予算編成権と住民主権

かつらぎ町議会

11月会議が開かれ、中阪雅則町長が所信表明を行った。傍聴席には、新町長の所信表明を聞きに住人が集まっていた。さすが、住民の運動と支援の中から生まれた町長だと思った。所信表明演説は、自分の公約を述べたもので、率直な発言は、分かりやすいものだった。ただ、かつらぎ町の長期総合計画には一切触れないものだった。今の長期総合計画は、和歌山大学の教授を座長に、住民の参加を求め、町職員との間で時間をかけて作り上げたものであり、かつらぎ町のこれからの町づくりを論じるのであれば、この長期総合計画に触れるべきではないだろうか。

所信表明の後、提案説明があり、休憩の後、議案の質疑に移った。
いくつかの質疑の後、井本町長が6か月分の予算しか組まなかった農道の資材補助関係の予算、町道修繕の予算と町道改良の予算が追加された。かつらぎ町は溝端町長時代の半ばまで、毎年当初予算を骨格予算だと呼び、当初の予算を過小に見積もって、9月議会でかなり大きな補正予算を組むということを続けていた。その当時は、予算編成は厳しい、財源が不足していることを当初予算で強調しながら、実は計上すべき財源を表に出さずにストックして、9月の交付税確定時にかなりの額の補正を組むということを繰り返していた。

このような予算編成は、町民に対して予算の本当の姿を見せないものだ。日本共産党は、予算には過少見積もりがあり、当初予算が予算の本当の姿を示さないものだと批判して、総計予算主義をとることが、住民本位の予算編成のあり方だと主張した。その結果、当初予算で予算の全体像を示す方向へとかつらぎ町は転換した。

ところが井本町長は、町長選挙がある今年の予算組みの時に、農道と町道の補修、改良の予算について町長選挙までの半年間の予算を組んできた。このような予算編成をしたのは、形こそ小さいものの溝端町長以来のことだった。

今回のような予算編成の仕方は、総計予算主義の原則に反するものであり、町民本位の予算組みではないことを指摘し、このような予算編成は誤りではなかったかと尋ねた。これに対して、会計課長は、義務的経費については総計予算主義で予算を組まなければならないが、政策的な予算は町長に裁量権があるという見解を示した。

中阪町長は、当初予算は「骨格予算」であり、町長選挙などで新しい町長が誕生したら予算を組むことは他の自治体にもあるという主旨の答弁を行った。

3回だけの質疑ではここまでのやりとりになった。しかし法解釈が問題なのではない。住民の目から見て、当初予算で必要な予算を全部明らかにして予算を組むことが、住民にとって一番分かりやすい予算編成になる。住民から集めた税金と国などからの財源で予算編成を行うときに、住民生活を守り住民に必要な予算を全部明らかにして予算編成を行うことは、主権者である住民から求められる基本だと思われる。町長には予算編成の裁量権があるとはいえ、新しい町長のために予算編成上の裁量権を残すという考え方は、本当に真に町民本位の予算編成なのだろうかということは、考えるべき問題だろう。

自治体の長は大統領という位置にある。実は、アメリカが戦後つくったこの仕組みは、アメリカの描いたとおりにならなかった。アメリカとの違いは、首長に予算編成権を与えたところにある。アメリカの大統領は行政の長であり、政治を執行するという点では絶大な力をもっているが、予算に対する編成権は与えられていない。予算編成権は議会にある。この仕組みによってアメリカでは権力の分散がきちんと行われている。

日本の地方自治体でアメリカと同じような仕組みを作ろうと思えば、議会の側にかなりのスタッフが必要になる。結局予算の編成権が首長にあるようになって、戦後日本の地方自治が始まった。執行権と予算編成権を地方自治体の首長が持つことによって、日本の地方自治体の長は、アメリカの大統領よりもはるかに権限の強い大統領になってしまった。これだけ権限の集中している日本の自治体の首長が暴走すれば、なかなかその暴走を止められない仕組みができてしまったと言っていいだろう。

こういう仕組みにあることを、自治体の首長は自覚して、予算編成と予算の執行に携わる必要がある。こういう強権的な仕組みのもとに地方自治体があることを理解しないと、地方自治体は暴走する可能性がある。多くの自治体でワンマン首長が誕生したら、なかなか食い止められないのは、権力があまりにも個人に集中しているからに他ならない。

住民に主権があることを十二分に理解し、総計予算主義を貫いて、住民のとって最もわかりやすい形で当初予算を組むことが、自らを自制することにつながる。町長には予算編成権があるからといって、選挙の時には次の首長のために予算の編成に余地を残して、財源があるにもかかわらず必要な予算を組まないのは、明らかに住民本位という原則から外れるものだと言わなければならない。

かつらぎ町の隣の自治体は、3月に首長選挙があり、当初予算には、すべての財源を表に出さないで、平気で数億円規模の予算を次の首長のために残すという態度をとっている。こういう予算編成は、長の予算編成権を住民の上に置くものである。執行権と予算編成権が首長に集中していることを自戒し、住民のために予算を編成するということを貫かないと、住民本位の予算編成はできない。

「骨格予算」を組むのは誤りではないというような、法解釈や運用論が問われているのではない。こういう予算編成は誤りではないのか、という問いに対して、財政課長が法律論で答えて誤りでないということを示したことによって、今年の予算編成には問題がなかったという態度を示したのは、物事を深く考えて出した答えだとは思えない。

今年度のような予算編成はすべきではない。今日はそういう感想を持った。

かつらぎ町議会

Posted by 東芝 弘明