する。日本が軍隊を駐留させて戦争を展開したことに対し、戦場となった国々は、日本に対し軍事的駐留を求めた事実がどれだけあったのか。
不勉強なので誰か教えていただきたい。大東亜共栄圏というものが、歴史の事実であるならば、日本に対し要請があってしかるべきだろう。戦場となった国々が、日本に対して駐留を要請したという文書があれば見せて欲しい。
日本に対し日本軍を進駐してほしいという要請がなくても、大東亜会議と大東亜共同宣言があるではないか。という反論をしたい人もいるだろう。
大東亜会議と大東亜共同宣言とは何だったのか、簡単に触れておこう。
1943年に東條英機首相のもとで、11月5日〜6日の2日間、日本は東京において大東亜会議を開き、大東亜共同宣言に調印している。参加したのはビルマ、満州国、中華民国、日本、タイ王国、フィリピン、インドだった。
結ばれた共同宣言は以下のとおり(カタカナをひらがなに改めた)。
抑〻世界各國が各其の所を得相倚り相扶けて萬邦共榮の樂を偕にするは世界平和確立の根本要義なり
然るに米英は自國の繁榮の爲には他國家他民族を抑壓し特に大東亞に對しては飽くなき侵略搾取を行ひ大東亞隷屬化の野望を逞うし遂には大東亞の安定を根柢より覆さんとせり大東亞戰爭の原因茲に存す
大東亞各國は相提携して大東亞戰爭を完遂し大東亞を米英の桎梏より解放して其の自存自衞を全うし左の綱領に基き大東亞を建設し以て世界平和の確立に寄與せんことを期す
一、大東亞各國は協同して大東亞の安定を確保し道義に基く共存共榮の秩序を建設す
一、大東亞各國は相互に自主獨立を尊重し互助敦睦の實を擧げ大東亞の親和を確立す
一、大東亞各國は相互に其の傳統を尊重し各民族の創造性を伸暢し大東亞の文化を昂揚す
一、大東亞各國は互惠の下緊密に提携し其の經濟發展を圖り大東亞の繁榮を增進す
一、大東亞各國は萬邦との交誼を篤うし人種的差別を撤廢し普く文化を交流し進んで資源を開放し以て世界の進運に貢獻す
この宣言が事実に基づいたものであるならば、日本に勝ったアメリカは、どうしてイギリスとともに「ビルマ、満州国、中華民国、日本、タイ王国、フィリピン、インド」を植民地にしなかったのだろうか。この問いにはぜひ答えていただきたい。
この大東亜会議と大東亜共同宣言は、日本にこれらの国々が従わされ、結ばされたものであり、これ自身が日本の侵略を物語る証拠になるのではないだろうか。ぼくはそう考える。理由は以下のとおり。
日本による戦争が終わることによって、戦闘行為がなくなり平和が実現した。大東亜共栄圏の確立の運動は、共同宣言が書いているとおりまさに戦争だった。この戦争は、米英による侵略戦争に対する日本による反撃だった。共同宣言が指摘どおり米英が侵略戦争を展開していたのであれば、日本が敗北したら、「飽くなき侵略搾取を行ひ大東亞隷屬化の野望を逞うし遂には大東亞の安定を根柢より覆さん」としていた米英は、侵略を強めるはずだ。
しかし、そんな事態にはならなかった。大日本帝国の敗北によって戦争が終わり平和がやってきた。この事実は、戦争を仕掛けていたのは日本であって、米英ではなかったということを示している。大東亜共栄圏は平和を実現するためのものだったというのであれば、この歴史の事実をどう説明するのだろう。
歴史の事実を直視して指摘すると、それは自虐史観だというのは、極めておかしい。主観的願望をもって強く侵略戦争を否定し「自虐史観」だと言っても、歴史の事実は変わらない。侵略は侵略。侵略が正反対のアジアの解放にはならない。日本政府の欺瞞は、1945年の日本帝国主義の敗北時の歴史的事実によって明らかになっている。









ディスカッション
コメント一覧
>そもそも自虐史観というのは、できるだけ客観的に事実を探究しなければならない歴史学に、主観的な「自虐」という言葉をかぶせたものだ
そうですよ。
言葉の理解が違うのではないですか?
『自虐史観』は、主観に対して自虐と捉える『主観』です。
よって『コレが自虐史観だ!』は存在しません。
私が、東芝さんに対し『自虐史観』というのは、結果に至る原因や要因を
一切無視し、結果だけにフォーカスする史観は『フェアー』では無いと思うからです。
裁判であっても検察、弁護の双方の言い分と結果に至る原因を勘案し
判断されるように。
アメリカの原爆投下は今でも正当化されていますよね。
戦争国際法にある非戦闘員を殺戮したジェノサイドにも関わらず。
アメリカは『戦争を早く終わらせることが両国の被害を最小限にする』という
トンデモな理由でも正当化されています。
私は、第2次世界戦争での日本軍を美化するつもりは毛頭ありません。
しかし、日本自体が侵略植民地化される危険性があったことなどの
ロシア戦争以降の防衛の背景を一切語らない東芝さんは『フェアー』では無いと思います。
ワタナベさんの批判は、全く当たりません。
日露戦争に対してロシアとの関係で論じていますが、戦場になった中国東北部や朝鮮についての考え方が全くありません。たまたま戦場になっただけとでもいうのでしょうか。戦争によって併合された朝鮮の民族が日本からどんな目にあったのか、このことを見る必要があると思いますが。
ぼくの書いたことに対して、一切言及がなく反論するのは、フェアじゃないと思います。大東亜会議と大東亜共同宣言の存在は、日本の侵略戦争を浮き彫りにする点です。この点は、物事の本質を射抜く扇の要になっているのではないでしょうか。この点は、すべての面をおさえています。
自虐史がどうというより、東芝さんの歴史は点でしか見ていない。松本清張じゃないけど歴史というのは点が線となって流れた記録です。東芝さんには、その線がないのよ。単なる過去の戦争を強調した批判で、とても歴史といえるレベルでない。
虐殺の件ですが、農民一揆の首謀者が殺されるのは、世界史的に見て虐殺ではありません。世界史的な虐殺というのは、農民一揆参加者すべてを殺したうえにその地域すべての人を殺す。・・・そういうのを虐殺というのです。日本史には・・・中世にたしかにその虐殺をやった人がいます。がそれぐらいで。それ以外は虐殺はありません。南京大虐殺は中国の政治的な作り話です。当然、中国自身も作り話ということ知っています。信じているのは、日本共産党だけです。
トリノさんの批判は全く当たりません。日本共産党員でない歴史の専門家が、南京虐殺の本を書いています。今でも買うことのできる本がAmazonにあります。
トリノさんにもワタナベさんに書いたことを繰り返し書いておきます。
「ぼくの書いたことに対して、一切言及がなく反論するのは、フェアじゃないと思います。大東亜会議と大東亜共同宣言の存在は、日本の侵略戦争を浮き彫りにする点です。この点は、物事の本質を射抜く扇の要になっているのではないでしょうか。この点は、すべての面をおさえています」
歴史を語るときは、一般的な認識で語らないと話がかみ合わない。おまけに事実でない(南京大虐殺)なんていう項目を加えられると、政治でなく思想論になります。日本の中世までの歴史なら日本だけの歴史で十分ですが、日本の近代史を語るときは、当然グローバル社会の始まりであり、世界史に関する認識も必要です。
つまり日本の近代史は、明治維新後の日本の歩みと世界史の歩みを同時に認識して語らないと・・・それも教科書に書いている一般的なものに沿ったようにです。
東芝さんの歴史は、歴史ではなく思想です。戦争の思想ですよ。
トリノさんの批判は、全く当たりません。少なくともぼくは具体的に書いていますが、トリノさんは具体的事実を提示せず抽象的に書いているだけです。
トリノさん
すみません、コメントを読んでいて抱いた素朴な疑問ですが、日本の中世までの歴史なら日本だけの歴史で十分とはどういう意味でしょうか。教えてください。
歴史というのは、過去の事実をもとに勝手な理由をつけて自己満足する学問です。自然科学のような真理追求するものではありません。・・・つまり歴史の解釈にはいろいろありますが、真理は分からないものです。・・・という前置きをして、
日本が、世界の影響を本格的に受け始めたのは明治維新後からです。ヨーロッパからはじまる大航海時代、ルネッサンス、産業革命を経て、人間が地球を素早く移動できるようになったのが、19世紀以降になります。ペリーが日本に来ることができたのも、蒸気機関が開発されたからであり、帆船ではアメリカからアジアへは非常に難しかった。江戸時代の鎖国政策の間に世界は目覚ましい発展を遂げていて、開国したときすでにグローバル社会が始まろうとしていたのです。
日本の中世、江戸時代まではそのグローバル社会ではなく、世界の動きと日本はほとんど連動していません。戦国時代にキリスト教が侵入しようとしましたが、日本の特異性のために入れなかった。また鎌倉時代には元寇で中国の侵略がありましたが、神風(台風)で助かった。つまり、日本史の中世までは、日本独自の歴史で世界史とはほとんど連動していません。
が、明治維新後は違います。アメリカ・ヨーロッパ諸国・アジアを含めた各国の思惑が交叉して世界史と日本史がリンクして動くようになっいます。よく調べてみたらどうですか?第一次世界大戦に日本がどう関係したか?日露戦争と世界の動きはどうだったか?明治政府代表で大久保利通が清国に交渉に行ったとき世界がどう対応したか?
世界史を知らずに日本の近代史は語れないですよ。
トリノさんの歴史は、自己満足の学問なのですね。なんでもありですか。
江戸時代を中世とする考え方も初めてみました。ふつう近世に区分すると思うのですが、個人の自由ですか。だとすれば、トリノさんのなかで近世はいつですか。
キリスト教が「浸入」しようとしたが日本の特異性のために入れなかったとありますが、はっきり言ってわからないところだらけです。とりあえず、結論の部分である入れなかったという点について、政府が暫定リストに掲載している長崎の教会群とキリスト教関連遺産を、トリノさんは評価しないのですか。信長がキリスト教を保護したのは義務教育でも習いますが、秀吉と家康だけ評価するのでしょうか。その後の隠れキリシタンは。トリノさんのいう日本とは。特異性……
元寇の際侵略されなかったから世界と連動していないというのは、論自体が矛盾してませんか。列島外から元寇という脅威があったこと自体、世界史的なことだと思いませんか。実際、当然連動していて、幕府は組織改編し軍勢を整えたし、いくつも戦いがあった。神風……ほんとうに台風ですか。
さらに、奈良・平安時代の遣使と宮都造営、仏教宗派の伝来、神仏習合、美術の発達……飛鳥時代の仏教公伝と豪族の争い、寺院の各地への普及……古墳時代の渡来系技術による物質文化、朝鮮半島における前方後円墳の分布……弥生時代の水稲耕作その他渡来系物質文化の複合的伝来……とみていくと、世界との連動は、中世どころか古代、原始にまで遡ります。列島、とくに本州島が世界との連動性が低くなったのは平安時代の遣唐使廃止後と江戸時代くらいだと思うのですが、いかがですか。
ちなみに、あくまで時系列で比べてですよね。
日本は島国だから、大陸と比べて地理的に連動性が低いのはわかります。それを、ある時代の以前と以後とで簡単に線引きするのは世界史をなめていませんか。
東芝さんの歴史的論理は、いつも思想的抽象性を持っているので、反論となるそういう内容になります。
南京虐殺の件については、「歴史の専門家が、南京虐殺の本」を書いただけでは事実といえません。必要なのは、虐殺の証拠です。当時南京市の人口は約20万人です。何人虐殺されたのですか?その動かぬ証拠がありますか?1万人虐殺するとそれはすごい数です。原爆のようなすごい爆弾でも1個で8万人程度です。必ず巨大な埋葬地があるはずでありそれがなければ、事実でありません。たとえばUFOに関する写真や目撃情報がたくさんあります。で・・・UFOはありますか?それを否定する証拠を示すことは非常に難しい。あるいという嘘の情報はたくさんありますが、ないという証拠になると宇宙全体を調べなければいけない。不可能です。ネッシーは?あるという本はたくさんありますよ。死後の世界は?それもたくさんあります。が否定するのは無理です。死んで確かめることができないから・・・笑。同じように南京大虐殺がないという証拠はありません。UFOとおなじなのです。中国全土を調べる必要があるので・・・。つまり、南京大虐殺があるというなら、その動かぬ証拠が必要です。それがなければUFOと同じです。目撃情報や写真ではダメです。虐殺された死体がでないとだめですよ。常識的なレベルの話です。
つまり、東芝さんの歴史は、史実に認められていない内容を織り交ぜた思想にしかすぎません。
トリノさんの批判は、全く当たりません。
歴史学も社会科学の1つであり、専門家はたくさんいます。圧倒的多数の専門家が、よって立っている研究姿勢をトリノさんは踏まえて、批判しているわけではありません。「過去の事実をもとに勝手な理由をつけて自己満足する学問」という歴史学に対するトリノさんの認識は、歴史学者の批判に耐えられるものではありません。
物事を批判するためには、少なくとも専門家の書いたものを、最小限度で言えば、1冊読んで(百科事典の南京虐殺の項だけでもいいと思います)批判すべきだと思います。南京虐殺があったのかどうかでいえば、日本の歴史家の圧倒的多数は、虐殺があったという判断をしています。批判するのであれば、これらの書物を読んでから行うべきでしょう。そういうものを読まないで、自分の考え方を展開しても、説得力はありません。
ぼくの見解は、少なくとも日本の歴史学の成果の上に立って書いているものです。
外務省ホームページに「日中歴史共同研究」のページがあります。この研究は、「2005年4月の日中外相会談において、町村外務大臣(当時)より日中歴史共同研究を提案、翌5月の日中外相会談において、詳細は事務当局間で議論していくことで一致。」「2006年10月の安倍総理大臣(当時)訪中の際、日中首脳会談において、日中有識者による歴史共同研究を年内に立ち上げることで一致。同年11月、APEC閣僚会議の際の日中外相会談において、歴史共同研究の実施枠組みについて合意」して始まったものです。
南京虐殺について、報告書は次のように書いています。外務省の文書です。長くなりますが引用します。
「中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しか し、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発 生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判にお ける判決では 20 万人以上(松井司令官に対する判決文では 10 万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判 軍事法廷では 30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究 では 20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている24。このように犠牲者数 に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計 など資料に対する検証の相違が存在している25。
日本軍による暴行は、外国のメディアによって報道されるとともに、南京国際安全区委員会の日 本大使館に対する抗議を通して外務省にもたらされ26、さらに陸軍中央部にも伝えられていた。そ の結果、38 年 1 月 4 日には、閑院宮参謀総長名で、松井司令官宛に「軍紀・風紀ノ振作ニ関シテ 切ニ要望ス」との異例の要望が発せられたのであった27。
虐殺などが生起した原因について、宣戦布告がなされず「事変」にとどまっていたため、日本側 に、俘虜(捕虜)の取扱いに関する指針や占領後の住民保護を含む軍政計画が欠けており、また軍 紀を取り締まる憲兵の数が少なかった点、食糧や物資補給を無視して南京攻略を敢行した結果、略 奪行為が生起し、それが軍紀弛緩をもたらし不法行為を誘発した点などが指摘されている28。戦後、 極東国際軍事裁判で松井司令官が、南京戦犯軍事法廷で谷寿夫第 6 師団長が、それぞれ責任を問わ れ、死刑に処せられた。一方、犠牲が拡大した副次的要因としては、中国軍の南京防衛作戦の誤り と、それにともなう指揮統制の放棄・民衆保護対策の欠如があった29。南京国際安全区委員長のジ ョン・ラーベは、唐司令官は「無分別にも、兵士はおろか一般市民も犠牲にするのではないか」と 懸念し、中国国民の生命を省みない国民政府・軍首脳の無責任さを批判していた30。」
トリノさんは、少なくとも、この政府お墨付きの見解を踏まえて書いてください。
立場の違いがあったとしても、研究の到達点を踏まえて意見を述べてください。
繰り返しますが、トリノさんの批判は、全く当たりません。
東芝さん、UFO研究のを信じろと言われても反論できないのと同じで・・・なぁ~。南京虐殺が無かったと合理的に反論できない。はい。UFOや死後の世界、ネッシーを信じている人を間違いだと説得できないのと同じです。
何度も書きますが、物的証拠を無ければ話にならない。UFOと同じです。
トリノさん、南京虐殺については、安倍政権の下で行われた日中歴史共同研究の内容を紹介しました。この共同研究は、UFO研究と同じですか。あまりにも乱暴ではありませんか。安倍政権でさえ、南京虐殺は否定できないことをこの共同研究は述べています。
南京虐殺はあったことを、ぼくは日中両政府の共同研究を踏まえて書きました。
否定したいのであれば、この共同研究に対するきちんとした反論をお書きください。
そうでないと、トリノさんの批判は、全く当たりません。と重ねて言わなければなりません。
物的証拠がないと書いていますが、両政府は、物的証拠を踏まえ、この文書を書いていると思います。両政府が責任を持って発表したこの文書は、外務省のホームページに載っています。この文書を否定するのは、難しいと思いますが、いかがでしょうか。
>ワタナベさんの批判は、全く当たりません。
日露戦争に対してロシアとの関係で論じていますが、戦場になった中国東北部や朝鮮についての考え方が全くありません。たまたま戦場になっただけとでもいうのでしょうか。戦争によって併合された朝鮮の民族が日本からどんな目にあったのか、このことを見る必要があると思いますが。
東芝さんの理論は、全て混ぜ込んで自分の言いたい事に結んでいます。
何度も書きますが、
1.日露戦争に至った理由
日本が開戦しなければならなかった状況
2.その戦争で被害を受けた国々に対しての思惑
これらは分けて考えられるべき事です。
この論理で言えば私は、
1.ロシアと戦わねばならない窮鼠猫を噛む状態であった
2.決戦を朝鮮、中国で行う事で本土決戦を避けた
3.この結果として朝鮮、中国へは自衛のためとはいえ迷惑をかけた
以上のように思います。
しかし、東芝さんの
>戦争によって併合された朝鮮の民族が日本からどんな目にあったのか、このことを見る必要があると思いますが。
この時点で東芝さんが過去から書いている
『中国、朝鮮の侵略、植民地化が『目的であった』との内容と矛盾してるじゃないですか?
