雨の中、傘を差して立っていた

出来事

雨の中の消費税5%戻せネットと9条連絡会の宣伝となった。今回は九度山町の道の駅に立った。冷たい雨だった。集まった人は22人。僕も9条の会として訴えさせていただいた。最近は、一人の人に訴えかかることを心がけはじめた。果たして僕の訴えは、その人に届くのだろうか。

マイクを握って訴えるときは、文章を書いて読み上げるようなことはしないように、と思いはじめている。語りかけるような訴えにならないものか。今回の訴えがそうなったかどうかは分からないが、自分で調べた父親のことを語った。父の年齢は100歳になるので、健康だったとしてももうこの世にはいないだろう。父は戦争が終わったとき25歳だった。支那事変に参加したという記録があるから、17歳のときに中国戦線にいた可能性もある。そんな少年が南京大虐殺につながるような戦場にいたのかどうか。さらに調べて見ないとなんとも言えない。

憲法は、多くの人にとっては空気のようなものだろう。しかし、空気は人間が生存する上でどうしても必要なものだ。戦後日本国民は、日本国憲法第9条によって、日本政府の手を縛り、日本政府の行為による戦争から守られてきた。これは戦前とは大きな違いになった。戦前は、日本政府の手による戦争によって、日本国民は奔騰され、政府の戦争遂行行為によって命を奪われた。自存自衛のための戦争という美名の下で日本人は、日本政府の手によって殺された。

日本国憲法第9条は、政府が再び戦争をすることを禁止し、軍隊をもつことを禁止してきた。国民主権とともに、この憲法第9条があるかぎり、日本政府はアメリカの要請を受けたとしても戦争に参加することはできない。
こうであったはずなのに、今ここが脅かされつつある。集団的自衛権という名の下で侵略行為を正当化したのが、イラク戦争だったしベトナム戦争だった。集団的自衛権=侵略戦争になる可能性がある。安倍さんの置き土産が敵基地攻撃能力だ。敵(敵って誰?)が、日本に対して攻撃態勢に入ったら(誰がこれを判断するのか)、敵国のミサイル基地を先に攻撃しても自衛として許されるというものだ。西部劇では、相手が拳銃を抜いて撃つ構えをしたら、撃ってもかまわない。それは正当防衛だということだった。この規模が大きくなってミサイルになっても同じというのが敵基地攻撃能力だ。

イラク戦争はアメリカとイギリスの侵略戦争だった。全世界からこれは糾弾されたが、日本は未だにこれを認めていない。安保法制によって集団的自衛権の行使容認を行ったから敵基地攻撃もOKということだ。こういう論法が許されないのは明らかだ。日本が最初に相手の基地にミサイルを撃ち込んで戦争になって、日本国民の多くの命が奪われる。こういうことが起こる可能性が生まれつつある。

政府の戦争行為を禁止する憲法第9条をもったまま、21世紀のなかで日本を発展させる。そうすれば、政府の行為によって日本国民が戦争に巻き込まれることはない。戦後戦争をしなくなった日本は75年の年月を重ねた。これから先もこういう国であってほしい。

そう思いながら、雨の中、傘を差して立っていた。


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出来事

Posted by 東芝 弘明