Tさんのお通夜に参列して
また一人、母のことを知る人が亡くなった。
橋本市在住のTさんというこの女性は、元小学校の先生でぼくの母の少し先輩にあたる人だった。ぼくが23歳で日本共産党の専従者となったとき、Tさんはすでに退職していた。教員を退職して日本共産党の活動を活発にするようになってしばらくして、橋本の共産党の事務所で会ったのが、Tさんとの出会いだった。Tさんは、みんなに交じってビラを折っていた。
小柄なこの方は、退職後もまわりの人々に先生と呼ばれていた。党の専従者となって3年が経った冬のある日、先生は共産党の事務所で穏やかに語りかけてきた。
「あなたのお母さんも党に入ったんですよ。私たちがお誘いしたんです」
母は日本共産党に入党していた。この話は、ぼくにとって驚きだった。
日本共産党の地区委員会で、入党申し込み用紙の古い綴りを探し出して、1枚1枚見ていくと、見覚えのある字で書かれた、母の入党申し込み用紙があり、推薦人の欄にはTさんの名前があった。
26歳の時に、Tさんが母の入党について教えてくれたことは生涯忘れられない。母とぼくとの生活は、ぼくが笠田中学校の寄宿舎に入ったことによって、非常に少なくなった。中学校2年以降、亡くなるまでの4年間、母は病院のベッドの上だったので、結局ぼくとの生活は、小学校卒業以降ほとんど失われた。その母がぼくと同じ日本共産党に入っていた。知るよしもなかった母の姿は、ぼくの人生に重なり合うものだった。
母のまわりの教員の方々の中には、何人も党員がいた。病気になって再起が不可能だという見通しの中で、党員の方々が母を支えてくれた。党の専従者として活動する中で、母にまつわるいくつもの話を、党員やその周りにいた組合員だった先生方に、さまざまな機会に聞かせてもらってきた。Tさんもその一人だった。
お通夜は神式で行われた。バックライトの当たる遺影の写真は穏やかそうな顔をしていた。90歳をこえる人のお葬式には、同年代の人の姿はない。ぼくの知っている方で集まってくださっていた人は、みんなさまざまな形でTさんと交流のある人々だった。
母の入党のことを教えてくれたときも、Tさんの語り口はすごくていねいで上品だった。Tさんは、20数年前から押し花の見事な作品を作るようになり、多くのお弟子さんを得て社会的にも活躍するようになった。ぼくが結婚したときにも額入りの押し花をプレゼントしてくださった。
「ひがししばさん」
記憶に残っているシーンを思い出すと、ぼくのことを本名で呼ぶていねいな語り口がよみがえってくる。
通夜の会場を背にして玄関前に出ると細かい雨が照明の光に照らされながら降っていた。知人の女性が1人立っていた。会場を去りがたいような気持ちになった。
安らかにお眠りください。










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