なんか、論点が時により変化するのは・・・・理解に苦しみます。
Q.東芝さんの問い
>ぼくはそう考える。理由は以下のとおり。
日本による戦争が終わることによって、戦闘行為がなくなり平和が実現した。大東亜共栄圏の確立の運動は、共同宣言が書いているとおりまさに戦争だった。この戦争は、米英による侵略戦争に対する日本による反撃だった。共同宣言が指摘どおり米英が侵略戦争を展開していたのであれば、日本が敗北したら、「飽くなき侵略搾取を行ひ大東亞隷屬化の野望を逞うし遂には大東亞の安定を根柢より覆さん」としていた米英は、侵略を強めるはずだ。
A.米英の方が侵略戦争だったとは誰も言っていませんが・・・・
>しかし、そんな事態にはならなかった。大日本帝国の敗北によって戦争が終わり平和がやってきた。この事実は、戦争を仕掛けていたのは日本であって、米英ではなかったということを示している。大東亜共栄圏は平和を実現するためのものだったというのであれば、この歴史の事実をどう説明するのだろう。
本件の主旨は、『日本が侵略戦争を目的として先の大戦を行った事』に対してですが
>この戦争は、米英による侵略戦争に対する日本による反撃だった。
A.その通りですね。正当防衛ですね。
>日本が敗北したら、「飽くなき侵略搾取を行ひ大東亞隷屬化の野望を逞うし遂には大東亞の安定を根柢より覆さん」としていた米英は、侵略を強めるはずだ。
>この事実は、戦争を仕掛けていたのは日本であって、米英ではなかったということを示している。
以上の結論が、『日本が侵略戦争を目的として先の大戦を行った事』の何を証明しているのですか?
文章を読んでも『戦争を仕掛けていたのは日本であって、米英ではなかったということを示している。』とは書いていますが『侵略戦争を目的とした』の回答にはなっていません。
更に追加すると『始めなければいけなかった理由』などの背景には触れられていませんが
石油の輸出禁止やハルノートの存在などの経緯は無視なのでしょうか。
>ぼくの書いたことに対して、一切言及がなく反論するのは、フェアじゃないと思います。
と書かれていましたのでそれに対して言及しました。
論点がアチラコチラに散らばって的を得ていないと思います。
端的に申し上げると東芝さんの史観が私の史観より『自虐的』と思うのは
『先に手を出したのは誰なのか?』だけではなく『なぜ手を出さねばならなかったのか?』を
併せて考え語らないと物事の本質は分からないと思います。
ワタナベさん。大東亜共栄圏をつくるための「大東亜共同宣言」は、当時の大日本帝国が戦争の理由を説明した文書です。この文書は、米英による侵略戦争への反撃(自衛のための戦争)、これを戦争遂行の理由にしていました。ここには、石油の輸出禁止などの理由は書かれていません。
大東亜共栄圏を守る戦いは、米英の侵略に対する反撃だという嘘によって塗り固められていました。自存・自衛というのは嘘だったということです。
日本の侵略戦争の動機は、日韓併合から満州事変へ、満州国の設立と満州事変から始まる15年戦争という戦争に次ぐ戦争の中で浮き彫りになるものだと思います。日独伊三国軍事同盟を結んだときに、ヨーロッパとアジアの再分割について、3国で交わした文書が残っています。日本はインドを含むアジアを占領下におくことが、この文書で確認されています。領土の拡大と世界の再分割のために、太平洋戦争を仕掛けた。これが歴史の事実ではないでしょうか。
ハル・ノートについて一言。日本がハル・ノート受け取ったのは、1941年11月27日、しかし真珠湾攻撃のために日本海軍機動部隊が出撃したのは前日の11月26日でした。ハル・ノートが太平洋戦争の引き金になったわけではありません。日本は、1937年の中国に対する全面戦争の時期から、次の戦争のために国会で特別会計を組み、戦費を積み立てていました。日中戦争の時期から日本は次の戦争への準備をしていたということです。
ナカミチさん、あなたの日本史に対する書き込みは、要所を押さえたもので、やっと日本史にたいするまともな論議ができそうです。
確かに日本は外国文化に影響を受け発展した歴史があります。しかしそれは日本が影響を受けただけで、世界と連動して進んだ訳ではありません。日本史的には、世界から影響がありますが、世界からみると本当に微々たるもので、世界に全く影響を与えるようなことはありませんでした。江戸時代までね。日本が世界に知られるのが、マルコポーロのジパングからですが、それも眉唾物で世界で注目した人はごくわずかです。戦国時代にキリスト教が日本に来ましたが、それによって日本が世界に知られるようになったわけではなく、とても世界史連動はしていません。まあ~ガラパゴスのようなものです。ついでに言うなら、アメリカは新大陸後に世界史に連動、南米はインカなどの文明がありましたが、スペインが上陸して滅亡して、植民地になって世界史に連動。オセアニアは、イギリスの植民地になって世界に連動。それまでアボリジニが居ますが、ガラパゴスなので世界に連動していません。
日本は江戸時代まではガラパゴスで、明治維新後世界と連動。という意味で使いました。
歴史は自己満足の学問ですよ。たとえば日本史で有名な「本能寺の変」明智光秀がなぜ謀反をしたか?・・小説家とか歴史家がいろいろ説を出しますが、本当のところは分からないでしょう?そりゃ~分からないですよ。本人に聞かなければ・・・笑。
太平洋戦争もそうですよ。いろいろな要因が重なり合ってあのような戦争になったのです。勝手な理由をつけたがる人たちがいますが、先人がよかれと思ってしたことであって同じ日本人として非難するのはよくないことですよ。あの戦争は確かに日本史上重要な事件ですが、それを教訓に発展させるように進むべきだと思います。
トリノさん
まず、前回の質問にお答え頂ければと思います。トリノさんの近世はいつですか。
あと、トリノさんの世界史といいますか世界がわかりません。次のような箇所です。
>世界に全く影響を与えるようなことはありませんでした。
では古墳時代、朝鮮半島における前方後円墳の分布は?
世界から受けた影響を認められるのですね。連動と何が違うのでしょうか。
>明治維新後世界史と連動。
ここまでおっしゃるのなら、明治維新後の具体的な連動を挙げていただき、明治維新前の世界から受けた影響と何が違うのか明確に説明できますか。
最も気になるのは、歴史という土俵において、歴史家と小説家を同列に扱っている点です。
職業としての歴史家は、歴史を研究するときに小説家のようなやり方はしないし、本人にきかなければわからないようなことは研究対象にもしませんよ。史料あるいは資料を批判的に積み重ねて、史実に近づこうとする。職業人としての誇りと社会貢献しようという使命感をもってやる。自然科学者となんら変わりません。
トリノさんは歴史と自然科学を対照的に捉えて、歴史のほうを自己満足と表現されていますが、自然科学の研究者が歴史の研究者と共同研究するのは何故だと思いますか。単なる暇つぶしですか。
なかみちさん、僕は歴史家でないので中世も近世とくに区別しません。重要なのは歴史の順番であって中世でも近世でも、どうでもいいと考えています。つまり大雑把なのですよ。
明治維新後、日本は日清戦争・日露戦争と世界に影響を与えてます。また科学の世界でも北里柴三郎はノーベル賞級の発見をしている。日本が世界史上に登場しはじめました。江戸時代までは、世界史に日本はほとんど出てきていない。それだけです。明治維新後は世界史と日本史を同時に理解する必要がありますが、それ以前は日本史だけで十分です。正確には日本の見方だけで十分。維新後は日本の見方と世界の見方、両方が必要です。
自然科学は真理追究の学問です。歴史学はそうではありません。単なる人間の歴史です。勘違いの無いように、歴史学が無用とは言っていませんので・・・笑。
歴史家と小説家は同じようなものというか、歴史家の定義は?別に資格があるわけじゃないので、歴史を調べて研究すれば誰でも歴史家です。大学で研究している人ばかりが歴史家ではありません。小説家は歴史を調べて小説を書きますので、立派な歴史家ですよ。自然科学と違い、歴史の解釈に正解はありません。真理が存在するかもしれないけど、分からないので・・・笑。
トリノさん、
歴史について、語らない方がいいと思います。
トリノさん
>中世でも近世でも、どうでもいい
どうでもいい、あるいはわからない、知らないのであれば、「中世」「近代」という言葉を使わないでください。伝わりませんから。自分の知っている言葉で表現したほうが良いですよ。
>明治維新後、日本は日清戦争・日露戦争と世界に影響を与えてます。(中略)江戸時代までは、世界史に日本はほとんど出てきていない。
日清・日露戦争と北里柴三郎の功績を例示いただきありがとうございます。しかし、それがなぜ、日本が世界史に登場し始めたことになるのか、全然伝わりません。
弥生時代の卑弥呼が中国の歴史書に出てくることを知らないのですか。前回質問に答えてくださっていませんが、古墳時代の朝鮮半島における前方後円墳の分布はどう説明しますか。飛鳥時代の白村江の戦いは。時代降って、トリノさんの文章にある江戸時代でも、朱印船貿易や、山田長政は評価しないのですか。
>自然科学は真理追求の学問です。(以下略)
何故に前回質問を無視して同じ主張をされるのか。最早、盲信的なものを感じますが、もう一度だけお聞きします。その自然科学者が、歴史学者と共同研究をするのは何故だと思いますか。
>「大東亜共同宣言」は、米英による【侵略戦争への反撃】これを戦争遂行の理由にしていました。
これは、【侵略戦争への反撃】 事実ですよね。(書いてあるんだもん)
これに対し
>>領土の拡大と世界の再分割のために、太平洋戦争を仕掛けた。これが歴史の事実ではないでしょうか。
これは、東芝さんの想像というか主観ですよね。
この主観を以って植民地化が目的の戦争を日本が行ったと言うのであれば、私から見れば
自虐的な(想像)史観をお持ちであるのだな~と思います。
>ハル・ノートについて一言。日本がハル・ノート受け取ったのは、1941年11月27日、しかし真珠湾攻撃のために日本海軍機動部隊が出撃したのは前日の11月26日でした。ハル・ノートが太平洋戦争の引き金になったわけではありません。
最終最後まで和平交渉をしていましたが、ハルノートが事実上の最後通告と受け取った訳です。
その最悪の事態も想定して真珠湾に機動部隊が先行していました。ハルノートの内容が違えば
真珠湾の攻撃も無かったはずです。(私の主観ですが最終最後まで御前会議で開戦については議論された)
山本五十六元帥が言った米英との開戦について『半年は戦える』との言葉は有名ですね。
軍部も当初から米英と戦争をして勝てるとは思っておらず、序盤で善戦できれば和平交渉に持ち込むつもり
だったんだと思います。
ワタナベさん、歴史の解釈なんて都合いいようになんとでもなるので、いくら論議してもお互い納得しないと思いますよ・・・笑。宗教・法律。歴史・文学・芸術・・・この手の内容は正解がない。真理追求のジャンルじゃなく、お互いの主張をするものです。
戦争に負けたというのは事実なのと、アメリカと仲良くしなければいけないという教訓を残したのは確かです。まあ~これから100年ぐらいはたとえ戦争になってもアメリカを味方につけておく必要があり、決して怒らせてはいけないということです。ロシアとは仲良くしたらダメよ・・・クソみたいな国なので・・笑。中国とは、ご近所なのでそれなりに、つかず離れずいい距離を保って付き合うのがいいかと思います。
トリノさん。
神様のようなことを書いています。歴史学者の方々が、実際に存在しているにもかかわらず、トリノさんの独断と偏見で否定しています。トリノさんが否定するかどうかで、科学性が決定します。歴史学を否定するということは、経済学も否定するのかと思えば、経済学は否定の対象に入っていません。
歴史も経済学も同じように社会を扱うのに、歴史学は科学ではなく経済学は科学だという態度を取っているということでしょうか。
東芝さん、宗教・法律。歴史・文学・芸術は真理追求をする学問ではないと言っただけで、無用な学問だとっているわけではありません。
じゃあ聞きますが、歴史学の真理とは何ですか?具体的な事例一つでいいですよ。歴史学が追究している真理とは?
なかみちさんの質問ですね?
>自然科学者が、歴史学者と共同研究
僕は万能な人気ではありません。その共同研究を具体的に示していただかないと答えようがない。
それ
質問に答える前に一言。
宗教と法律、歴史、文学、芸術を同一レベルで論じるのは乱暴です。
これを同一に論じる学説はありますか。
自然科学と同じように、人文系の科学や学問にも専門家によって諸説ありますが、人類の蓄積というものがあります。トリノさんの感覚だけで一刀両断に論じるやり方にはついていけません。
ぼく自身、これらのことについて、それぞれ一家言を持っているわけではありません。トリノさんの論じ方を読んでいても、それぞれの分野に対し専門家の研究を踏まえて論じていることを確認できないので、一家言を持ち得ていないぼくとトリノさんの議論は、全く不毛だと思います。
「歴史学の真理とは何ですか?具体的な事例一つでいいですよ。歴史学が追究している真理とは?」というトリノさんの問いかけには十分答えられません。おそらく問題の立て方がずれていると思います。
歴史学は、勝手に歴史を好きに論じるというものではありません。史実にこだわって、時代の本質に実証的に迫っていくのが歴史学だと思います。ぼくの浅い認識であえて書かせていただければ、人間社会の根底には経済活動があり、この経済活動に制約を受けながら人間の文化や思想や芸術が形成されるということです。人類の歴史は、大まかに言って原始共同体という非常に長期にわたる期間を経て、奴隷制、封建制、資本主義へと発展してきました。
ここには、なんらかの法則性があると思っています。
この歴史の中で、奴隷制や封建制は淘汰され、人類は基本的人権の尊重と国民主権を認める方向に進んできました。戦争についても戦争=無法の方向に進んできたと思います。
あえて言うならば、なぜ、様々な歴史の違いが国によってありながら、それぞれの国は波乱に富んだ異なる道筋をたどりながら、一定の共通認識や価値観に到達してきたのか、というところに真理があると思っています。国際社会は、世界経済と世界市場を形成し、各国の様々な違いを踏まえつつも、共通のルールに従って交易を行っています。こういうことがなぜ実現したのかを明らかにするところに歴史学の使命もあると思います。
歴史的に形成されてきたそれぞれの社会には、その社会を形成してきた経済の仕組みがあります。歴史学においても、その時代の経済がどうなっていたのかを踏まえながら論じる必要があります。日本社会が江戸時代から明治に入るときは、日本社会にとっては、大きな変革の時期でした。それは、封建制の時代から資本主義への移行というものだったと思っています。しかし、形成された明治政府というものは、討幕側の勢力も封建領主だったので、封建的な社会の母斑を色濃く残すものとなりました。
しかし、日本の歴史で初めて、統一国家が形成され、国境の関所は廃止され、国民には移動の自由と職業選択の自由が与えられました。小国によって独立し、その独立した藩の連合体として藩の上に君臨していた江戸幕府というものは、明治のような形の統一国家を作る力がなかったのだと思っています。
中央政府と都道府県、市町村という明治移行の社会体制は、小国の連合体というものを根本的に作り替えました。この改革を支えた根底には、急速に発展する経済力があったということです。封建時代から資本主義に移行する過程で、生産力が飛躍的に発展しました。この経済力が、統一国家を支える最大の力になったということだと思います。
歴史に対する見方という点では、ぼくはこういう見方をしています。江戸幕府を開いた徳川家康が、どのような経済政策を行い、それが社会にどのような影響を与えたのか、そういう観点からの話は、具体的には教えてもらったことがありません。しかし、本当のところは、こういうことが非常に大事だと思っています。歴史に名を残している大名が、こういう態度を取ったから歴史はこう動いた、というのは、非常に表面的な歴史であって、時代の真実には迫れていないと思います。
なかみちさん、まだ質問ありましたね。回答します。
>日本が世界史に登場し始めたことになるのか、全然伝わりません。
弥生時代の卑弥呼が中国の歴史書に出てくることを知らないのですか。前回質問に答えてくださっていませんが、古墳時代の朝鮮半島における前方後円墳の分布はどう説明しますか。飛鳥時代の白村江の戦いは。時代降って、トリノさんの文章にある江戸時代でも、朱印船貿易や、山田長政は評価しないのですか
卑弥呼の件、当然知っていますよ。中国の歴史書の件も教科書に出てきますから・・・笑。また魏志倭人伝でしたっけ?日本を倭国と記載していることとか・・・昔習ったけど、あくまで記憶なので間違っているかも・・・笑。この件は日本史から見れば大事件ですが、中国からみれば屁みたいなものです。つまり日本は世界に影響を受けましたが、中国からみればないに等しい事例です。世界と日本は共に影響し合う連動ではありません。日本だけ影響があった事例です。つまり日本史だけで十分。
前方後円墳は、日本から朝鮮に伝来ではなく朝鮮から日本に伝来でしょう?同じです。日本が世界に伝えていない。伝来ですので、日本史だけで十分。
白村江の戦い・山田長政は確かに・・・わずかですが世界史に影響??世界史から見れば鼻くそレベルであり世界史に影響なんかほとんどない。
世界史と日本史影響し合い動き始めるのは明治維新後です。
日清戦争、世界に日本アリと衝撃を与えました。日露戦争になると日英同盟を理由に、ロシアバルチック艦隊がスエズ運河を通過できず、日本に到着するのが遅れ、日本海海戦であの有名な東郷ターンがあった。ロシアの極東戦略に影響を与え、ヨーロッパ諸国のアジアの植民地政策にも影響を与えている。科学の分野では、北里柴三郎・鈴木梅太郎などの科学者が世界の科学発展に貢献している。
連動というのは日本だけが世界の影響を受けるという意味じゃなく、世界とともに影響し合いながら動く・・という意味で使ったんだけど・・・はて?おかしかったかな??
