かつらぎ町文化祭

雑感

朝、8時30分からかつらぎ文化祭の開会式が行われたので来賓として参加した。文化協会の松山敏彦さんの挨拶が、いつもユニークなので楽しみにして参加した。この方は肩の力が抜けているように見える。ひょうひょうとしているのに、いつも「人とは違うことを言いたい」という芸術家タイプの人だ。話を聞いているとホントに豊かで面白い。
挨拶は「70歳になりました」というところから始まった。やはりユニークで面白い挨拶だった。そのあとの来賓のみなさんが、文化の意味を語りながら、形式を踏まえた話だったので、松山さんの話は一際目立つものになった。こういう話ができる人がいい。ぼくもそうなりたいなと思いながら、話を聞いていた。

「洋画は人様と違う表現でなければ評価されない」
洋画を描く人は、このテーマに向き合わなければならない宿命にある。この話を、『炎の人ゴッホ』という演劇の感想として教えてもらってから、洋画を見る視点が変わった。もちろん、洋画を学んでいる人全てにこの命題をぶつけるつもりはない。

かつらぎ町の文化祭は、多彩で豊かな内容をもっていると思っている。自分の人生の中にもそれなりの蓄積がある。自分の感じ方や感性は、人生の中で培われてきた一つの結晶のようなもの。感じ方は人それぞれでいい。しかし、自ずから感じ方の中には人生がにじみ出る。自分の意識の外にある作品と向き合うと、自分の人生の中で培われたものが作品に反応する。この作品の何処が良かったのかを探究していくことが、自分の感じ方を耕す行為につながる。いいなと思う作品に出会ったら、自分への旅をはじめるのがいい。そのことによって、見えなかったものが見えてくる。

若いときに、ジャンセンというリトグラフの作家の作品、『マジシャン』を見たことがあった。一目見て、髪の後ろの暗い部分に心が引かれた。
「あなたがいいなと思ったということは、あなたの人生の何かが、作品に惹かれたということだと思います」
ぼくの横に立った男の人が、そういう意味のことを言った。そのあとで、
「自分の手元に好きな作品を置いて見続けていると、自分の日々の心の持ち方によって、作品が違った印象を与えます」
男の人はそう言った。気に入った作品を自分の手元に置いて、それと一緒に人生を歩む良さというものを感じた。
人はそうして、好きなものを周りに置いておきたいのだと思う。このときに初めてそういう気持ちが分かった。

このような世界と作品は繋がっている。文化祭の作品を静かに見て回ると、そういう時間を楽しめると思っている。なんだか、美術館という強烈な世界に足を踏み入れたくなった。


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雑感

Posted by 東芝 弘明