「憲法九条を世界遺産に」を読む

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太田光・中沢新一両氏の対談集をまとめた「憲法九条を世界遺産に」を読んだ。この本を読みながら、ぼくより5歳年下の太田光君という人物に尊敬の念を抱いてしまった。この人は芸人だが、文学や芸術関係の本を大量に読んでいる人で、物事を非常に深く、鋭く考え続けてきた人だ。中沢新一さんとの対談は、芸人対大学教授というものではなく、ともに物事に造詣の深い2人のコラボレーションになっている。
単に芸人である太田光君が、思いつきで「憲法九条を世界遺産に」と言っているのではない。日本国憲法の規定は、全世界の中で日本にしか存在しない。この特異な憲法を世界遺産にして、現在と未来に残そうという呼びかけは、とぎすまされた認識だ。本の中で中沢新一さんは、この「世界遺産に」という呼びかけを非常に気に入って評価している。
よく、「あなたは、愛する人が目の前で殺されたらどうするのか」というような疑問が出され、憲法9条との関係を論じたりするが、この2人は、国家レベルの問題と個人レベルの問題は違うと論じている。これには同感だ。
戦争は、政治の延長であって人間の本能とか欲望で語るものではない。クラウゼビッツは、この問題についてこう語っている。

戦争とは他の手段をもってする政策の継続である。


個人レベルの問題ではなく、政治的な戦略と戦術によって成り立っているのが戦争なのだ。この点で、戦前の戦争について、軍部の独走だというような論調があるが、ここには政治が存在しない。個々の場面で軍部が暴走した場合もあるようだが、満州事変にしても支那事変にしてもすべて政治が追認し、政治的な判断で戦争に突入していった。軍部の暴走論というのは、天皇制の政治体制が引き起こした戦争の責任をあいまいにするカモフラージュだったのではなかろうか。
憲法第9条をもつということは、場合によっては国民の生命財産が、破壊される危険性をもつことを認めるべきだという論調も考えさせられた。それでも、9条を守り抜いて国家として歩んでいくことの覚悟をといているのが、胸に残った。9条をもつ国は、この考え方を積極的に世界に発信し、考え方を広げることによって、国を存続させると言うことだろう。
アジアの中で、巨大な犠牲を与えた国日本。この国だったからこそ実現した憲法第9条。第2次世界大戦の中で、もっとも陰惨な戦争をおこなった日本は、それゆえに憲法第9条という世界に例を見ない珍品をもつに至った。アジアに対する深い反省が9条に込められ、人類の理想が9条に込められている。憲法9条は、第2次世界大戦という人類未曾有の大戦争の教訓が生み出した叡智だろう。
武器を持つことが、平和をもたらすものでないことは明らかだ。最大の軍事力を持っている国、アメリカは、戦後もっとも数多くの戦争をおこなってきた国だ。9条をもってきた日本は、戦後、戦争をおこなわなかった経済大国だ。
この値打ちを勇気を持って守り抜く。ここに価値がある。この本を読んでこんなことを考えた。
この考え方は、世界から見ると非常識だろう。普通の国になろうという小沢さんの呼びかけに共鳴している人にとっても違和感を感じるだろう。しかし、軍備をもとうという人と9条を守ろうという人々と、どちらに覚悟がいるだろうか。9条を守る方にこそ覚悟がいる。この2人の言い分を聞いて、平和を守るのには、命がけの覚悟がいることに思い至らされた。
「平和は眠りを許さない」
この言葉が浮かんできた。

憲法九条を世界遺産に 憲法九条を世界遺産に
太田 光、中沢 新一 他 (2006/08/12)
集英社
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Posted by 東芝 弘明