トリノさん
>卑弥呼の件、(中略)中国からみれば屁みたいなものです。
何故屁とかないに等しいなどと表現できるのか到底理解できません。ないに等しいなら、歴史書しかも正史にふつう書きますか。本当に、そう思われているのですか。
>前方後円墳は、日本から朝鮮に伝来ではなく朝鮮から日本に伝来
びっくりしました。本気ですか。朝鮮半島の前方後円墳は古墳時代中期以降ですよ。朝鮮から日本に伝来は物理的に無理です。タイムマシンでもあったと仰るのですか。いいえ失礼、、トリノさんはこのことを知らないわけですよね。
>白村江の戦い・山田長政は(中略)世界史からみれば鼻くそレベル
白村江の戦いで唐・新羅が倭国・百済に勝利したことにより、朝鮮半島情勢は大きく変わった、と評価されていますが、トリノさんにとっては鼻くそなのですね。倭国が百済について敗戦した結果、新羅による半島統一のに結びついたことが。これってアジア太平洋戦争の敗戦も鼻くそと言うのと同じように思えるのですが。
山田長政、江戸時代のはじめごろのタイ日本人町頭領ですが、維新よりも前に、世界に日本人町が形成されていることもその頭領も鼻くそですか。
そんなわけありませんよね。知っていたら、鼻くそなんて表現、できませんものね。
>わずか
秀吉の朝鮮出兵とかほかにもありますよ。
>世界史と日本史影響し合い動き始めるのは明治維新後(中略)貢献している
以上に挙げた、維新前にも世界に影響を与えている具体例とどこが違うのかわかりません。世界史的視点でみるべきなのは、どちらも同じではないでしょうか。維新前の世界に影響を与えた各史実が、どうして維新後のそれと比べて屁や鼻くそなのか、ほんとうに説明できますか。あなた、史実を知らないだけでしょう?
>連動というのは、(中略)おかしかったかな?
基本的な時代区分もわからないのに中世とか近代という言葉を使い、近世を中世と呼んでしまうようなこと。世界とともに影響し合いながら動く近世以前の歴史を知らないのにも関わらず、近代以降日本が世界と連動し始めたので近世までは日本史で十分という主張を妄信的に繰り返すこと。おかしすぎです(爆)
あ、ちなみに、共同研究は、地震学、植物学、動物学などなどいろんな自然科学とやってますよ〜
東芝さんへ
歴史学の真理が分からないのなら、「歴史学者は何をしているのですか?」でもいいですよ。「法律学者は何をしているの?」でもいいですよ。
何度も書きますが、「宗教・法律。歴史・文学・芸術は真理追求をする学問ではない」と言いましたが、
無用な学問だとは書いていません。言い方を変えれば、歴史学者の仕事は真理追求ではなく別の仕事があるということです。文学・芸術も同じです。真理追求ではなく別の仕事があるということです。
しかし、歴史学者の仕事・・・簡単に書けば何ですか?文学は?芸術は?法律は?宗教は?世の中に必要だと思いますが、その内容は真理追求という性質の学問ではないということですよ。
はて?・・・東芝さんは歴史学者は何をしていると思っているの?僕は一文で歴史学者の仕事を説明しますが・・はて????
人類の歴史にはゆるやかな法則性があると思います。歴史学は、しかし、この法則性を明らかにする学問ではないと思います。人間の社会は、極めて複雑に動いています。現代を読み解くのは、極めてむつかしいと思います。しかし、経済活動が社会の土台であり、その上に、イデオロギーや宗教、文学、芸術、文化などが成り立ち、相互に作用しあうという史的唯物論の命題は、時代を読み解く上で極めて重要な示唆を与えてくれると思います。人間の歴史の変遷をしめす過去は、複雑な要因が絡み合ったなかで確定した歴史なので、どうしてそういう方向に歴史が動いたのかということを実証的に追求する中に歴史学の意義があると思います。
歴史を含め物事には、発展のプロセスがあります。事物の変遷の歴史を明らかにすることによって、それぞれの事物がどう変化してきたのかを知ることができます。変化の原因や結果、結果を出発とした(原因になる)変化等の事物の変遷のプロセスを知ることを通じて、法則が貫かれていることが見える場合があると思います。事物の発展の歴史を知ると言うことは、その事物の変化や運動を見るということに重なります。それを見ることによって、現存している事物がどう発展していくかを見通せる場合もあります。
歴史は、最初から複雑性の学問だと思います。歴史学は、経済や社会、政治、文化、宗教等々によって成り立っている人間の社会を時系列の中で探究していくものですから、因果関係の比較的単純な物理学のような研究方法をとることはできません。物理学と比較して真理探究の学問だとか、学問でないとかを論じる訳にはいかないのは、扱っている研究対象のありかたによるということでしょう。
歴史の中に法則性を発見することが、歴史学の最終目標にはならないと思います。法則的な発展方向が垣間見えたとしても、歴史研究はそこで終わらず、徹底的に支持とを追求していく中で、人類社会の持つ複雑な側面を多面的に明らかにし、現在と人類の未来に役立てるところに歴史学の意義があると思います。
議員の活動において、さまざまな事物を追求しますが、その時に欠かせないのは、その事物の歴史的変遷を調べることです。歴史を調べることによって、その事物がどう変化してきたかをリアルに見る事ができます。このことを通じて、現在の姿を把握し、その事物がどう発展するのかを見定めることもできます。
歴史的な視点をもってこそ、現存する事物の現在の姿を深く把握することができるということです。議員活動にも役立つのが歴史による変化だと思っています。
日本で歴史学が成立したのは、50年ほどの歴史しかないと指摘している歴史学者もいます。その理由は、総合的な学問にならざるを得ない歴史学だというところにあるとともに、民主的な国家でなかった戦前は、天皇制による支配によって、歴史を自由に研究することが国家権力によって許されなかったという事情もあります。
ナカミチさん
提示いただいた江戸時代以降の内容は、なかみちさんの通りだと思います。まあうろ覚えで書いたので内容的には多々間違いがあるかと・・はい。が・・・世界史的には鼻くそレベルの内容です。アジアの他国への影響は極微程度で世界史からは無視できるレベルと考えます。インドと中国がやはり中心であり、その国に影響を与えていないと極微の世界です。
明治維新後に日本は本格的に世界史に登場ということです。
トリノさん
江戸時代以前の史実を知らない。知らないのに、誤った内容を書き並べて鼻くそだとけなす。
指摘を受けて誤りを認める。誤りを認めたのに、なお鼻くそと書く。
何故ですか。
日本が世界に影響を与えた時期はいつか?
私も日清日露戦争後だと思います。
それまでも他国との連動はありましたが、ここでいうべき点は総論としてどうなのかということでしょう?
世界における日本の立ち位置は、ペリー来航時も『捕鯨船の給油地』が主目的だった程度です。
(だったと記憶していますが・・・)
アジア諸国は植民地化されても植民地を作れるほどの国力のある国は無かったのが
日清日露戦争で日本が両国に勝ったという事実は欧米諸国に大きな衝撃を与えました。
日本と世界の連動は、各論は様々な事がありましたが総論としては日清日露戦争以降だと思います。
トリノさんの歴史家についての意見と東芝さん、なかみちさんの意見は噛み合ってないですよねw
例えば、邪馬台国がどこにあったか?という問題でも近畿説や九州説など『立派な歴史家』の方々が
自論を展開されていますが、確定的な証拠がないので、今だに分かっていませんよね?
分かっていない=自論(推論)でしか無い訳です。
当然、これらの推論の積み重ねが重要である事はもちろんですが・・・・。
南京大虐殺の有無に関しても著名な歴史家がそれぞれ研究した結果
『あった!』『無かった!』と言っていますよね?
その歴史家の意見に各人が『そうだ!』と言っているだけに過ぎません。
そういう意味ではトリノさんが言っている『歴史に関しては各人が主張』しているので
決定的な証拠が無い限り皆が納得する結論は生まれないでしょうね。
世界史は古代は4大文明で中世から近世までは欧州が中心でだったと、高校で習った世界史の記憶です。アジアでは近世までは、インドと中国が主役で日本は付け足しのようなものです。
また、なかみちさんの朝鮮半島に日本の前方後円墳が影響したという内容がありましたが、当時の交通のレベルと地理的位置を考慮して、常識的に推測すれば中国→朝鮮→日本というルートが妥当かと、まあその件にはあまり詳しくないので妥協しましたが、朝鮮は中国とつながっていますので何かと伝わる速度は速い。また中国から日本への距離に比べて、朝鮮から日本は近いのでねぇ~当時の先進国、中国に近い朝鮮の方が、日本より文化が進んでいたと考えるのが妥当と思います。
ワタナベさん
>私も日清日露戦争後だと思います。
私もと仰いますが、トリノさんは維新後としていますので、画期が違いますね。
日清・日露戦争を、あくまで近代国家として、一大画期とするというのであれば、わかりますよ。
>総論としてどうなのか
もちろん、総論としてどうなのか、です。
総論。維新後に世界に影響、その前は鼻くそかないに等しいートリノさんのこの主張について、どうしてそんなことがいえるのか。根拠の有無を確かめるため、トリノさんの難解な文章をひとつずつ理解する必要がありました。そこで重要だったのが、次の点です。
・時代区分
・世界、世界史の意味
・比較対象の理解や認識(ここでは維新前までの史実をちゃんと知っているかどうか)
第1点目については、その人の歴史観が端的にわかることがあるので、重要です。トリノさんは江戸時代を中世、明治維新後を近代としていたので、近世はどこにいったのだろうと思ってきいたところ、単に言葉の意味を知らずに使っていたことが判明しました。
第2点目については、世界というのはどこを指すのか。全世界?なわけないですよね。世界史に登場するというのはどういう意味なのか。全くわからないのでききましたが、未だに釈然としません。列島と他地域との連動は維新前にもあるし……日本が維新後に世界史に登場なら、他の国や地域はいつから?よくわかりませんねえ、やっぱり。
第3点目については、トリノさんが比較対象を理解されておらず、間違って認識されていたことが判明しました。AはBに比べてこうだ、というのにBのことを知りませんって、おかしくないですか。
>歴史家についての意見
トリノさんは自然科学との対照で仰っています。しかも、職業人として歴史を研究することと小説を書くときに歴史を調べることを混同されているようです。
ちなみにワタナベさんも、そうなのですか。よろしければ、お答えいただけますか。
東芝さんへ
歴史学者は何をしているのか?と聞いているのですよ。その内容では意味不明です。何度読んでも意味不明です。
歴史学者とは、歴史の事柄を評価するのが仕事なのですよ。例えば「徳川家康江戸幕府を開く」その事柄に対して、家康の戦国時代からの幕府を開くまでの内容を詳しく調べ、家康死後の江戸幕府からその「江戸幕府」に対する評価というか論評をするのが歴史家の仕事です。ただ、評価の内容が問題で、僕にような素人の評価と歴史家では、歴史家は日本国誕生から現在いたる基本的な歴史を正確に勉強しているので、その江戸幕府に関する論評は当然レベルの高いものになります。
芸術は、「音楽なり美術でいかに自分の思考を表現するかという学問」です。僕は芸術性がないのでよくわからないですが・・・はい。
文学は、芸術と同じように「文章で表現したり、文章を解釈したりする学問」。当然基礎的な国語力が必要でそれを勉強しないといけない。
法律は、クソみたいな学者が多い学問ですが、まあ法律読むという学問。
歴史に戻りますが、僕とワタナベさんが、東芝さんの戦争に対する歴史的評価は間違っていますよと主張しているのです。日本古来からの歴史を知っているのですか?戦争ばかりの内容ですが、それだけが歴史ではないですよと・・・日露戦争の時の世界史を知っているのですか?当時は世界とリンクして日本が動いており、東芝さんの評価は単純すぎますよとささやいているのです。
歴史学とは?・・吉田茂が日米安保条約に単独でサインしたとき、「これでよかったかどうか分からないが、後世の歴史家の判断にまかせよう」と言ってサンフランシスコから戻ってきたと・・・
歴史学とは「歴史の事柄を評価する学問」です。真理追求の学問ではありません。
トリノさんやワタナベさんの歴史に対する主張を評価しないのは、素人だとしても、歴史学で言われていることを踏まえた上で、論じていないと思わざるをえないからです。自然科学にしても社会科学にしても、すべてを網羅しろとは言いませんが、誰か先達である専門家の研究を(たった一冊の書物でもいいですが)踏まえて書くべきだということです。
ぼくたちは、専門家ではありませんから、歴史で言えば、生の資料に当たり、それを分析して文章を書いている訳ではありません。歴史学者というのは、生の資料に当たり、事実を追求して文章を書いています。自分の見解とは違っても、生の資料に当たり丹念に研究されている方々には、きちんと敬意を払うべきだと言うことです。
第2次世界大戦が侵略戦争だったことについて、以前ぼくは、北岡伸一氏の文章を引いて書きました。北岡氏は、第1次安倍内閣が2006年に立ち上げた「日中共同研究」の報告書(『「日中歴史共同研究」報告書』全2巻)を作成したときのメンバーの一人で、日本側の座長でした。この委員会のメンバーは日中の専門家それぞれ10人いました。ぼくは、この報告文書を引用して、南京虐殺について書きました。
この報告書は、日中の歴史学者が生の資料に当たりながら作成した文書ですから、トリノさんの言説よりもはるかに説得力があるのではないでしょうか。
トリノさんがいとも簡単に南京虐殺を否定したとしても、説得力はありません。この報告書は、かなり重要です。歴史を真面目に語りたいのであれば、この報告書は、簡単に否定することはできないと思います。
どうも、最近展開されているコメントは、食傷気味です。印象を自由に語るのは結構ですが、真面目に論じるのであれば、二次的資料でも専門家の言説でもいいですから、根拠になり得るような文章を書いていただきたいと思います。いくつかの質問に対し、お答えするために、ぼくなりに具体的な資料に当たり、それを提示して論じてきました。しかし、返ってくるのは印象的な否定論でした。ぼくが提示したことに対し、視野が狭いというようなことを言って、否定したりしていただいていますが、具体的な努力に対し、印象で返されるばかりでは、きちんと反論したり、議論したりする気持ちが失われてしまいます。
ぼくの気持ちに中には、お好きにどうぞ、という傾向が強まってきました。一言で言えばコメントで展開されている議論は、極めて不毛な議論だと思います。
歴史学とはなにを勉強するのか?という議題なのに・・・はぁ~・・・
南京虐殺のテレビ番組を紹介する記事がありましたので。コピーしておきます。ニュース元はライブドアニュースです。リンクも貼り付けておきます。
反論したければどうぞ。
沈黙を守りたければどうぞ。ご自由に。
安倍首相が否定したい南京大虐殺を日本テレビの番組が精緻な取材で「事実」と証明! ところが番組告知は…
「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている時にもかかわらず、(中国が)申請しようとするのは承服できない」
こんな驚愕の発言をしたのは、自民党の原田義昭・元文部科学副大臣だ。原田氏は、中国がいま、世界記憶遺産に「南京大虐殺」と「慰安婦」関連の資料を登録しようとしていることへの対策を検討する自民党「国際情報検討委員会」の委員長。今月2日の会議後、記者団に対しこのように語ったという。
「存在自体を」「否定」というのは、つまるところ”慰安婦も南京大虐殺も全くなかった”という主張だ。これは政府の公式見解とも異なる問題発言だが、しかし、ほとんどのマスコミは深く追及するそぶりを見せないでいる。
そんななか、奇しくもその2日後に初放映されたひとつのテレビドキュメンタリーが話題を呼んでいる。4日深夜放送の『NNNドキュメント』(日本テレビ系)が、自民党が「否定」する「南京事件」を検証したのだ。その内容は、元日本軍兵士の証言や当時の日記といった”一次資料”を取りあげ、さらに矛盾や不自然な点がないか、番組取材班が徹底的に裏取りを試みるというものだった。
