kさんの引っ越し
WordPressのアクセス状況
今日の朝になるとアメーバも画面を表示できなくなった。これで、「雑感1」も「雑感2」もなくなった。
あとは、次第にリンクが切れて、検索ページからも姿を消すようになると思われる。
今日のアクセスは20人程度。元に戻るまでにはもう少し時間がかかるだろう。
しかし、このWordPressというブログを作成できるソフトは、送信しているサーバー内にデータベースを作るものなので、検索エンジンにヒットする時間が早い。まだ移行してから3日しか経っていないのに、すでにGoogleの2ページ目にリンクが登ってきている。かなり以前に自分で議員団のサイトを構築したときは、検索エンジンでヒットするようになるまでに1か月程度かかった。これからすると驚異的な速さだ。
自分流のブログを作るためには、プラグインのインストールが必要だが、海外のプラグインが多いので、なかなか意味が分からないので、使いこなせない。トホホという感じもある。
講師資格試験は出来悪し
午前中、事務所で綱領の中級の講師資格試験を受験した。論文形式の試験は書いていて楽しいところがある。毎日、ブログを書いている成果が現れる。そういう手応えもある。
しかし、今回は、「ヨーロッパや国際条約の事例もあげながら述べよ」という設問に対し、持ち込み可能な文献さえもたずに望んだので、国際条約のことについては、全く触れることができなかった。文章の組み立てはそんなに悪くないと思うが、中身が濃くない答案になった。
受験失敗だといっていい。
まったく試験用の学習ができていなかったので、自業自得だと思われる。
kさんの引っ越し
今日は、引っ越しを予定しているkさんのお宅を妻と2人で訪問した。kさんは、高校3年の時の副担任の先生だった。人生の中でこんなにも長くkさんとお付き合いするとは思っていなかった。
高校3年生の秋以降、ぼくは日本共産党に近づいていた。3学期になると非常に空想的に社会主義の良さを語るようになっていた。もちろん、その頃は、本当の意味で社会主義がなんなのかを知らなかったし、議論の仕方も極めて幼稚なものだった。
自分の頭だけで社会主義の良さを考え、納得しない周りの友人たちと時間があれば、議論をするというような状態だった。
それでも卒業式のときは、マルクスやエンゲルスという人物のことについて、ある程度理解するようになっていた。
卒業式の日は、どんよりと曇った寒い冬の空だった。
クラスに戻った生徒に対し、担任の先生が語った後、副担任のk先生があいさつをおこなった。
「マルクスは」
あいさつの中でk先生はマルクスの話をした。
ぼくは内心驚いた。
ぼくの中で、社会主義が科学になったのは、自分の家の裏手にあった共産党の勤務員の方のアパートの一室だった。
「あなたの疑問に答える哲学教室」
軽い気持ちで手に取った本によって、社会主義は科学となった。その衝撃は高校を卒業して直ぐのことだった。
クラスの男子を相手に、誰の賛同も得られない中で、社会主義の魅力を語っていた。友人と論争をしていた問題の全ての答が、「哲学教室」という本の中に全部はいっていた。たった1人のアパートの一室で、本の中から得た衝撃は、それ以降の人生を決定づけるようなインパクトをもっていた。
大学に入り和歌山大学経済学部の直ぐ裏手のアパートに住んで、いつも大学の塀を乗り越えるようにして大学に通っていた時期がある。
大学では、マルクス経済学を学ぶという自覚があった。マルクスの資本論を土台にした経済原論は、ぼくを夢中にさせた。砂に水がしみ込むような感じで大学の講義を聴いていた。
和歌山市で住んだのは4年間だった。22歳の6月にかつらぎ町に戻ってきて、23歳の1月に共産党の勤務員になり、30歳でかつらぎ町議会議員になった。
k先生と再会したのは、それよりも少し前だった。
現役の頃のk先生は、恐ろしい存在でもあった。
笠田の街には、先生に教えていただいたことのある生徒がたくさんいる。生徒にとって恐い存在だったk先生は、しかし、多くの生徒に慕われていた。
議員になってからは、文字どおり支えてくださり、随分お世話になった。美術に対する造詣が深く、音楽を愛する人だった。
笠田の地域よりも都会に住むというので、妻は家の中に飾ることのできる観葉植物を選んだ。引っ越しには観葉植物というのが定番だとネットにも書いていた。
車の窓から見える空は、綺麗で空気の澄んでいた1日だった。暖かい気持ちのいい1日だった。











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