掃除と人間
久しぶりに自宅の掃除をした。テーマを決めて掃除する。今回は、埃をとることに少し情熱を注いだ。一生懸命物事に取り組むと、新たに見えてくるものがある。掃除という人間にしかできない作業は、極めて人間的な営みだと思っている。もちろん、掃除ロボットという便利なものができている。しかし、このロボットはほとんど一つのことしかできない、階段を吹き下ろし、テーブルを拭いて、炬燵を上げ、カーペットを敷き直して、物をセットし直すというようなことは、人間型ロボットを作らないとできないだろう。
家事は、極めて人間的な行為だと思っている。仕事を終え、人生の終末になっても家事は人間から離れない。いわば背中にくっ付いている仕事だ。ここから逃れようと思えば、お金を払って人を雇うしかない。そんなことができる人はホントに限られているので、ぼくは背中に張り付いている家事と向き合う。一生懸命に掃除をして綺麗になれば嬉しい。
家の中に埃が溜まる大きな原因は、服などの繊維だと思う。人間の服から徐々に出てくる細かい繊維が埃となって降り積もる。掃除機が吸い取っている一番のゴミは埃だろう。埃のない生活をするためには、裸になるしかないし、物を全て排除する必要がある。もう一つは髪。これがそこら中に落ちているので髪を落とさないようにするためには、スキンヘッドになるのがいい。でも、そんなにして埃や髪を床に落とさないようにすると、人生は極めて窮屈になる。
まあ、そんなことを考えないで、毎週決まった日に掃除をするのがいい。掃除は人間を人間たらしめる。ぼくはそう思っている。