「南京虐殺」あるいは「南京大虐殺」とも呼ばれる南京事件だが、とりわけ日中戦争初期の1937年12月の首都・南京陥落以降に日本軍が行った捕虜や民間人の殺害行為については、これまで様々な意見や論争があった。その主たるものは、虐殺された中国人の人数についてだ。中国側は南京事件で30万人が殺害されたと主張している一方、現日本政府は「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」としつつも「被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難である」としている。
日本国内では、特に70年代頃から盛んな論争が続いており、論者・研究者によっては20万人から数百人と、その数字に大きな差がある。さらにラディカルな右派は「そもそも南京虐殺はなかった」なる完全否定論を展開しており、歴史研究的側面よりも政治的イデオロギーが全面にでるきらいがあった。近年のネット上でも、ネット右翼らによる”南京虐殺は存在しない””すべてサヨクの捏造”なる論が目につくが、この度の自民党・原田議員の発言もこれに近いものだと言えよう。
だが『NNNドキュメント』が映し出したのは、明らかな日本兵による中国人捕虜虐殺の事実だった。
まず番組が焦点を当てるのが福島県在住の小野賢二さんだ。小野さんは28年の長きにわたって南京事件を調査している。これまで200人以上の元日本兵の証言を聞いており、保管する彼らが残した日記はコピーを含めると31冊にものぼるという。
そのなかのひとつに「支那事変日記帳」というタイトルがつけられた日誌がある。陸軍歩兵第65聯隊と行動を共にした、山砲兵第19聯隊所属の上等兵の遺品で、昭和12年9月から南京が陥落するまでの3ヶ月間、ほぼ毎日書かれている。そこには、ごく普通の農民だった男性が、妊娠中の妻を残して中国へ向かう様子から、民間人から物資を奪い、銃口を向ける様などが記述されていた。以下、カナ遣いなどを現代に改めて引用しよう。
〈10月3日午後6時ごろ、いよいよ上陸して支那の地を踏んだ。空襲となり我が優軍の打ち出す高射砲機関銃は火花を散らし、これが本当の戦争かと思った〉
〈11月16日、食料の補給は全然なく、支那人家屋より南京米、その他の者を徴発して一命を繋ぎ、前進す〉
〈11月17日、「ニャー」(注:中国人女性)を一人連れてきたところ、我らの目を盗んで逃げたので、ただちに小銃を発射し、射殺してしまう〉
〈11月25日、実に戦争なんて面白い。酒の好きなもの、思う存分呑む事ができる〉
そして12月、南京に迫った日本軍は、城塞を完全包囲する作戦にでる。13日、南京陥落。上等兵たちの部隊は、武器を捨てて降伏してきた多くの中国兵を捕虜にする。
〈12月14日、途中、敗残兵を千八百名以上捕虜にし、その他たくさんの正規兵で、合計五千名の敗残兵を捕虜にした〉
捕虜はその後1万人を超えたという。そして、上等兵の日記には、国際法で禁じられていたはずの”捕虜殺害”の模様が、克明に記されていた。
〈12月16日、捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出し、機関銃をもって射殺す〉
〈その後、銃剣にて思う存分に突刺す〉
〈自分もこのときばかりと支那兵を三十人も突き刺したことであろう〉
〈山となっている死人の上をあがって突刺す気持ちは鬼をもひがん勇気が出て力いっぱいに突刺したり〉
〈うーんうーんとうめく支那兵の声。一人残らず殺す。刀を借りて首をも切ってみた〉
番組では、小野さんが1994年、この上等兵にインタビューしたときの映像も放映された。彼ははっきりとした口調で、こう語っていた。
「機関銃を持ってきてバババーッと捕虜に向かって撃っちゃったんだ。捕虜はみんな死んだけれども、『なかに弾に当たんねえみたいなのがいるかもしれないから着剣して死骸の上を突いて歩け』と。ザッカザッカ突いて歩いた。おそらく30人くらい突いたと思うが。何万という捕虜を殺したのは間違いねえ」
南京事件の当事者によるリアリティのある証言だ。しかし、このドキュメンタリーの特筆すべきは、いち証言だけで結論付けず、徹底して”裏”をとろうとする姿勢にある。
取材班は、上等兵の証言と、複数の別の元日本兵による日記とを重ね合わせる。すると〈一万七千二十五名の三分の一を引き出し射殺す〉(歩兵第65聯隊第八中隊少尉の日記)、〈揚子江畔にて銃殺〉(山砲兵第19聯隊第八中隊伍長の日記)など、小野さんが所有する日誌やコピー合わせて31冊の多くが、捕虜の銃殺に触れており、なかには不自然にも12月16日の記述だけが消されていた日記もあった。
さらに、取材班は、上等兵が出発した兵庫・神戸港から上陸した上海までの時間が、日記の記述と一致することを確認。また防衛省の研究施設に所蔵されている軍の公式な記録とも重ね合わせ、当時の新聞報道の記述などとも矛盾がないこと確かめた。
そして一枚の写真。65聯隊の日本兵が所有していたもので、欄外には「南京城外幕府山ノ捕虜」とある。銃剣を担ぐ日本兵のかたわらには、後ろで両手を縛られ、防寒着を着た捕虜の姿が。12月16日、捕虜は揚子江付近にあった中国軍の海洋施設に連行されたという。当時、機関銃の引き金をひいたという元日本兵の音声がある。
「この方(捕虜)を”お客さん”て言うんだよね。『今晩はお客さんが来て、お客さんを処理するんだ』と。そして”ピー”という呼び子の、将校の呼び子の合図で、一斉射撃。ダダダダダダダと始まる」(歩兵第65聯隊元第三機関銃隊兵士)
翌17日も”処刑”は続いた。揚子江の別の河川敷で、65聯隊の伍長が後日スケッチした絵には、日本兵の機関銃が河原に集められた捕虜を半円形に囲んでいた。その余白にはこう書かれていた。
〈このときの撃たれまいと人から人へと登り集まる様、すなわち人柱は丈余(3メートル以上)になっては崩れ、なっては崩れした。その後片はしから突き殺して、夜明けまでそのところに石油をかけて燃やし、柳の枝をかぎにして1人1人ひきずって川の流れに流したのである〉
同じ現場にいたという、2人の元二等兵の証言もこれと一致する。
「とにかく1万人も(捕虜を)集めるっちゅんだから。相当広い砂原だったね」「有刺鉄線か何かを周囲に貼ったでなかったかな」(歩兵隊65聯隊元第一大隊本部行李系二等兵)
「機関銃を載せて高くしてね。砂で、砂を積んで盛って」「サブロクジュウハチ……200発ぐらい撃ったのかな」「ダダダダダダダ、一斉に死ぬんだから」(歩兵第65聯隊元第一機関銃隊二等兵)
さらに取材班は、小野さんが所蔵する資料だけでなく、独自に元海軍兵士に会いに行く。当時18歳だった元海軍兵は、南京戦に参加した際、揚子江岸での銃殺を目撃していたという。それは12月18日のこと。”処刑場”はまた別の揚子江沿岸部だった。
「12月18日、午後の2時ごろに、突然機関銃の射撃音が響いてきて。河川敷のなかに火を噴く機関銃と、倒れてわいわい……」「いわゆる陸軍のね、重機関銃の銃座が片っ方にあって。河川敷にトラックで運ばれてきた25人か30人程度の人が重機関銃の標的にされて、撃ち殺されてたということですね」「はじめはダダダンダダダンダダダンと」「やがてはダダダン、ダダダン、ダーン、ダーン……ともう、残り少なくなった弾を一発でボン、ボンと狙い撃ちしているようなのが……音聞いてわかるというふうに慣れてしまった」
このとき海軍が南京にいたことも軍の公式資料と一致している。この元海軍兵は南京戦の後、日本へ戻ると、海軍士官からある注意を受けたと証言した。
「南京で見たことは決して口外するな、ということを注意されましたね」
これらの証言や日記などの一次資料をクロスさせると、12月16日から18日の3日間だけでも、百や千ではすまない大勢の中国人捕虜が殺されたことは間違いないだろう。ようするに、捕虜を大量に殺害したあと、死体を川に流して処理するため、南京城に近い揚子江の河川敷が”処刑場”に選ばれたのだ。
安倍政権が本音では否認したい「南京事件」は、すくなくともネット右翼や右派論壇の一部がいうような「存在自体を否定」されるようなものではなかったのだ。
そして今回、歴史問題を扱うとすぐさま「反日偏向報道!」と一斉にバッシングされるテレビメディアで、ここまで踏み込んだドキュメンタリーを放映した『NNNドキュメント』には、手放しで賞賛を送りたい。番組のチーフディレクターである清水潔氏は、桶川ストーカー殺人事件など、警察・司法発表に依存しない調査報道で、なんどもスクープを重ねてきたジャーナリストだ。今回も、ひとつの証言や文献に頼ることなく、実際に現地・南京を取材し、中国人女性による証言を得た後も彼女のふるさとを訪ね家族の墓を確認するなど、徹底した裏付け調査を行っていた。その真摯な姿勢こそ、いまのマスメディアに求められているものだろう。
ただ、ひとつだけ気になるのは、今回の放送のタイトルが、事前の新聞のラテ欄では「しゃべってから死ぬ 封印された陣中日記」とされていて、「南京」の文字がなかったことだ。先週の『NNNドキュメント』の最後に流された予告編でも「南京」の言葉は一言も出てこず、番組公式サイトでも事前に告知されていなかった。ようするに、4日深夜の初放映時になって初めて「南京事件 兵士たちの遺言」という真のタイトルが明かされたわけだが、ここに何か裏を感じるのは穿ち過ぎだろうか。
権力を忖度し、ネット上の批判に怯え、萎縮した報道を続けるテレビ業界だ。その圧力を避けようとしたのか、真相は不明だが、こうした番組が継続して放送されれば、業界の失いつつある信頼も取り戻せるはず。今後も期待しつつ、まずは『NNNドキュメント 南京事件 兵士たちの遺言』の再放送を待ちたい。
(小杉みすず)
これを支持するなら、中国に抗議する必要があります。南京事件は1万数千人の虐殺であって、30万人ではない。とね。歴史の事実として主張すべきです。中国が30万という数字を出すから、南京虐殺はなかったという主張もあるのであって、歴史の事実を正確に示す必要がある。当時南京には20万人しか人口がないのでそれ以上殺すことは物理的に不可能です。
当然、日本共産党はそういう態度をとるのでしょう?
東芝さんの主張はいつも日本が加害者だったということですよね。
偏った考えですが弱小地域・国家にとってはある意味そうかもしれませんね。
しかし戦争というものは
「一方が正義で一方が悪だ」というものではありません。
「勝った方が正義で負けた方が悪だ」なんて完全に間違ってます。
一言で言うと
戦争とは単に国益と国益のぶつかりあいです。
正義と正義の戦いであるという事です。
日本も正義だしアメリカもイギリスも中国も正義なのです。
東芝さんはことさら日本が加害者であった事を強調しています。
一方でアメリカを始めとする連合国は加害者である事には全く言及しません。
日本人は大東亜戦争で310万人が犠牲になりましたが
アメリカはたったの10万人の犠牲者です。
それでも日本が悪だったと思ってますよね?
アジアを苦しめたのは事実であるかもしれません
しかし反日国家の中国・韓国以外のアジア諸国は
東芝さんの意に反して総じて極めて親日的なんですよ。
それが歴史を証明している訳です
東芝さんの主張は残念なことに反日国家である中国・韓国の主張と同じです。
東芝さんはこれら反日国家の中国や韓国の言いたい事を代弁してくれているということです。
それがどういう意味なのか理解していらっしゃるのでしょうか?
トリノさんは、ぼくが書いたことを読まないで書いているでしょう。
南京虐殺は、虐殺した人数の問題で虐殺なのかどうかを争っているのではありません。ぼくが引用した「日中共同研究」の報告書の引用でも、人数については、諸説あることが書いてあったでしょう。そういうことには異論があるけれど、南京虐殺の歴史については双方があったことを認めています。
そういうことを最初から提示しているのに、虐殺の人数について書き、それをもって「なかった」という説もあるとするのは、論点のすり替えです。
南京虐殺はあった、という事実は動きませんよね、トリノさん。
日本テレビの放映は、虐殺の事実があったことを証明したものですよね、トリノさん。
日本テレビが放映した南京虐殺の証言は、ごく一部の兵隊の証言であって、これですべてだということではありません。また南京の人口云々という話で言えば、捕虜を大量に南京に連れてきて虐殺している事実があったということです。それでもトリノさんが言うように20万とか30万という数字になるのは、無理があるとは思います。論点は、南京虐殺があったかどうかであって、中国側の30万人が正しければ虐殺があった、30万人が正しくなければ、虐殺はなかった、などというところにあるわけではないですよね、トリノさん。
けんけんさんは、具体的事実の提示に対し、ぼくの主張は、「反日国家である中国・韓国の主張と同じ」という相も変わらない中国・韓国側に立った反日宣伝だというところに逃げ込むものですね。
具体的事実を提示すると、それは反日だというのは、おかしいでしょう。
具体的事実の具体的提示をした日本テレビも、全文を引用したライブドアのニュースも反日なんですか。当時の日本兵士の日記も反日なんですか。
すさまじい虐殺を行っている事実を直視せず、すさまじい虐殺の事実を書いたら反日だという。
この論理でいけば、日本の原爆のすさまじさを告発したら、反米ですよね。
少なくともアメリカは日本のノーモア・ヒロシマ、ナガサキの運動を反米だとは言わないですよね。
日本とドイツは、同盟国になって侵略戦争を展開しました。ドイツは電撃的にヨーロッパ各国を占領しました。日本の侵略行為を書くことが反日なら、ドイツのヒットラーの戦争をヨーロッパで克明に描いたら、反ドイツになりますよね。日本の侵略戦争は、侵略戦争でなかったら、ドイツの侵略戦争も侵略戦争でなかったということですよね。
繰り返し書きますが、不毛な議論というのは、的を射ていると思います。
東芝さんへ
>南京虐殺は、虐殺した人数の問題で虐殺なのかどうかを争っているのではありません。ぼくが引用した「日中共同研究」の報告書の引用でも、人数については、諸説あることが書いてあったでしょう。そういうことには異論があるけれど、南京虐殺の歴史については双方があったことを認めています。
そういうことを最初から提示しているのに、虐殺の人数について書き、それをもって「なかった」という説もあるとするのは、論点のすり替えです。
南京虐殺はあった、という事実は動きませんよね、トリノさん。
日本テレビの放映は、虐殺の事実があったことを証明したものですよね、トリノさん。
東芝さんの歴史に対する認識を端的に表す文章です。現状で南京大虐殺を認めると後世に30万人という数字が浮かび上がり、南京大虐殺30万人が歴史の事実として残ることになります。
歴史学が真理追求どころか事実追求せずに認めるという考えです。
だから東芝さんの歴史認識は間違いだとささやいているのですよ。
歴史学は真理追求すのでしょう?真理追求するために事実の追求はしないのですか?その追究をせずに、事実だけを認めるの?そんなことしたらダメに決まってるじゃん。学問の基本ですよ。
30万人となると完璧な虐殺ですが、1万数千人となる戦闘による戦死の可能性も否定できない。その数字の意味すら認識していない。
ユネスコの南京大虐殺登録、まあ~「中国の主張する南京大虐殺」は存在しないことだけは確かです。物理的に不可能です。ただ、史実とは別に政治的な「南京大虐殺」は存在します。
東芝さんの
>南京虐殺は、虐殺した人数の問題で虐殺なのかどうかを争っているのではありません。ぼくが引用した「日中共同研究」の報告書の引用でも、人数については、諸説あることが書いてあったでしょう。そういうことには異論があるけれど、南京虐殺の歴史については双方があったことを認めています。
これなぁ~何度読んでも、・・・笑
政治的に南京大虐殺を認めるのと、史実として認めるのと混同している。
政治的には南京大虐殺はありますよ。東芝さんも「南京大虐殺」を利用して政治をするのでね。その虐殺は必要なのだと思います。
ただ、史実というか学問は東芝さんの「南京虐殺は、虐殺した人数の問題で虐殺なのかどうかを争っているのではありません。」なんて論外です。
南京大虐殺とはなんですか?・・・何人虐殺したかわからない虐殺。・・・???
