ブログにバナーを付けました 2005年3月24日(木)
午前中、事務所でブログにバナーを付けました。メールのアイコンも付けたのでようやく少しカラフルになりました。最初は何度コマンドを書き込んでもなかなかうまく行きませんでした。綴りが少しでも間違っていたらうまくいきません。どこが書き間違っているのかよく分からないので、うまくいかない時間が長くなるといらついてきます。
しかし、よく分からないのは、( width="150″ height="68″ border="0″ )などというか所です。この数値がいったい何を意味しているのかが不明です。この数字を色々書き換えても表示が変わる訳ではないようです。
誰か意味を教えて下さい。
午後は、事務所で会議がありました。休憩時間に長崎のカステラを振る舞いました。おばあちゃんが家に持ってきたものを事務所におすそわけしたということです。
もっちりした食感で、なかなかおいしく感じました。
会議が終わってから、役場と郵便局用の赤旗日曜版の帯封をつくり、新聞を帯封で巻きました。郵送読者に対するこの作業は、もうかれこれ22年もしていることになります。
ライフワークは新聞の帯封なのかも知れません。
8時前に自宅に戻ってから夕食を食べ、娘といっしょにお風呂に入りました。
10時から「優しい時間」の最終回があったので、これを見ました。1月13日から始まったこのドラマは、静かでおだやかな、しみじみとした味わいのあるドラマになりました。
喫茶店で、カウンターに並んで座っている人たちが、手で引くコーヒーミルをごりごり回すシーンが何となくユーモラスでした。
こういう喫茶店があったらおもしろいかもと思いました。
人の心は、人と物の関係の中で育まれていきます。コーヒーミルをていねいに回し、それを回しているのをじっと見つめる時間が、人の心を落ち着かせていくのかも知れません。
便利になってしまった世の中で、便利なものの最先端であるパソコンは、使いこなすのにやっかいなことと、さまざまな用途があるかなりマルチな道具です。この多面的な力を秘めたパソコンは、道具としては奥の深い代物なので、人間を退化させないで豊にする可能性をもっているかも知れません。キーボードの操作がボケ防止にいいというのは、人間の役に立っている一つの証拠だと思います。
便利になった結果、さまざまな物がたった一つの機能しか果たさないようになっています。一つの役割しか果たさない物は、少し壊れると無用の長物と化してしまってあんまり良くありません。使い捨て商品にいたっては、かなり人間の心根を傷つけてしまっていると思います。
物が人間の心に与えている影響には、計り知れないものがあると思うので、もうそろそろ、人間の心を豊かに育てる物のあり方について考えるし、そういう考えにもとづいて商品を生産するという時代に移行すべきだと思います。
「物は豊かになったが人間の心は豊かになっていない」
という言い方がよくされます。
しかし、そうではなく、
「豊かに物を作り出せる時代になったのに、人間の心を豊かに育てるために物が作られていない」
と思うのです。
資源は限りあるものです。ものを大切にする心を育てるためには、生産された物を大切に扱うための社会環境を整えていく必要があります。5年で壊れる電気製品やすぐに電線が走るストッキングなどは、人間の心を傷つけてしまう物として、生産する姿勢を改めていただくべきだと思うのです。
電気製品が壊れて、量販店に持っていくと決まり文句のように、「直すのなら買い替えた方が安いし、機能が充実してますよ」というような言葉がよく返ってきます。
この、修理よりも新製品の方が安いし性能もいいというシステムは、かなり人間の心を傷つけています。こういう積み重ねが、人間のモラルを破壊しているのだと思います。
パソコンなども、この点では極めて罪深い商品でした。半年ごとに新製品を発売して、以前の新製品がいかに陳腐化したかを宣伝していたようなきらいがあります。
既存のユーザーに新製品の良さを強調すればするほど、買い換えが起こります。メーカーはまさに新製品の画期的な機能を宣伝して、「さあ、買おう」と国民をかき立てます。しかし、えてして、新機能の中にはかなり陳腐なものが含まれています。夢が実現するかのように宣伝しても、実際そうなっていない事例は、ものすごくたくさんあります。
しかし、私は人間の可能性を信じます。人間の心を豊かに育てるために、物と人間のあり方を見直す時代が、21世紀には始まるでしょう。










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