一般質問を中断させていただいた
質問は2番目だった。藤本議員の質問は2分前に終了した。
「藤本君の一般質問は終わりました。次に11番、東芝君」
「はい11番」
(大丈夫だ)、そう言い聞かせながら発言席に向かった。階段を数段降りて席に着いた。
いつも一旦座ることをしないで、そのまま質問を始める。
「おはようございます」
(やばいかも)嫌な思いがこみ上げてきた。
「発言通告にもとづき一般質問を行います。
最初の質問は、台風21号時の本町の災害対策本部を中心とした応急対応の実際から、何を教訓として学ぶべきなのか、ということをテーマにした質問です。
台風が上陸した10月22日は、衆議院選挙の投開票の日であり、この仕事への対応と災害に対する応急対応とが重なりました。
投票事務に当たった職員数は110人程度、開票事務に当たった職員は60人程度でした。現在の町職員数は、201人です。投開票事務だけでも職員の半数を超える動員体制がしかれていました。その結果、災害に対する応急対応は、最小限の体制のもとで行われました。
今回の質問は、町の不十分さを追及するところに主眼をおくものではありません。不十分だった対応を確認しつつも、今後に今回の経験をどう生かすべきなのか、この点をできるだけ明らかにし、一緒に考えたいというものです。
今回の台風による災害では、15軒の床上浸水、西渋田の島地区をはじめ農地や企業などが浸水するなど、農業や商工業にも大きな被害をもたらしました。私は、被災した住民や企業などに対し、まず心からお見合いを申し上げるとともに、本町や県、国などの関係機関に誠意ある対応を求めるものです」
ここまで原稿を読み上げて、顔を上げた。
一呼吸おいて、こう言った。
「申し訳ございません。休憩をお願いします。トイレ休憩をさせてください」
こういうセリフだったのか、もう一つ定かではない。
このまま一般質問を続けることはできない。そう判断した。質問を読み上げていても、神経はお腹に集中していた。
議長の許しが出たので、議場の入口のところにあるトイレに駆け込んだ。
100回を大きく超える一般質問の歴史の中で、というか、ぼくが30歳で議員になってから27年、お腹の具合が悪くなって一般質問の中断を申し出て、休憩を求めた例は全く存在しない。
トイレから出ると事務局の女性職員が正露丸と水とをもって立っていた。
「大丈夫ですか。4錠飲んでください。よく効きますから」
なかなか恥ずかしいシュチエーションだった。しどろもどろに返事した。
正露丸を飲んで、議場に戻った。
質問時計はストップしてくれていた。ありがたかった。
「誠に申し訳ございません」
質問はこの言葉によって再開した。
生まれて初めての出来事だった。
それ以降の質問は、自分が準備していた内容で進めることができた。災害時の応急対応は、緊急時で人命に関わるだけに緊迫したものになる。それだけに集団の知恵が必要になる。集団の知恵を支えるのは、刻々と変化する自然現象に対して何が起こっているのかを把握するための情報だ。今回は、町長が全職員に招集をかけたのは午後11時13分。それまではわずか61人の職員体制で応急対応に当たっていた。情報収集の体制は、本部にいた9人のみだった。災害の現場から情報が伝えられる仕組みはほとんど存在しなかった。
このような状況の中、島地域の大規模な浸水が起こり、その事態を把握できないということが発生してしまった。西渋田谷川の樋門は最初から最後まで解放されており、内水を汲み出すポンプは、故障して全く作動しなかった。ポンプが作動しなかったのを役場が把握できたのは22日ではなく、台風が去った翌日の23日だった。
少ない体制の下でも本部会議を開き、投票事務終了後、開票事務に当たる職員以外は全員参集をかけるべきだったと思われる。そのためには、かなりの検討が必要だった。多くの課長が開票事務に関わっていたので、開票に関わっていない職員が参集したとしても、課ごとの指揮系統を再構築することが必要だった。
この経験から学ぶのは、地震のときに役に立つと思われる。地震の際は、全員参集と言っても参集できない職員がたくさん発生する。
限られた体制の中で、指揮系統を構築して応急対応に当たるのは、いわば災害対策の基本となる。本町はそういう機能を持っていなかったということになる。
和歌山県は、職員といえども、地震の際は、まず自分の命と家族の安全を最優先すべきだという方針をもっている。まず家族の安全を確保した上で参集すべき職員と、家族の安全確保と避難を優先してから参集する職員に分かれる。
ごくわずか、全体の指揮を執る数人の職員は、何をおいてもただちに参集する必要がある。北淡町の助役が、妻が死亡したことを誰にも話さずいち早く参集したようなことが、ごくわずかな職員の中には発生する。その場合も、別働隊が組織され家族の安全の確認という仕事を行うことになっている。
本町も防災の基本であるこういう到達点を学んで、応急対応を組み立てる必要がある。今回の経験を次に生かすためにがんばっていただきたい。