まあ、ユネスコ登録で、南京事件は政治の世界に存在する事件です。東芝さんが南京事件を認めるなら、「30万人」という数字を認めることになる。
この件の最後に、僕の南京虐殺に関する個人的な推測です。おそらく何らかの事件があったと思えますが、そのレベルは1万人にも達しない小規模なものだったと思います。それが虐殺かどうか?政治に利用された事件ということです。
トリノさん、まずは「日中共同研究」の論文でぼくが引用した部分を読んでからコメントくださいね。
何だか哀しいです。不毛の論議が続いています。
悲しいのはこちらです。
>南京虐殺は、虐殺した人数の問題で虐殺なのかどうかを争っているのではありません。ぼくが引用した「日中共同研究」の報告書の引用でも、人数については、諸説あることが書いてあったでしょう。そういうことには異論があるけれど、南京虐殺の歴史については双方があったことを認めています。
これです。典型的な政治家が政治利用するときに考える考え方です。学問の考え方ではありません。
これで最後にします。結論は政治論と学問が混同したことによる論戦でした。
トリノさんが、読まずに反論しているのがよく分かる文章でした。
「これです。典型的な政治家が政治利用するときに考える考え方です」とトリノさんは書いていますが、「日中共同研究」は政治家による文章ではなく、日本と中国が双方から選出した歴史学者の共同研究文書です。共同研究の場を設定したのは外務省です。このことは、引用するときにそう書きました。日本側の歴史家の座長を務めたのは、北岡伸一氏だったことも議論の中で書きました。
歴史家が研究し発表した文章の中に、虐殺の人数についてはさまざまな意見があることを書いているということです。この共同研究に対し、「政治家が政治利用するときに考える考え方」だという批判は、北海道に行って「ここは火星か?」というような批判ですね。
全く不毛の議論です。
最後と思ったけど、もう一言。
「日中共同研究」の虐殺があったはどうでもいいのよ。ぼくは虐殺があろうがなかろうがどうでもいいのです。もう歴史のかなただと思っている。
歴史の南京虐殺とはなんか?それを知りたいのです。中国の30万人虐殺は史実ではありません。本当の史実を知りたい。事実の追求をして正確な歴史的評価をしたい。
が・・
>南京虐殺は、虐殺した人数の問題で虐殺なのかどうかを争っているのではありません。ぼくが引用した「日中共同研究」の報告書の引用でも、人数については、諸説あることが書いてあったでしょう。そういうことには異論があるけれど、南京虐殺の歴史については双方があったことを認めています。
虐殺があったことが重要なのですか?・・事実の追求は?そんな歴史観?
中国に抗議しないの?
僕は、虐殺があろうが無かろうがどちらでもいいですよ。ただ嘘の史実は認めません。
トリノさん
結局、8月17日記事「対米従属のお話し」のときと同じで、個人的な予測であり無根拠だったんですね。
話がずいぶん違う方に行っちゃいましたが
自虐史観とは?についての話ですよね?
少しエキサイトした文章にエキサイトした反論では確かに不毛ですよね。
話をシンプルに戻すと
1.自虐史観とは?
-それぞれの主観の比較によって生まれる
2.主観の根拠
-歴史学で未確定の事案は『高度な推測』にしか過ぎないが
それぞれポジティブ論、ネガティブ論が存在し
多くの個人は自身の主観に近い文献資料を読み支持する。
3.以上の事から先の大戦は「侵略戦争」と言う人もいれば
「自衛戦争」と言う人もいる。
これを前提として
侵略戦争もしくは、自衛戦争であったと言う人は、その根拠を
議論すべきだと思います。
私は、ここに来るまで左翼全てが嫌いでした。
実際の言葉を聴かず印象を持っていましたが、それは間違っていると思い
相手の言い分を聞いてから改めて左翼主義を考えるという意味で参加しています。
自分が「選んだ」資料だけを読んで『学校で勉強したレベルで
具体的文献を読んで無いヤツは書くな』と言われれば
もはや『ブログ』として気軽に意見を書き込める空間では無いですね。
ワタナベさんへ。
あらためて、議論にご参加下さりありがとうございます。お礼を申し上げます。
みなさんとの議論は、自分にとって不毛だとは思っていません。ただ、自分なりに一生懸命に資料に当たり、それを読み込んで、根拠を明らかにしているつもりですが、そういうことは意に介さず、自説のみを印象論で展開されると、どうしても嫌になってきます。立場の違いはあったとしても、建設的に議論が行われ、双方にとって認識が深まったり、考えが改まったりすることがあれば、有意義なことだとは思います。
歴史学というものは、深くはよく分かりませんが、日本歴史学会という存在もあり、数多くの歴史学者の誠実な研究があるのを知っているので、そういう方々が一次資料に当たって事実を明らかにしようとしている努力は、尊重すべきだと言いたいのです。ぼくたちは、一次資料に当たって論じているわけではないので、真面目な研究成果を踏まえて議論すべきだと思います。
学んだ内容が、高校生までの世界史の認識だったり日本史の認識だったりしてもかまいません。ただ、ぼくの場合は、30年以上前の記憶なので、明治以前の歴史については、どうしても学び直しが必要であり、言及するのには、かなりの時間を要するので、一切コメントしたことがありません。
南京虐殺については、中国側と日本側の歴史認識に食い違いがあるので、歴史学者の方々による共同研究の到達点は、尊重すべきだと思いました。引用したのは、この報告書の価値は大きいと思ったからです。この報告書では、南京虐殺の事実を双方が認めながら、犠牲者の数としては、日本側は最大で20万だとして数万単位の数値を表示しています。
戦争の最中に、資料が正確に保存されていない中で、犠牲者を把握するのは、かなり困難を伴うようです。犠牲者の数が正確でないからと言って、虐殺事件を否定できないし、日本テレビの兵士の証言やその証言にもとづく裏付けの取材を否定できないのも明らかです。
中国政府の当時の事情で言えば、戸籍がないということですね。封建時代であった清王朝から戦争に巻き込まれ、やがて中国共産党と国民党による内乱のような状態も起こり、日本の全面侵略も始まりという国の状態ですから、犠牲者の人数を特定できない状況にあったということです。
日本で言えば、東京大空襲の犠牲者、大阪空襲の犠牲者、広島・長崎の原爆犠牲者の人数も、確実には把握できていません。日本の場合難しいのは旅行者や滞在者です。旅行に行ったきり帰ってこなかった人の中には、被爆で亡くなった方が含まれています。東京も大阪も滞在者の多い大都市ですから同じような事情があります。
それでも中国の南京虐殺のような開きが起きないのは、住民票や戸籍が日本の場合はあったということだと思います。
ナカミチさん
返答が遅くなりました。
>維新後に世界に影響、その前は鼻くそかないに等しいートリノさんのこの主張について、どうしてそんなことがいえるのか。
トリノさんとナカミチさんの議論の相違点は、どこのフォーカスしているかの
違いだと思います。
例(思いつかないので・・・)統計学でA90%B10%とした場合、
Bは無いに等しいとも言えますが10%は存在するのも事実です。
そういった意味でこのタイトルの自虐史観についてと前提とした場合、
私は細かな部分ではなく大局的に(総論)として日本と世界が影響し合うのは
明治維新後だと思うわけです。
何度も書きますが90%と10%のどちらにフォーカスする違いです。
歴史家のくだりについては、歴史家の研究により紆余曲折ありながら
真理に至るので重要な学問だと思います。
しかし、結論に至るまでは各人の推測なので過程としては
自己の研究による『主観』でしかないとも思います。
これは、歴史家だけではなく科学や医療全ての研究家に
共通するもので歴史家だけに該当するものでは無いと思います。
東芝さん、
返答ありがとうございます。
>そういう方々が一次資料に当たって事実を明らかにしようとしている努力は、尊重すべきだと言いたいのです。
おっしゃるとおり尊重すべきだと思います。
南京の虐殺については、人数の相違に単を発して「首切り」の写真が
別の写真を南京虐殺時であるとした例などハッキリ分かっていない部分や
事実と違う捏造も多々あると思います。
(*戦闘員が住民に変装しゲリラ活動をする事を粛清するために
掃討したなど簡単に「コレでした」の結果は難しいと思います。)
しかし、史実が事実と確定したならば私もその現実を受け入れると思います。
話は、南京虐殺の有無から少し反れますが
中国は、アヘン戦争や香港返還後、イギリスへ対しては
大々的には抗議その他は行っていませんよね。
しかし日本へは、靖国参拝も(1985年以降から急に!)
従軍慰安婦の問題も朝日新聞の捏造記事の掲載から
中国・韓国は急に騒ぎ出しました。
あきらかに両国は外交交渉のカードとして使用しているのは周知の事実です。
その相手に対して(私から見ると)自虐的にこちらから譲歩するのは
国策として、いかがなものなのかと思います。
相手の立場を考えて『ごめんね』『賠償金もあげる』というのは
善人としては言い易く自己の呵責から逃れられるので気分はイイ思います。
しかし、私たちは子々孫々にこの日本を素晴らしく豊かな国を
引き渡す義務があります。
相手が外交の手段としてくるのであれば、日本も外交上有利に持っていく
努めがあるのではないでょうか。
加筆します。
東芝さん
>日本テレビの放映は、虐殺の事実があったことを証明したものですよね
これは、虐殺があったという前提に取材、収録されたものです。
(だから事実無根であると書いている訳ではありません)
そういった意味で、『無かったと言う人』が編集した
【南京大虐殺が捏造であると断言できる25の証拠画像】
http://www.news-us.jp/article/427738012.html
こちらも一度見てみてください。
朝日新聞の南京虐殺事件のスクープ記事を書いた
本多勝一元記者が、「南京大虐殺」写真の捏造認めています。
このように南京虐殺事件について「あった」とすれば不自然な事柄
(人数や写真)が多々あるので真偽はまだ分からないと思います。
ワタナベさんも参戦したので、やめようと思いましたが・・・
その「日中共同研究」を調べました。しかし、東芝さんのええとこどりもなあぁ~笑。「日中共同研究」のは、南京虐殺の研究かと思ったら違うじゃん。日本と中国の長い歴史のつながりを合同で研究するものじゃん。クソ長い原文なので、読むのあきらめました。ただ、その北岡伸一の国際政経懇話会での講和メモがネットにありましたので紹介します。
http://www.gfj.jp/j/roundtables/224_100512.htm
抜粋が
問題とその立脚点
中国側は日本側が「侵略を認めた」「南京虐殺を認めた」ということを、今回の共同研究の成果として強調しているが、そもそも「日本の侵略」も「南京虐殺」はわが国の専門家にとっては自明の事実である。満州における関東軍の行動は満州鉄道を守るためというには範囲が広すぎ、その点からも日本軍の侵略行為であると言わざるをえない。他方、中国側は、たとえば「盧溝橋事件」について、従来の「日本が意図的に引き金を引いた」との理解から「偶発だったかもしれない」との理解を示すようになるなど、徐々にその認識が変化しつつある。しかし、総じていえば、歴史認識に関する日中の問題は中国側が被害について誇張しているという点にある。今回の共同研究の目的は「日本が悪い」という決定論から脱却する試みだったが、中国側研究者が若いからといって歴史認識に対して柔軟ではないという点、また、中国自体が歴史を現近代と捉えており、それ以前の史実についての研究が少ないという点が問題として残ったといわざるをえない。反日感情を助長する愛国主義的教育は若者に多大な影響を与えている。日本は、「たしかに侵略も虐殺もあった」という常識的立場に立つことによって、中国側の誇張した非科学的な主張をあぶりだし、議論において優位に立てるのである。
中国と東芝さんの立場が同じなのが・・・笑。
それと虐殺の20万人以下というのは、南京市の当時の人口でありそれ以上の虐殺は不可能ということですが、実際は2万か?4万か?・・というもの。
簡単に言うと、南京事件を認めたというより、戦争しているんだから略奪や虐殺があるのは当然、問題なのは中国の数字が誇張しすぎるのと中国の歴史学者のレベルが低すぎる。
南京事件(虐殺)はあったが、南京大虐殺はないということです。一度も大虐殺なる文字は見当たりません。
まあ~殺し合いしてるんだから当然と言えば当然。ただ太平洋戦争における重要性としては南京事件は重要性の低いレベルです。
トリノさんの論点は次第にずれて、ぼくが言いたかったことに近ずいています。よかったですね。ぼくも南京大虐殺とは一度も書いていません。南京虐殺はあった。これは日本と中国双方の一致点です。いみじくもトリノさんは北岡伸一氏の言葉を引用していますが、この方は安倍内閣のブレーンのような役割を果たしている人ですが、日本の侵略はあったという見解に立っています。それは明らかな事実だからです。
日本の戦争は、アジア解放の戦争だった、とか、南京虐殺はなかったという言説が広がっているので、事実を直視すべきというのがぼくの主張でした。事実を認めるという点で、一致したのは一歩前進でしょうか。
ワタナベ さん
いえいえ、ありがとうございます。
>歴史家のくだりについては、歴史家の研究により紆余曲折ありながら真理に至るので重要な学問だと思います。しかし、結論に至るまでは各人の推測なので過程としては自己の研究による『主観』でしかないとも思います。これは、歴史家だけではなく科学や医療全ての研究家に共通するもので歴史家だけに該当するものでは無いと思います。
まさにこれ、そのとおりだと思います。
学問とは、あるいは興味をもって主観的に目的を得、客観的に与えられた課題がなにか見出し、課題解決のために主観的に方法を模索し、その方法の客観的妥当性を検討のうえ選択し、その方法で実際に課題に取り組み、得られた結果に対しその時点では主観性を排除できない仮説や推論をたて、それが客観的に正しいのか反証的に検討したり実験的に検証する、およそそのような主観と客観の狭間で煩悶するような過程を経て真理に迫っていくものだと私は思っております。
人文科学も自然科学も、扱う対象が違いますが、この意味では同じです。
職業としての歴史学は、アマチュアと最も異なるのが、一次資料を基礎としていることです。文献史料でも、考古資料でも、他の研究者による釈文や図面といった二次資料ではなく、実際の文献・遺構・遺物にあたり、自分で調査、資料化することを基本としています。
>A90%B10%とした場合、Bは無いに等しいとも言えますが10%は存在するのも事実です。そういった意味でこのタイトルの自虐史観についてと前提とした場合、私は細かな部分ではなく大局的に(総論)として日本と世界が影響し合うのは明治維新後だと思うわけです。何度も書きますが90%と10%のどちらにフォーカスする違いです。
私も細かい話をするつもりはありません。単純な話で、根拠がわからないだけです。
本当に明治維新後が90%で明治維新前が10%と根拠をもっていえるのであれば、私を含め誰でも明治維新後をフォーカスしますよ。
明治維新後が90%、明治維新前が10%となぜ言えるのです?根拠はありますか。
なかみちさん、いいコメントをお書きいただき、ありがとうございます。
「人文科学も自然科学も、扱う対象が違いますが、この意味では同じです。
職業としての歴史学は、アマチュアと最も異なるのが、一次資料を基礎としていることです。文献史料でも、考古資料でも、他の研究者による釈文や図面といった二次資料ではなく、実際の文献・遺構・遺物にあたり、自分で調査、資料化することを基本としています。」
というのは、全く同感です。
ぼくは、せいぜい、そういう研究からなにがしからのものを学ぶ程度ですから、専門家の研究を受け入れるにしろ、受け入れないにしろ、真摯な研究については、敬意を払うべきだと思っています。
東芝さん
こちらこそ、評価下さりありがとうございます。
研究者にとって最も大事なものは、生の資料です。
東芝さんのコメントを見ていると、とても安心します。それは保守か革新かとか、親日か反日かとかは関係ありません。説明が丁寧だからです。どのような思想にせよ、ことばを大切になさり、反対意見にも耳を傾け丁寧に対応くださる方は政治家として信頼できます。
きっと、町の議員さんにとって、プロとして最も大事なものに多くあたられているのだろうーそんな印象を受けています。
なかみちさん
>明治維新後が90%、明治維新前が10%となぜ言えるのです?根拠はありますか。
言葉の例えと言いますか、感覚的なもんですw
言い換えれば90:10ではないかもしれないが、過半数が逆転する事は無いと
言えば理解頂けると思います。
そもそも「影響」とは何を指すのか?も曖昧ですからね。
文化で言えば仏教や漢字の伝来が最大だろうし
政治経済的と言えば明治維新後だと思います。
根拠は、ブンクラ文系の学校の勉強レベルですw
それにしても、なかみちさんの文章は勉強になりますw
日中歴史共同研究の日本側論文の中での南京事件の部分は
あいまいな表現も多く一次資料を基礎としているとは
到底考えられません。到達した答えが2万~20万人の死者?
