なかなかです。 2005年9月5日(月)

雑感

毎日、朝から晩まで選挙のことをしているのに、そのことについて書かないでBlog日記を書くことは、なかなか苦労がともなう。
和歌山県下の共産党の議員仲間のほとんどは、この期間中更新を停止している。
ぼくは、今年の1月7日から日記を書き始め、とりあえず1年間は書き続けようと誓ったので、どうしてもやめたくないのだ。
来年は、自分の町会議員選挙があるので、告示以降は更新を停止しなければならない。したがって、来年は毎日更新という目標は持たないことにしている。
現在の究極の更新理由は「意地」である。
さて。
午前中はかなり本格的に雨が降った。事務所のドアにアマガエルがへばりついていた。天気予報は晴れたり曇ったりで降水確率は60%というものだった。台風が迫りつつある。昼からも雨だろうと思っていると、予想が外れ曇り空になった。今すぐにも降りそうな雲の動きをしていたが夜の8時頃まで雨は降らなかった。
夕方から集金に車で行ったが、途中で単車に乗り換えた。こちらの方が移動しやすい。
日本における構造改革とは何か。
集金の中でも「構造改革で良かったことは何ですか」と聞いて回った。
今日も「ここが良かった」という話は出なかった。
話を重ねていくと次第に自分の中に次のようなイメージが出来上がってきた。
国民は、構造改革という魔の手に首を絞められつつあるのに、笑いながら「改革」という名の良いイメージに期待して、拍手を送っている。
首を絞められつつあることを圧倒的多数の国民は感じていない。
以前、リストラされ職安に通っていた人がインタビューに答えていた。
「構造改革をもっと進めてもらいたい」
なんというパラドックスだろうか。
「木口子平は死んでもラッパを口から離しませんでした」
かつてこのような時代があった。
このような話を小学校の教科書に載せ、この行為を立派な行為、尊い行為だとしていた時代があった。これはまさにマインドコントロールではなかろうか。
第2次世界大戦。日本は神の国だと信じ込まされ、天皇は現人神として国民の上に君臨していた。国民は臣民という言葉で呼ばれ、戦死すれば靖国神社に神として祀られることを名誉なことと思い込まされていた。
靖国神社は奇妙な神社である。この神社だけが、天皇家以外の一般庶民を神として扱っている。一般庶民は靖国神社以外では神になれない。
多くの国民は、肉親を戦争で失っても、神国日本の勝利を疑わず天皇に忠誠を尽くしていた。8月15日、玉音放送がおこなわれるまで、大日本帝国の勝利を疑わなかった国民はたくさんいた。肉親を侵略戦争にかり出され、若い命を犠牲にされても、正しい戦争だったと思いこまされていたのだ。
マインドコントロール。
まさにそう思う。
しかし、マインドコントロールの手法は、現在もなお活用され続けているのではなかろうか。
「郵便局の職員がなぜ公務員でなければならないのか。公務員の削減、賛成でしょう。官から民へ、賛成でしょう。民営化すれば郵便局は税金を国に納めるようになるんですよ」
この話のウソを打ち破るのは簡単だ。事実と正反対だからだ。
ではなぜウソがまかり通るのか。
マスコミが言い分を検証しないで、これらの論理と映像を流すからだ。
「構造改革は着実に成果を上げている」
というのであれば、4年4か月で実現した構造改革とは何か。
検証しても良さそうではないか。
そんな番組や記事は表れない。
すごい状況だ。


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雑感

Posted by 東芝 弘明