戦争によって失われたもの
第二次世界大戦の終結が、日本帝国主義の敗北をもって終わったことは、良かったと思っている。あの戦前の体制のまま、アジアを侵略したまま、今があれば、日本は北朝鮮のような社会体制であり、数多くの不幸が国民生活を翻弄していたと思う。ただ、あの戦前のような社会体制が、2024年の現在まで続く保証はなく、1945年の崩壊が朝鮮戦争以降にずれ込むだけだったのかも知れない。
今日書きたいのは、日本の主要な都市が空襲によって、広島と長崎が原爆によって廃墟となった状態は、歴史の中で培われた良き文化に巨大な断絶を生んだ負の部分だ。パリオリンピックを映像で見ると、パリの町並みが昔の文化をずっと受け継いでいるのを感じる。それは、アメリカ大陸にヨーロッパ人が入り込んで、ネイティブアメリカンを片隅に追いやりながら、社会を建設した国との違いでもある。広大な土地に作られたニューヨークと似通った都市を日本は戦後作ってしまった。古いものを打ち壊し、新しいものが、さもいいかのようなまちづくりは、日本人から多くのものを失わせたと思う。
東京はその象徴のような街だ。繰り返し新しく生まれ変わり、古いものを根こそぎ破壊して町をつくってしまうような再開発が今も行われている。東京オリンピックを通じて街を壊してしまうというまちづくりとパリオリンピックの違いを感じる。
古い町並みを残すというのは、もともとある人が持っていた財産を、公的な機関や個人が引き継いで、それを守るという営みが必要になる。こういう文化の継承に公的な資金をつぎ込む国と日本の違いは歴然としている。町並みを保存するために、日本は「運動」が必要になり、自治体が特別に予算を組んだりしないと維持されない。残すのか立て直すのかが、いつも大きな問題となる。その結果、古いものが壊されることが多い。
大正時代から昭和20年(日本の敗戦)までは、公的な施設であっても、当時日本が受け入れて作り替えた西洋文化というものを日本的に変化させて建物を作った例が多い。和歌山県庁は1938年(昭和13年)に建てられたものだが、建物の姿は、文化的な感じが色濃く残されている(写真は和歌山県庁の正面を撮影したもの)。なのに戦後作られた建物であるかつらぎ町の中学校内にある寄宿舎などは、49年前の建物だが、壁をボードを貼り合わせたものであり、文化的な要素を何も感じないようなものになっている。機能的な側面しかない。今建設されている学校にも、文化的な要素はあまりない。公共施設でも戦前と戦後とは全く考え方が違う。
どうしてこういうことになってしまったのか。物を大切にする文化は、戦争による破壊で深く傷つけられてしまったし、日本国の深いところで、歴史を受け継ぐ、文化に公費をつぎ込むという思想が壊れてしまっていることを感じる。
大日本帝国の崩壊によって、得たものと失われたものがある。得たものの中には、人類の普遍に関わる価値あるものも多い。それは日本国憲法に結晶化しているとも言える。今、戦後の原点として確認された価値あるものが、戦前回帰の中で破壊されようとしている。これが実現したら、戦後良かったものが、根本的に失われていく。日本国憲法を守ろうとする人々の中には、古い文化に価値を見いだし、それを守ろうとする人が多いのは、価値あるものを受け継ぎたいという精神が、文化とも結びついているように思う。神宮外苑の木々やその存在を守れという運動と、資本による再開発が綱引きになってしまう日本。資本による再開発賛成と大日本帝国時代の亡霊の復活が結びついているところに日本の深い不幸がある。
古き良き文化に公費をつぎ込み、歴史の中で培われてきた良さを守れる日本に。パリオリンピックでパリの町並みが、いろいろな形で映し出されたので、そんなことを感じた。
残念ながら、スポーツ音痴なので、オリンピックは余り堪能していませんが、二、三年前に非常に小さな映画館で、メグレと若い女の死という映画を観ました。シムノンのメグレものはパリを克明に描いており、フランスが世界に誇るミステリーです。で、現代の街並みを其の儘ロケしても、メグレの時代に全く違和感ないことに驚きました。旧い文化が完全に保存されているようです。その文化の裡で独特の哀切な人間ドラマが展開される辺りは感動的でした。日本で同様のことを求めるとすれば、横溝ミステリーの岡山ロケでしょうか。日本では旧い文化の保存は、岡山県のような地方にしかないのかもしれません。