中国側論文との内容の乖離ははなはだしいしもう笑うしかない。
北岡氏の証言も南京事件の部分は日本側が妥協するしかなかった
という事を証言しています。
そうしないと議論が紛糾し日本側が圧倒的に不利になるとの事だった。
南京事件は東京裁判でも判決が出ている訳ですし
中国は国民を教育し南京大虐殺記念館とかも作ってしまっている訳です。
いまさら敗戦国の日本が南京虐殺が無かったなんて国際的に言えない状況です。
もし南京事件は無かったと主張したらアメリカを敵に回す訳ですから
何の国益にもならないと判断されたのでしょう。
中国は文化大革命大虐殺やウイグルチベット大虐殺や天安門大虐殺の記憶を少しでも薄めたいし
アメリカも東京大空襲や広島、長崎の原爆の罪悪感を少しでも和らげたいのですから、
日本軍による南京大虐殺は無くてはならないのです。
東芝さんは外務省ホームページに載ってるんだ!!
日本政府は公式に南京虐殺を認めてるんだ!!
日本はアジアに対して加害者なんだ!!
と鬼の首を取ったかのごとく喜んでらっしゃいますね。
日中歴史共同研究の南京事件の部分は
政治的妥協の産物である側面が極めて大であると言わざるを得ません。
【これが南京の真実です】
①1937年12月1日から1938年10月24日の間、中華民国国民党スポークスマンは
約300回もの記者会見を行い、参加者は平均50名、内外国人記者平均35名だった。ところが300回ものもの記者会見においてただの一度も「日本軍が南京市民を虐殺したとか捕虜の不当殺害を行った」との非難が一度もされていない。
②南京陥落の後、120名近くの記者が日本軍とともに南京に入城したにも関わらず朝日を始めとする当時の新聞報道、記者の証言の中で、虐殺事件の片鱗すら語られていない。
③南京事件の証拠写真とされるものの中に証拠として通用するものは一枚も無い。(別の時期に撮られたものや通州事件で日本人が殺害されている写真等を流用、ねつ造等々)
④毛沢東ですら生涯南京事件に一度も言及したことが無い。
⑤南京入城時の人口が20万人だった。わずか1ケ月後25万人に増加。
その後も増加し続ける。
⑥東京裁判に備え中国国民党政府は中国人に南京における日本軍の犯罪を申告するよう呼びかけた。ところが日本軍の残虐行為を申告するものが甚だ少なく、中には否認する者すら現れた。結局1名の目撃証言ただ1件のみであった。(信憑性が無い)
⑦1966年蒋介石80歳の時の証言
「南京に大虐殺などありはしない。ここにいる何応欣将軍も軍事報告の中でちゃんとその事を記録しているはずです。私も当時、大虐殺などという報告を耳にした事はない。松井閣下は冤罪で処刑されたのです。」
【結論】
蒋介石を初めとする国民党幹部が南京城から逃走した。
追い詰められていた国民党軍兵士は事もあろうに軍服を脱ぎ捨て一般市民を強盗し服を奪い略奪し強姦し殺害し破壊し家屋に火を放った。
自作自演であったことは中国国民党軍の戦い方を調べるとすぐに解ります。
故に日本軍による南京大虐殺は虚構でありねつ造であるという事です。
けんけんさんの見解は、安倍内閣によって否定されています。今日本政府が問題にしているユネスコの世界記憶遺産の登録をめぐる南京事件も、南京虐殺があったという事実を認めた上での話です。このことは、けんけんさんが少し調べれば、すぐに分かることです。
南京虐殺があったことは、当時南京にいた外国人22人の証言によって、世界に発止されていたし、日本軍が南京虐殺の事実を把握して、綱紀粛正を唱えていました。
事件当時、外務省東亜局長だった石射猪太郎(いしいいたろう)は、回顧録『外交官の一生』(読売新聞、1950年)にこう書いています。
「南京は暮れの十三日に陥落した。わが運のあとを追って、南京に帰服した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告が我々を慨嘆させた。南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の報告である。憲兵はいても少数で、取り締まりの用をなさない。制止を試みたがために、福井領事の身辺が危ないとさえ報ぜられた。昭和十三年一月六日
の日記にいう。
○上海からの来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強姦、目も当てられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か。日本国民心の頽廃であろう。大きな社会問題だ」
当時の軍の反省も書いておきます。
第十軍は、南京攻略直後、杭州の攻略に向かったが、これに対し軍参謀長は、12月20日、配下の師団参謀長、直轄部隊長に対する通牒を出している。
「掠奪、婦女暴行、放火等の厳禁に関しては屢次(るじ)訓示せられたる所なるも、本次南京攻略の実績に徴するに、婦女暴行のみにても百余件に上る忌むべき事態を発生せるを以て、重複を顧みず注意する所あらんとす」(第十軍作戦指導ニ関スル参考資料其三)
南京虐殺のことにつては、繰り返して書きますが、日本政府も虐殺はあったと言うことを認めているということです。けんけんさんのように南京虐殺はなかったというのは、通用しないというのが、歴史家による研究の結果です。それでも、一部の論者は南京虐殺を否定していますが、それは政治的には一定の支持があったとしても、真面目な歴史研究としては、評価に値しないものになっています。
南京事件では、捕虜が大量に虐殺されています。日本軍の方針には、支那人は戸籍法がないので殺しても問題にならないという意味の文書が残されています。(『対支那軍戦闘法ノ研究』 これは教育用パンフレットで秘密扱いの文書だった)支那事変は戦争ではなったので捕虜には交戦法規は適用されないという考え方でもあったということです。
けんけんさんへ。現在岩波新書の『南京事件』(笠原十九司著)を読み始めています。
①については、現時点ではよく知りません。
②については、日本の記者団があの時代、日本軍の蛮行を書かなかったのは、書いてはいけなかったという事情にもあったということでしょう。
③南京事件を証明する写真はあると思います。写真誤用事件はありました。常套手段ですが、写真が誤用であることを持って、南京事件をなかったことにする批判はありました。
④⑦毛沢東や蒋介石が南京事件に言及しなかった、という点については、まだよく知りません。ただし、この2人が言及しなかったからと言って南京事件がなかったということにはならないと思います。蒋介石が南京城から闘争したという事実をぼくはまだ確認できていません。こういう事実があるならば、『南京事件』に書かれているはずだと思います。他の文献には、こういう指摘はありませんでした。
⑤南京の人口は当時百万を超えていたが、日本軍の侵攻によって(300キロ、攻めながら略奪しながら南京を目指した)半数近くの人々は南京から闘争していたという指摘がありました。人口20万人という指摘がどこから出ているのか、よく分かりません。
⑥東京裁判と同時に中国でも南京事件についての裁判が行われ、日本からも被告として出廷し、死刑判決を受けた人もいます。東京裁判、中国での南京事件の裁判に証言が採用されていますが、1人だけだったという事実は、なかったと思います。
1980年代に入って、元日本兵からも生々しい証言がたくさん出ています。南京陥落に至る過程でも多くの人々が殺されましたが、同時に占領して以降、日本軍は大量の捕虜を虐殺しています。便衣兵の殺害はその中での出来事であり、しかも占領後はゲリラ戦を展開していたのではなく、敗残兵・便衣兵というものだったということです。
けんけんさんのように、事実を全く認めない、日本と中国の専門家による研究も全部否定するという態度は、理解しがたいものです。
「日中共同研究」における日本側の研究 では 20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている。
の20万人という数字の意味は、当時の南京市の人口を意味するもので、もしその人口に異論を唱えるとなると、僕の「日中共同研究」に対する肯定的見解を訂正することになります。
南京市の人口は20万人なのでそれ以上の虐殺はなく、日本側の研究によれば4万人とか2万人という諸説がある。
というのが日中共同研究の趣旨であり、その人数に疑問を投げかけることは日中共同研究全般に疑問を投げかけることになりますので・・・念のため。
それと、岩波新書の『南京事件』(笠原十九司著)なんか出てくるのよ・・・歴史は勝手な意見をお互い言い合う学問なので、著者が違うと見解が違う。国が違うと見方が違う。
日中共同研究のみを史実として扱ってほしい。いいとこどりはできませんよ。
東芝さんの指摘は全く当たりません。
安倍内閣が日本軍の南京大虐殺を認めようとどうだっていい。
しょせん政治的妥協の産物でしかなのですから。
安倍総理のいう戦後レジュームからの脱却など絶対無理。
私は日本軍の南京大虐殺を認めません。
ところで当時日本は約65%の資源を米英に頼っていました。
もし日本軍が国際法に違反して市民や捕虜に対する
残虐行為を繰り返した場合、南京は中華民国の首都ですので
在外公館も多いしそれこそ欧米人から指摘されるようでは
米英から経済制裁を受けることになりかねず
そうなれば致命的打撃をうけます。
そういう状況である事を日本政府も日本軍も松井大将も熟知して神経をとがらせていた訳です。
綱紀粛正を厳命していたのもそういう意味があるのです。
道に落ちていた女性の人の片方の靴を拾って持って帰った中尉ですら軍法会議にかけられたそうです。
当時の日本軍には大虐殺をしなければならない動機も理由もありません。そもそも日本人は大虐殺するような民族性もありません。
12万人の軍隊を統率するなんて大変な事です。
その中で100件程度の違法行為で抑えられていたのは立派な事ではありませんか。まあその中の何十件も実は便衣兵の仕業でしょうけど。
捕虜が大量に虐殺されていると言いますが殆どが便衣兵ではありませんか。彼らは軍服を着ていません。非常にダーティーで卑怯なやり方です。私服を着た奴が背後からいきなりピストル撃ってくるんですよ。
ハーグ陸戦条約では便衣兵は即時処分して良い事になっています。
国際法上合法なやり方です。
そんなことより
ぼくの書いたことに対して、一切言及がなく反論するのは、フェアじゃないと思いますよ。
東芝さん
>石射猪太郎(いしいいたろう)は、回顧録『外交官の一生』(読売新聞、1950年)にこう書いています
>中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の報告である。憲兵はいても少数で、取り締まりの用をなさない。制止を試みたがために、福井領事の身辺が危ないとさえ報ぜられた。
>軍参謀長は、12月20日、配下の師団参謀長、直轄部隊長に対する通牒を出している。
「掠奪、婦女暴行、放火等の厳禁に関しては屢次(るじ)訓示せられたる所なるも、本次南京攻略の実績に徴するに、婦女暴行のみにても百余件に上る忌むべき事態
提示頂いた資料を読むと軍部は軍紀の乱れを抑止しようとしている訳ですよね。
軍隊として組織的に行わないと20万人の人間を虐殺なんか物理的に無理だと
解釈するのが自然だと思います。
一部暴徒となった兵隊が暴れた結果が100件程度と記載されています。
慰安婦を認めた時と同様に敗戦国の政治的配慮で虐殺の事実を認めたと
推測するほうが100倍自然ですね。
東芝さんが提示してくれた資料で更に確信しました。
東芝さんの推薦する。
「日中共同研究」近現代史部分だけ読みました。
盧溝橋事件以降、太平洋戦争終結まで死者数。日本軍約42万人、国民政府軍132万人、中共軍58万人。トータル約230万人という推定戦死者です。当時は、日本軍・国民政府軍・中共軍三つ巴の戦いで、まあその戦死者の数からするとすごい戦争でした。
南京事件については、妥当な死者数2万~4万人と推測しています。
南京事件にについても東芝さんは、中国の主張を否定して、「日中共同研究」を支持していますので異論のないことと思います。また、戦争の全体像から考えると、南京事件はそれほど重要事件ではなく、ことさら強調されるようなものではありません。死者数から推測すると、当時の戦争における略奪、虐殺は当然あるもので、日本軍が特段に異常だったとはいえません。
当然、東芝さんも「日中共同研究」全文を読んでいると思いますので、詳細は書きませんが、重要ポイントというか分岐点は「盧溝橋事件」であり、これについて詳しく論議するのが歴史のポイントだと思います。
結論として
①南京事件はあった。ただ、戦争という異常行為の中で起こりうる範囲レベル。
②中国の主張する南京大虐殺は存在しなかった。
まあ~歴史を語るなら、盧溝橋事件をの方が日本に問題ある事件だと思います。
【これが南京が20万人の根拠です】
1937年11月16日、蒋介石は南京放棄を決定しました、「3日以内に政府機関は撤退準備を完了せよ」と命じた。このため8月から脱出を始めていた富裕階級に続いて、政府関係者も南京から脱出し、残ったのは中国軍兵士と貧民だけでした。
1937年12月7日、中国軍は南京城外の半径16キロ以内の数百の村落・建物を焼き払った。これが清野作戦。中国人が略奪、強姦、破壊、殺人をした。
近郊の住民は中国軍によって住居を焼き払われ、住む所がなくなった。
1937年12月8日、唐司令長官が南京城内の全ての非戦闘員に対し「難民区」に集結するよう布告、市民は身の安全を求めて「難民区」に殺到した。よって城内も安全区の外は無人地帯となった。
安全区委員会も12月17日の文書で「13日に貴軍(日本軍)が入場した時にわれわれは安全区内に一般市民のほとんど全てを集めました」と記している。
では、安全区の人口はどのくらいだったのか?
安全区委員会委員長ジョン・ラーベは、南京戦が始まった12月10日付日記に「20万人」と記しています。その後、日本軍による市内制圧・占領と続きますが、安全区委員会の認識は12月17日付文書以降一貫して「20万人」でした。
こと人口に対する限り、安全区委員会の認識は確かだった。何故なら難民たちの食糧問題に頭を悩ました委員会にとって、安全区の人口を正確に把握することはどうしても必要だったからです。
南京には中国軍兵士も存在した。その数について東京裁判の判決文には「中国軍は南京を防衛するために、約5万の兵を残して撤退した」とあります。
以上から判断すると、戦闘開始時の南京城内の人口総数は、最大でも「25万人」ということになる。
その後、南京の人口はどうなったか?
