自分の言葉で語る Ⅱ
「自分の言葉で語る」ことについて考えたブログの記事は30分ぐらいで書いたものだ。いつも頭に浮かんだことをいきなり書き始める。そういう風にして書いているので、読み返してから手直しすることがある。下書きなんて全くしていないのでこれはやむを得ないと思っている。今日は、そんなこんなで、「自分の言葉で語る」というブログの記事にも手を入れた。東芝の記事読んだよという人がいたとして、読み返してみたら、「あれ、この前と記事が違う」ということがあれば、原因はぼくの書き換えにある。
友人が「この前の記事、面白かったよ」と言って友だちに披露したことがあった。面白くなくなっていたので、みんなに受けず、紹介した友だちが少し困惑したことがあった。こうなった原因もぼくにあった。一応、議員をしているので、表現の仕方が「公表するブログとしてはちょっと配慮が足りない」と感じたりしたら書き換えることもある。
このときはそういう配慮が働いた。このときは、紹介してくれた友人に申し訳なかった。
文章を書くことについては、起承転結なんてまったく関係がない。というか起承転結なんて書けない。文章の中で起承転結ほど難しいものはない。本当の意味で起承転結の文章を書きたいのであれば、自分の書いたものを組み替える必要がある。そうしないと起承転結はできないだろう。新聞の記事は起承転結にはなっていない。文章の書き方で起承転結を強調する人は、文章のなんたるかを理解していないと言っていいのではないだろうか。
さて、「自分の言葉で語る」という記事の中で最後の方で自分の言葉で語るためには「判断の積み重ねが必要になる」と書いた。この判断についての言及は、書き始めるときには全く頭の中に浮かんで来なかったことだ。自分で最後の方で書いた判断の重要性が書いた後、自分の中でクローズアップされてきた。情報を集め、情報を読み込んでいく中で、テーマに対して判断していく。このことを重視し始めたのは、20歳の半ばだった。判断の積み重ねの重要性は、ぼくの場合、レーニンの論文の一節によって始まった。
物事の姿を把握するときにAという傾向やBという傾向を見つけることがある。さらにCという傾向もあることに気がつくこともあるだろう。この中で最も重要な傾向が一体何なのかを見極めないで、A、B、Cを羅列して3つの傾向があることを指摘し、一概にそのものの傾向を特定することはできない、という捉え方が多い。もちろん、そういう風に指摘することは、ぼくの場合でもある。しかし、そういう「傾向の指摘」だけにとどまっていると物事の本質に近づけない。
事例を紹介しよう
新型コロナで和歌山県は、肺炎検査によって新型コロナかどうかを特定しようとしている。こうなっている最大の要因はベッド数の少なさ、検査キットの少なさ、判定できる機関のキャパの小ささにある。限られた条件の中で最も有効な検査方法は何かという点で、和歌山県の担当者は、新型コロナが肺炎を誘発するところに着目して、風邪の症状で医院に来た人に対しては、医師の判断でインフルエンザ検査と肺炎検査を行うようにしている。ここで肺炎になっている人がいたら、肺炎の原因が特定できない場合は、PCR検査に行ってもらうようになっている。
この方式は国の行っている検査方法とは違う。厚生労働省は、
帰国者・接触者相談センターに御相談いただく目安
以下のいずれかに該当する方は、帰国者・接触者相談センターに御相談く ださい。
風邪の症状や37.5度以上の発熱が4日以上続く方
(解熱剤を飲み続けなければならない方も同様です。)
強いだるさ(倦怠感)や息苦しさ(呼吸困難)がある方
という基準を示している。和歌山県の方法とはかなり違う。
こういう2つの情報を把握した場合、どっちの方法がいいかどうかを判断することが問われる。その場合あなたならどう判断するだろうか。
和歌山県が採用している方針は、和歌山県に話を聞いて、有効性については、実際の対応の結果を聞いて、ぼくの場合はいいなと判断した。国の基準の場合、分かりにくいのは37.5度以上の発熱が4日以上続く方というところにある。こういうような状態で4日以上過ごせというのには不安がある。ここに議論も集中している。
表面的に捉えていると、どちらがいいか分からないというような判断になったり、こういう方法やこういう方法があり、どっちがいいか私には分からないという傾向に陥ったりする。和歌山方式と呼ばれている方法の方がいいという判断は、医学的な知識もいるだろう。私は医者ではないので分からないということになるかも知れないが、調査を重ねて、こっちの方がいいという判断をどこかでする必要がある。自分で判断しないと、次のステップには進めない。
もちろん、判断が間違っている場合がある。間違いたくないので判断しないということを積み重ねていくと、情報ばかり集まってきて、混乱し始める。
自分の言葉で語る場合は、判断の積み重ねが重要になる。自分の頭で考えて判断を積み重ねないと、自分の言葉で語ることにはならない。今日はこういうことを書いておこう。