安全区委員会の文書には、1938年1月に入ってからの安全区の人口を「25万人」と記している。5万人増えた計算となる。この増加分は、城内に潜んでいた中国軍将兵とその家族、及び一般市民を兵民分離工作の際に「敵意なし」として登録した分であろう。
その後も人口は増えていく。2月上旬に安全区が解散された後、スマイス教授は多数の中国人を動員して人口調査を行い、3月下旬の南京の人口を「25万ないし27万」と推定している。同じく3月28日に発足した南京維新政府南京市政公署が登録した住民の数は「27万7千人」だったということです。
東芝さんのいう通りたとえ南京に100万人いたとして、100万人の内30万人も殺されるということは、家族・友人・知人等何らかの関係がある人が必ず殺されているということになりますよね。こうした事態になれば、いくら日本が隠そうとしても隠しきれるものではありませんよ。1937年12月から大問題になってるはずです。
当時も何の問題にもならなかったんです。
大阪朝日新聞上海支局員・山本治氏は、南京での虐殺について「全然見たことも聞いたこともありません。夜は皆集まりますが、そんな話は一度も聞いたことはありません。誰もそういうことをいったことがありません。朝日新聞では話題になったこともありません」と証言しています。
南京に入城した時、総司令官・松井大将は外国人記者を集めて記者会見に応じたが、大虐殺など話題にもならなりませんでした。
証言は特派員に限らない。従軍画家・外交官・軍人・カメラマン等の視点から、実際の南京の様相を目の当たりにした回想は、どれもこれもこのようであった。処刑もあり死体もあったが、虐殺に相当することは見たことも聞いたこともないという点で、ほぼ全ての証言が一致している。
朝日新聞で本田勝一が昭和46年にに中国の旅という特集を組んで
はじめて中国が反応したんです。
それまで中国から何も言及もされなかった。中国人ですら知らないことだったんです。
「中国軍の清野作戦により、南京郊外の農村はほとんど焼き払われた。中立国軍事専門家の目には、この焼き払いは軍事的には日本軍の阻止に殆ど役だたず、ただ農民たちに計り知れない惨禍をもたらすジンギスカン以来の組織的破壊と映った」(ニューヨーク特電1937年12月8日、朝日10日夕刊)
南京事件の際、朝日は八十余名という世界最多の記者が現地にいた。にもかかわらず、当時、南京大虐殺を一行も記事にしていないのは不可解だと首を傾げるのは、南京問題に詳しいジャーナリストの水間政憲氏だ。「大虐殺派は、報道規制と反論するでしょう。しかし、後に自民党幹事長という要職に就く橋本登美三郎さんは、当時、朝日の上海支局次長で、取材班のトップとして南京城に入った。その彼が阿羅健一さんのインタビューに「見聞したことは自由に報道できた」と語っています。
報道規制も無かったんです
読者の皆様へ
新書「南京事件」掲載写真に問題のあることが指摘されました。
読者の皆様に多大なるご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。
小社としては同書の出品を一時停止し、写真を差し替える措置をとりました。
お取替えをご希望の方は、岩波書店編集部までご一報いただきたく存じます。
岩波書店
東芝さんが読んでいる岩波書店南京事件はニセ写真を使っているみたいですよ
陥落から3週間たった1938年1月4日のニューヨーク・タイムズに、1月3日上海発として「元支那軍将校が避難民の中に…大佐一味が白状。南京の犯罪を日本軍のせいに」という記事が出ている。
市民が日本軍に撃たれていたのであれば、ラーベ(国際委員会の委員長)は日本大使館に抗議したはずである。ところがラーベたちは最後まで抗議せず、それどころか国際委員会の1号文書は、日本軍が安全地帯を攻撃しなかったことに感謝の意すら表明していた。
南京虐殺は虚構ですね
「レイプ2万から8万」という、ソ連兵のベルリン攻略の後は大変なベビーブームだったと伝えられるが、
2万件以上レイプがあったと言われる南京で日中混血児が一人も生まれた事実が無い。
戦時中は中国大陸の約8割の都市を、日本が8年にわたって占領しました。この8年の間、南京以外の場所では虐殺問題など起こっていません。これは事実です。従って「南京虐殺はあった」と主張する人は、なぜ南京だけで虐殺が起こったのかをデータで示さねばなりません。北京だって武漢だって三鎮だって虐殺は起きていない。北京などは「日本が統治していたときが一番よかった」と言っているのです。
ヒトラーがユダヤ人を虐殺したのは、アウシュビッツだけではない。あらゆるところで虐殺した。
ところが日本の場合は、中国の中で不自然にも南京だけで虐殺が起こったことになっている。
東芝さん
南京虐殺はねつ造なんです
認めて下さい
連投申し訳ございません
東芝さんは
おそらく旧日本軍の兵士がこんな悪事あんな悪事をやったんだ
という数々の旧日本兵の証言を引き合いに出そうと考えていると思います。
しかしその証言のほとんどが
中国帰還者連絡会(ちゅうごくきかんしゃれんらくかい)、中国の撫順戦犯管理所に戦争犯罪人として抑留された旧日本軍の軍人が帰国後の1957年9月24日に結成した団体。略称は中帰連(ちゅうきれん)
中帰連の出身者の証言です。
中帰連の方は悲しいかな
完全に中国に洗脳されているのです。
日本をおとしめる為の洗脳は徹底的でした。
南京事件に関しては中帰連出身者のでたらめな証言が殆どです。
南京事件に一切関係していない中帰連旧日本兵が
南京事件を証言したりして
でたらめすぎます。
そのほとんどが虚偽であると論破されているのです。
歴史とは正確であるべきです。
事実は一つなのです。
立場によって歴史の見方、解釈が変わるなど
トリノさんには申し訳ございませんが
本来あってはならないのです。
間違った歴史ならば修正すべきです。
我々のおじいちゃんの行ったと言われる事が
冤罪ならば
それを晴らさなければならない。
嘘の歴史を押し付けられるなど
あってはならない。
東芝さん そうは思いませんか。
けんけんさんへ。南京虐殺事件は、歴史的な事実です。それは中国と日本の歴史家が共同で研究し確認されていることでもあります。日本テレビの証言も日本兵だけで200人を超えるものだったということを紹介しました。
このすべてを否定することは、できかねると思います。
30万人の虐殺があったという中国側の証言を正しいとしている日本の歴史家やジャーナリストはいないと思われます。
けんけんさんは、全面的に南京虐殺を完全に否定していますが、権権さんが拠り所にしている論拠の元である文献なり本をお示し下さい。
ぼくが所持している岩波新書の『南京事件』の版は2015年1月15日発行の第16刷というものです。歴史研究は正確を期する必要はありますが、この本を巡っては、1枚、写真の誤用があったということです。岩波書店は、作者と協議の上、写真を取り替えた版を出して、購入者に対して本の交換を呼びかけ、交換しています。写真誤用を持って、森村誠一の『悪魔の飽食』が絶版にならなかったように、『南京事件』は1997年発売以降、写真誤用事件を乗り越えて今も発売されています。
ひとつだけ。
歴史において、なかったことを証明するのは、最も難しいことの一つです。
否定説を成立させるには、肯定説の根拠が一つもないことを示すのが条件となるからです。
あったとする根拠がいくつかある以上、その全てを否定するのは極めて難しく、肯定説に分があると思います。
ならば
あくまでも南京大虐殺が歴史的事実と言い張るのであれば
データをもとに検証する必要があります。
まずは
東芝さんの主張する
南京大虐殺があった根拠をデータとともにお示し頂きたい。
中帰連旧日本軍兵士の証言など
裁判ともなれば証拠として全く通用しませんから。
あらかじめ言っておきますが証言など証拠になりませんからね!
証言が証拠となるなら法治国家などとは言えません。
なぜなら口がうまい人が極めて有利になるからです。
信憑性のあるデータを提示下さい。
まずはそれからです。
それを提示できないようであれば
南京大虐殺は到底認定できないと言わざるを得ませんよ。
けんけんさん
確認なのですが、日本軍が1937年12月13日以降の南京占領時に、便衣兵を除く捕虜、敗残兵、一般市民を数万人以上の規模で殺したという事実はなかった、という意味で南京大虐殺はなかったとおっしゃるのですか。
けんけん・・・・自然科学と違い、歴史学は真理追求の学問でないので、事実は2つあってもOKです。また、一つの歴史の事柄、例えば「広島への原爆投下」はアメリカと日本では歴史の評価が違います。南京事件も同じで、事実が2つあり解釈も二つある。そういうものです。なにせ、歴史には政治が絡む場合が多いので、どうしようもありません。
それと、東芝さんの
「岩波新書の『南京事件』の版は2015年1月15日発行の第16刷というものです。歴史研究は正確を期する必要はありますが、この本を巡っては、1枚、写真の誤用があったということです。岩波書店は、作者と協議の上、写真を取り替えた版を出して、購入者に対して本の交換を呼びかけ、交換しています。」
自然科学の世界では通用しない言い訳です。真理追求する姿勢というのは非常に厳しいものです。
真理追求の自然科学の場合、「1枚、写真の誤用」いかなる理由があってもアウトです。それを堂々と交換で処理するところが、歴史が科学でない証拠です。南京事件があったことが重要で、史実から南京事件を分析するという姿勢ではありません。小保方さんのSTAP細胞対する考えと同じようなもの、「その実験内容に問題はあったかもしれませんが、STAP細胞はあります。」つまり真理が重要ではなく結果が重要。「写真の誤用はありましたが、南京虐殺はありました。」つまり南京虐殺があったことが重要で、その証拠は重要ではない。・・・全く同じ考え方です。結果が最初から決まっているので、その過程は重要でない。結果に都合のいい証拠を並べただけ。
まあ~いいんじゃないの?歴史ですので・・過去なんか都合のいいように勝手に評価すればいいだけですよ。
皆さんの議論、非常に勉強になります。
ただ、けんけんさん、東芝さんの両方の意見を拝見すると
けんけんさんが示している内容は非常に客観性があるのに対し、
東芝さんの論拠は、歴史研究家の内容や中帰連の出身者の証言であるなら
やはり、客観的合理性に欠けると思います。
(何度も書きますが、政治的判断で認めた政府は理解出来ます)
・北朝鮮の拉致問題→社会党は完全に否定(共産党は兵本氏除名後方向転換)
・従軍慰安婦問題→朝日新聞が捏造を認める(軍の関与の証拠なし)
・南京虐殺→特定団体の証言を前提とした歴史研究家の判断・・・・・・
どうなんでしょうか、これまでの左派の人達のでっち上げ冤罪は。
日本自体を陥れるネタ探ししてるのかなとも思えてしまうのが
一般的な国民の考えではないでしょうか。
ワタナベさんの言う通りですよ。今回はけんけんに分があるというか、虐殺の物的証拠(死体か遺骨)がない以上証拠がない。それを言っても、東芝さん聞かないからしぶしぶ「日中共同研究」を肯定してたのですが、今度は岩波新書持ち出されるとなぁ~つまり都合のいい資料を自由に選べることになる。せめて資料は「日中共同研究」の一つに絞って論議してもらわないと、まとまるものもまとまらないのよ。
政治と歴史を混同しているというか・・・事実追求に程遠い姿勢です。
ただ、戦争というのは殺し合いなので、略奪や虐殺はあって当たり前です。当然、国民党軍や中共産党軍も日本軍と同じようなことをやたと思われ、特段に日本軍が悪かったわけじゃないと・・・
日本自体を陥れるネタ探し?・・・まあ~それが政治姿勢ですので、致し方ないと思いますよ。・・・はい。
けんけんさんに対し、ぼくは、文献の名前を明らかにするように求めました。何度も書きますが、我々は1次資料に当たることのできる立場にないので、根拠としている文献などを示すことになると思います。
ぼくは、自分の書いていることが何に依拠しているのか、採用した文献を示す努力をしてきました。
けんけんさんもぼくの要請にお答えください。
藤岡信勝 東中野修道『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究 ―中国における「情報戦」の手口と戦略」
阿羅健一 「再検証 南京で本当は何が起こったのか」
竹本忠雄 大原康男「再審「南京大虐殺」世界に訴える日本の冤罪」
秦郁彦 「現代史の虚実」
東芝さんにお聞きしたいのですが、
事実は別として、東芝さんが今まで思っていた結果を否定する
証拠などが色々と出てきても否定し続ける理由って何なんですか?
凡人の私は、違った事実などを教えてもらったら
「へーなるほどー」「そうだったんだー」と思うのですが。。。。。。
けんけんさんの示す内容を否定し続けるのは、なぜなんでしょうか?
ものすごく不自然に不思議に思えます。
是非、教えてください。
採用した文献を示して、なんの意味があるのか・・・(;´д`)トホホです。
読んだ文献が違えば当然解釈も違い・・・全く論議にならないにきまってる。
しかし、東芝さんも悪い。自分が「日中共同研究」を言い出しながら、その内容を否定するような見解をする。「日中共同研究」を押し通して、それに沿った歴史論を展開すれば、応援しようと思ったけど・・・なんなの??これじゃあ、「日中共同研究」は南京虐殺があったと認めさせる単なる道具に過ぎない。「日中共同研究」の内容自体を認めていないいじゃないの・・・はぁ~。
岩波新書の『南京事件』は認められませんよ・・・・「写真の誤用があった」というのは「意図的な証拠の捏造があった」というのと同義語です。
岩波新書の『南京事件』は、他にも捏造の箇所があるかもしれないが発覚していないだけと判断します。
けんけんさんへ。
蒋介石の話だけ、反論しておきます。
蒋介石が、南京虐殺事件を否定したというニュースソースは、田中正明氏の講演によるものです。
講演は、「興亜観音を守る会」会報15号に掲載されたものです。
以下、引用します。
「興亜観音を守る会」会報15号より
田中正明氏講演
東京裁判とは何か、七烈士五十三回忌に当たって約1週間の後、台北の旧総督府で蒋介石その他の要人とのお別れの宴が開かれました。
私ども同士1人1人が、蒋総統の前に進み出てお礼を述べて蒋介石と握手をするのです。
最後に私は、蒋介石総統の前に進み出て、御礼の挨拶をした後「私は総統閣下にお目にかかったことがございます」と申し上げました。」
すると「いつ?どこで?・・・・」とたずねられた。
「昭和11(1936)年2月に、松井石根閣下と2人で、南京でお目にかかりました」
その時「松井石根」という名を耳にされた瞬間、蒋介石の顔色がさっと変わりました。
目を真っ赤にし、涙ぐんで「松井閣下には誠に申し訳ないことをしました」手が震え、涙で目を潤ませて、こう言われるのです。
「南京には大虐殺などありはしない。ここにいる何応欽将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを記録しているはずです。 私も当時大虐殺などという報告を耳にしたことはない。・・・・松井閣下は冤罪で処刑されたのです・・・・」といいながら涙しつつ私の手を2度3度握り締めるのです。
(2001年12月23日講演)
田中正明氏は、『南京虐殺の虚構』(1984年)『南京事件の総括』(1987年)という本を出しています。蒋介石に会ったときに蒋介石が南京大虐殺はなかったと言ったのは、1966年だったとしています。しかし、この2つの本には、蒋介石と会ったときの話は、書かれていないと指摘されています。
蒋介石が南京虐殺を否定したというエピソードの元ネタは、この田中正明氏の2001年講演がその出発です。しかし、氏の遺作であった『朝日が明かす中国の嘘』では、蒋介石に会ったときの話をこう書いています。
以下、引用です。
そして、昭和四十一年九月二十三日、台湾総督府にて蒋総統と会見した。
蒋介石総統はすでに八十歳。口辺に笑みを浮かべ、好々爺といった感じだ。何応欽将軍はじめ多くの要人も同席した(写真は禁止とのこと)。 総統は一段と高い所に坐をしめ、まず岸先生の近況と皆さんの台湾視察の感想はどうでしたか、と質問された。中山団長が詳細に報告し、この度の旅行に際しての行き届いたご配慮とご接待に対して深く感謝する旨を述べた。
暫く懇談ののち、私は総統に敬礼してから、「私はかつて閣下にお目にかかったことがございます」と申しあげた。すると「いつ?どこで?」と訊ねられた。 「昭和十一年三月に松井石根閣下にお伴して、南京でお目にかかりました」と申しあげた。
松井大将の名を耳にされた瞬間、蒋介石の顔色がサッーと変わりました。 目を真赤にし、涙ぐんで「松井閣下にはまことに申訳ないことを致しました」と私の手を堅く握りしめて、むせぶように言われた。私は驚いた。一同も総統のこの異様な態度に驚いた。
あれほど支那を愛し、孫文の革命を助け、孫文の大アジア主義の思想を遵奉したばかりか、留学生当時から自分(蒋)を庇護し、 面倒を見て下さった松井閣下に対して何ら酬いることも出来ず、ありもせぬ「南京虐殺」の冤罪で刑死せしめた。 悔恨の情が、いちどに吹きあげたものと思われる。
蒋介石は私の手を二度、三度強く握って離さず、目を真赤にして面を伏せた。
蒋介石は八十八歳でこの世を去るまで、松井大将の冥福を祈ったときく。
(同書 P16-P17 2003年5月刊)
この本には、蒋介石が語ったとされる「南京には大虐殺などありはしない。ここにいる何応欽将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを記録しているはずです。 私も当時大虐殺などという報告を耳にしたことはない。・・・・松井閣下は冤罪で処刑されたのです・・・・」という記述がありません。
田中正明氏は、歴史評論家ですが、この方の有名な事件は、『松井石根大将の陣中日記』改竄問題です。板倉由明氏という南京事件の研究家(この方は虐殺の人数は1万人から2万人だとしている)が、田中氏に対し「松井石根大将『陣中日記』改竄の怪」という論文で、田中自身が「加筆・修正・削除」を300か所もしていることを指摘しています。松井石根大将の『陣中日記』は、南京事件を知る上で重要な位置を占めるものです。改ざんされていない『陣中日記』は板倉氏の手によって、『南京戦史資料集Ⅱ』に収録されています。
けんけんさんが、指摘している蒋介石の証言というものは、こういうものです。
なお、蒋介石の日記というものも公表されています。
蒋介石の1938年1月22日の日記には次の記述があるということです。
「倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている」「南京防衛戦における中国軍の死傷者は六千人を超えた。しかし、より以上の悲劇が日本軍占領後に起きた。いわゆる南京大虐殺である」「こうした戦闘員・非戦闘員、老幼男女を問わない大量虐殺は二カ月に及んだ。犠牲者は三十万人とも四十万人ともいわれ、いまだにその実数がつかみえないほどである」
ワタナベさん。けんけんさんの指摘のすべてを一気に反論する力をぼくはもっていませんが、調べていくとけんけんさんの主張には、こういうものが含まれているということです。ぼくたちは、よく知らないまま議論している感じですが、蒋介石の証言というものは、歴史研究の中で、紹介したような形で否定されています。結構有名なとんでもない話だということです。
みなさんに書いておきますが、けんけんさんの書かれたものを一つ一つ反論するためには、いくつもの文献を読む必要があると思います。反論する場合も、一つ一つかなり長いものにならざるを得ません。でも南京事件があった、なかったという論争が行われてきた歴史的経過から言えば、多くの論点はすでに決着が付いているものだと思います。そういう到達点をふまえて、日中の歴史家による共同研究も行われ、南京虐殺があった事実については、日中の双方が認めているということだと思います。ぼくは、いまも含めて学習中ですが、南京虐殺があったという立場に立っています。それは、歴史家の研究成果を信頼しているからです。
ぼくは、どんな問題でもそうですが、具体的に示された論点に対し、根拠もなしに否定するような態度は取りません。自分で確かめて事実を明らかにしたいと思います。そういう姿勢で議員活動を重ねてきました。しかし、同時にぼくは、南京虐殺については、すべての論点について、全部明らかにするという立ち位置には立っていません。素人として有意義な方々の研究に触れたいと思っているだけです。この問題に対する立ち位置をご理解ください。
東芝さんの指摘する蒋介石の1938年1月22日の日記もこれまたねつ造で、加筆されているのです。
実際の文章は「寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ。」と書いてあるのです。
だからと言って蒋介石は南京大虐殺を認識していたというのは見当違いなんですよ。
まず、日記の原文には「殘殺」という言葉が使用されており、蒋介石が「市民大虐殺」について記述するなら「屠殺」とか「大屠殺」と書くはずで、「殘殺」という言葉は、南京占領後の便衣兵などの処刑を指していると考えられるのです。
そもそも、蒋介石が日記で日本軍の悪口が書くのは当り前だし、何故1月22日の日記なのか疑問です。
一体、1月22日頃、どこに虐殺があったと言うのか?
どうして早々に南京から逃げ出した蒋介石がそのような誰も知らないことを知っていて、何応欽将軍などが大虐殺を全く知らなかったのか?
ましてや、その日記の約5ヵ月後、支那事変一周年目の7月7日に蒋介石が発表した『日本国民に告げる書』に「広州などへの爆撃」については述べて、「南京虐殺」については述べなかったのだから南京虐殺の認識はなかったというのが自然ではないでしょうか。
冷静に分析すれば、この『日本国民に告げる書』こそ、蒋介石が、日本軍による南京市民虐殺を認識していなかった証拠なんですよ。
戦勝国に勝手に一方的に裁かれた東京裁判。
でっち上げやねつ造にまみれた南京事件。
それらを認めざるをえない敗戦国日本。
戦後70年もたってもなお、勝者の論理を信じてやまない東芝さん
悪いのは常に戦前の日本だと思い込んで・・・
これでは日本のために子孫のために散って行った
方々へ申し訳が立ちません。
中国にとって歴史とはプロパガンダそのものなのです。
日本の歴史に嘘は必要ありません。真実だけで十分です。
間違った嘘の歴史により
先人を含め大いに日本国、日本人の名誉が傷つけられているんです。
この問題に対する立ち位置がどうのこうのって言ってる場合じゃありませんよ。
けんけん、そこまでですよ。それ以上やっても結論は出ない。政治的思想の世界に入っている。
まあ~南京事件は政治の世界に存在するもので、あったとしても従軍慰安婦と同じように歴史的に重要な史実ではないということです。
先に書きましたが、「南京大虐殺30万人がありなら、南京大虐殺は無かったもあり」ということです。
何度も書きますが、東芝さんが「日中共同研究」支持して、その内容に沿って押し通せば応援できるけど・・・これじゃあ~ねぇ、まとめようもない。
お互いの言い分を主張し合う、政治論争と同じです。
食傷気味です。
けんけんさんの反論は全く当たりません。田中正明氏の蒋介石が語ったという話は、田中正明氏の遺作によって、否定されていると見ていいでしょう。そうでなければ、以前の講演で語っていた蒋介石の証言を自分の本から外すことに説明がつきません。
①>軍参謀長は、12月20日、配下の師団参謀長、直轄部隊長に対する通牒を
出している。掠奪、婦女暴行、放火等の厳禁に関しては屢次(るじ)
訓示せられたる所なるも、本次南京攻略の実績に徴するに、
婦女暴行のみにても百余件に上る忌むべき事態
→日中共同研究
②>道に落ちていた女性の人の片方の靴を拾って持って帰った中尉ですら軍法会議に かけられたそうです。
→有名な話ですね。
これだけでも、規律の乱れ範囲はあったにせよ
20万人~30万人の虐殺は無理と理解できなくとも
東芝さんは、疑問に思わないのでしょうか?
>具体的に示された論点に対し、根拠もなしに否定するような態度は取りません。
自分で確かめて事実を明らかにしたいと思います。
矛盾していません?
>この問題に対する立ち位置をご理解ください。
党の方針に従うという立ち位置なのですか?
なんか、全て結論ありきの後付に見えて残念です。
ワタナベさんへ。南京虐殺の争点は、30万人の虐殺があったかどうか、という点に中心があるのではありません。30万人の虐殺はなかった=南京虐殺はなかったということではありません。30万人という話は中国の主張であり、日本の研究者は、この主張に合意している人はいないと思います。
捕虜になった兵士、民間人、民間人に紛れて身を隠した兵士(便衣兵)などを数万人殺害したということです。
私たちのこのブログ上の論議によって南京事件の真偽に決着がつくものではありません。私たちは、専門家による研究を踏まえた上で意見を述べることしかできません。理由は明白です。繰り返し書いているように1次資料に触れて書いているわけではないからです。ぼくが依拠しているのは、論争のある南京虐殺について、到達点がどこにあるのか、ということです。その到達点の一つは、日本政府による日中の歴史家の共同研究だと思います。ぼくがこの問題を論じる出発点は、南京虐殺はあったという見解に立っています。それが専門家による一つの到達点だからです。
けんけんさんは、このことを全く認めないという態度を示しています。共同研究に対して、けんけんさんは、「安倍内閣が日本軍の南京大虐殺を認めようとどうだっていい。しょせん政治的妥協の産物でしかなのですから。安倍総理のいう戦後レジュームからの脱却など絶対無理。私は日本軍の南京大虐殺を認めません」と書かれました。これは、けんけんさんによる政治的立場の表明です。トリノさんは、ぼくの指摘を受けて、「共同研究」による報告文書を読まれました。しかし、けんけんさんは、「しょせん政治的妥協の産物」だと書いて、歴史家による共同研究を否定しています。専門家の「共同研究」を否定するというのは、まともな議論をしないということだと思います。
けんけんさんが、書かれている論拠というものは、専門家によって具体的に反論されているものです。ぼくは、そのすべてを自分の言葉で明らかにできる力量を持っていないので、調べた範囲で最小限の反論を試みました。
それが蒋介石の証言についての反論です。田中正明氏は、生前、『松井石根大将の陣中日記』を世に出した人ですが、松井氏の日記を300か所も改ざんした人ですから、歴史評論家として信頼できません。蒋介石の証言も、この人の講演と出版本との間に食い違いがあります。
けんけんさんは、南京虐殺事件がなかった根拠の一つとして、「⑦1966年蒋介石80歳の時の証言」と書き、「南京に大虐殺などありはしない。ここにいる何応欣将軍も軍事報告の中でちゃんとその事を記録しているはずです。私も当時、大虐殺などという報告を耳にした事はない。松井閣下は冤罪で処刑されたのです。」
と書かれました。この文章は、田中正明氏のものです。この証言は、講演記録で語られたものですが、後で作られた遺作本には、この証言は記載されていません。ぼくは同時に蒋介石の日記を紹介しました。この日記は、明確に南京虐殺について記述しています。
けんけんさんは、反論で蒋介石の日記にふれて、日記そのものが改ざんされたものだと言っています。しかし、自分が書いた蒋介石の証言についてはコメントしていません。けんけんさんは、蒋介石の証言の信憑性について言及すべきでしょう。
この蒋介石の証言は、田中氏の作文だと思います。それは田中氏自身の本によって浮き彫りになっているのではないでしょうか。
なお、日本共産党は、南京虐殺について見解を出していないと記憶しています。もちろん、党史には南京虐殺についての記述はありますが、それは見解というものではないと思います。日本共産党は、従軍慰安婦問題については、見解を発表しています。
東芝さん
補足、ありがとうございました。
私の考えとは違いますが、
東芝さんが書かれた事は
理解しました。
東芝さんの仰る通り
田中正明氏の蒋介石の証言には改ざんがあることが
証明されているようですね。
それならば田中正明氏の蒋介石の証言は歴史学において
証拠に値しないという事です。
いい加減な書き込みをして申し訳ございませんでした。
だからと言って南京虐殺があった証明にはなりませんよ。
東芝さん
レスポンスが全くありませんね。東芝さんらしくありません。
歴史学は科学なんです。実証主義なんです。
実証も出来ない事は無かった事と言われてもしょうがありません。
至極当たり前のことではありませんか。
たかが70-80年前の事ですら実証出来て無いのですよ。
そうであるならば100年、200年前の事など
ましては500年前、1000年前の事など信用に値しない事にはなりませんか?
歴史学が科学であるならば絶対にそうであってはなりません。
東芝さん
そうは思いませんか?
南京虐殺の死者が2万人? 4万人? 5万人? 10万人? 15万人? 20万人? 25万人? 30万人? 35万人? 40万人?
一方、通州事件という事件があります。
日本人が虐殺された歴史です。
1937年7月29日午前2時、3000人の冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が日本軍へ攻撃を開始、殷汝耕を捕獲し、日本軍守備隊、特務機関を襲撃、日本軍は壊滅し、また日本人居留民を襲撃し、在留日本人385名のうち223名が虐殺された事件。
通州事件に関しては証拠が満ち溢れていますよね。
南京大虐殺と同時期のわずか、たったの223名の虐殺の記録です。
南京虐殺がミニマムで2万人であるとしても、とてつもなく膨大な証拠があるはずです。
なぜならたったの223名の虐殺で膨大な証拠があるからです。
東芝さん
どうか南京虐殺の膨大な証拠を私に示してくださいよ。
いくらでもあるでしょう?
どうなんですか?
けんけんさん、ぼくたちの議論で南京虐殺事件の議論に決着が付くわけではないことを繰り返し書いて来ました。
その上で書かせていただくと、南京虐殺の証拠は、埋葬した人数だということです。紅卍字会という赤十字にあたる会と崇善堂という慈善団体が埋葬活動を行っています。紅卍字会の埋葬活動は、日本の特務機関による指示があったと記録されています。処理の開始日は1938年2月1日、一体3角(30銭)という処理費用は日本が負担したようです。紅卍字会の埋葬の処理スピードは1日180体程度だったので作業はなかなか進まなかったので、3月からは昼夜を分かたず作業が行われ、費用も6角に引き上げられたようです。その結果、3月15日までに3万1791体の埋葬が行われたという報告がなされています。報告は「南京特務機関報告」。しかしこの報告には水増しがあったと丸山 進 ・元南京特務機関員は報告しています。水増し分は1万4000体程度と計算されています。
どうしてこのようなことが行われたのか。
費用が出来高払いだったからです。埋葬するためには、穴を掘る必要があります。冬場とはいえ腐敗している異臭を放つ遺体を運び埋葬する作業は過酷なものです。昼夜を問わず埋葬作業を行っても1日800対が限度。これが丸山氏の計算でした。氏は、3月15日までに埋葬された遺体は1万2000体という見方をしていました。
崇善堂の埋葬作業は、紅卍字会を上回るものですが、こちらの団体の報告は、かなり信憑性に疑いがあるようです。しかし、埋葬作業を行った事実までは否定できないという見方が一般的です。
紅卍字会は、1938年10月30日まで作業を行ったという記録があります。
3月15日以降どれぐらいの埋葬が行われたのか、(今日の時点ではまだ=ぼくの場合)よく分かりません。
いずれにしても、日本軍は大量の捕虜を含む多くの人々を虐殺し、その数は1万人をはるかに超えていたということです。研究では諸説あることが書かれていますが、共同研究の報告書には、「一方、日本側の研究 では 20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている」と書かれています。ぼくは、現時点では2万人から4万人の範囲だと思ってます。ただし、これはぼくの乏しい現時点での認識です。目下、本を読んでいる最中です。
東芝さんが「日中共同研究」に沿った論理展開をするなら、僕も応援します。
けんけんへ
歴史のいろいろな眉唾物の証拠を並べても意味がありません。ここでは「日中共同研究」の内容を支持することになった。内容を読みましたが整合性のあるないようで、妥当なものだと思います。また外務省及び日本政府が支持する内容であり、今後よほどの証拠が出ない限り、ここでは「日中共同研究」が正しいとなります。
つまり、けんけんの主張は間違いです。
また、当時の戦争は、虐殺がよくありました。アメリカもソ連もドイツもどこでも同じようなことをやってる。現在でこそ、爆撃機が夜間、赤外線スコープを見ながら軍事施設にピンポイント爆撃なんてできますが、当時は無差別に爆撃するのが当たり前です。当然、日本軍が南京攻略で虐殺をやったというのは妥当な史実だと思います。というか、当時虐殺のない戦争なんかほとんどありません。
それと、「日中共同研究」から、当時の日本軍が特段に非道なことをやったとは思えず、「南京事件はあったが、歴史的に強調されるほどの事件ではない」ということです。
もうひとつ、科学の世界を語る者の態度知っていますか?「自分の信念と違う結果が出た場合、信念を捨てて結果に従う」それが科学をする者の態度です。その態度がなければ、先に進めないから科学者はその態度をとります。
ここでは「日中共同研究」がその結果です。それに従わないと先に進めない。
以上です。
トリノさん
日本政府が支持している事は「常に正しい事」だとの認識なのですか?
中国は「歴史が歪んでいる国」ですよね。
これはトリノさんも私も共通認識のはずです。
日本の歴史もやれ「東京裁判史観」だの、やれ「GHQのウオーギルトインフォメーションプログラム」だのやれ「日教組の歴史教育」だの
戦後日本の歴史教育が歪められたのはトリノさんも周知のとおりのはずです。
歪んだ者同士が歪んだ歴史を共同研究しても、歪んだ歴史にしかならなりません。
そこには「真実の歴史」というものはありません。
歪んだ者から見れば「真実の歴史」こそ歪んで見えるものです。
その先にあるのは永遠に続く謝罪外交と中国への配慮、
永遠に歴史問題でもその他の外交問題でも中国に譲り続けなければならない現実があるのです。
今のトリノさんは自ら「私は敗北主義です」と主張しているとしか思えません。
本当に残念です。
このテーマに関する議論はそろそろ終わりにしましょう。
皆さんの議論で知らない事を沢山学ばせていただきました。
私の結論としては、史実(事実)は完全には分からないが
経済や国防など諸般を勘案して政治的判断による
「着地点を作った」んだな~と私は、思います。
ただ、東芝さんがこのスレッドのタイトルに
『自虐史観』とされたので、けんけんさんは
『だったら白黒つけよう』と思われたのも
もっともだと思います。
しかし、トリノさんが書かれた
>歴史の解釈なんて都合いいようになんとでもなるので、
いくら論議してもお互い納得しないと思いますよ・・・
ここまで来るとトリノさんの言われるとおりだと思うので
ここらで終わるしかないでしょうね。
けんけん、おわりです。南京事件なんかどうでもいいじゃん。歴史的に重要ではない。政治家の遊び道具のようなものです。まともに調べる気もおこらない事件。あろうが無かろうが、どうでもいい。
南京事件がなかったとしても、戦争に負けたことは同じです。また南京事件があったからどうなの?・・・その先が続かないでしょう?日本がずっと謝り続けるのか?違うでしょう。
現在の教訓として調べるべきは「盧溝橋事件」であり、非常に現在の教訓となる事件です。
もし南京事件を専門に調べている歴史家がいるとすれば、バカです。小保方晴子レベルの学者。そんな事件です。
トリノさんの言説に全面的に賛成ということではありませんが、今回の議論は、自分なりに本も読み、新しいことも調べたりということで、認識を新たにしました。
建設的な議論もできたのはよかったと思います。みなさんのエネルギーの大きさに感謝いたします。この記事へのコメントは、一つのスレッドのようになって、コメント数が109にのぼりました。ご苦労様でした。
東芝さん
上手くおまとめになりました。
さすが議員さんだと思います。
これでこの件は終わりにします。
しかし・・・
トリノのバカ丸出しの文章には
笑わせていただきました。
本当に池沼レベルですね。
でも楽しかったです、ありがとうございました。
けんけんさんへ。
トリノさんの上記ような書き込みは、相手への誹謗中傷なのでおやめください。
東芝さん
東芝さんが自ら作ったホームページ上でのやり取りの中で
東芝さんが不快なな思いをされそれを表明するという事は
私としても不本意です。
申し訳ございませんでした。
トリノさん
嫌な気持ちにさせて申し訳ございませんでした。
私がただ未熟者だったということです。
けんけんさん、
これからもよろしくお願いします。