新堀行雄議員の告別式
新堀行雄議員の告別式に参列した。多くの人が通夜にも告別式にもお参りされていた。来ている人々の気持ちが伝わってくるような告別式だった。
新堀さんは議員として18年間活動されてきた。山本町長の後半と井本町長の8年間、中阪町長の5年目というのが18年間という期間だった。実直で堅実な人だった。新堀さんの話を聞くと慎重さをいつも感じた。ぼくは、保守系議員の中で、新堀さんが語ることには、意見としてぼくとは違っても、できるだけ深く言っている意味を考えるように心がけてきた。慎重に考えた中で出される意見に、一目置いてきた。
筋を通す人だった。議員定数削減のときに、削減に反対し、報酬の引き上げに反対された。住民アンケートの結果が出たんだから、議員はそれに従うべきだというのが新堀さんの取られた態度だった。ぼくと意見が一致した。住民アンケートを取ったにもかかわらず、その結論を無視するような態度を取ることは考えられなかったのだと思われる。
四郷の串柿の里の最初の指定管理の議案のときも、ぼくと一緒に反対の態度を貫かれた。指定管理を受けた業者の選定の仕方、指定管理の事業計画の内容を含め、議員としては納得いかない内容だったと、今も思っている。このとき反対した議員は5人だったと記憶しているが、この判断が正しかったことは今では明らかだと思われる。最初の指定管理者は、結局、最終年度、事業を行っているにもかかわらず、契約を交わさない態度を取って、契約金を払わなかった。
町と争いが起こり、最近、和解の方向が出された。町が損失を被ったのは明白となった。最初、議案として出された、事業計画を見た最初の段階で、反対すべきという責任が議員にはあったと思っている。
中阪町長が弔辞を読まれたが、町長選挙のときに議長を務めていた新堀議員は、最初町長選挙への協力を断ったのだという。何度も町長が頼む中で、引き受けたときには、この選挙に勝てなかったら議員を辞任しようとしていたと言うことを、告別式の式場で知らされた。新堀さんらしい態度だなと感じた。
議長が現職町長を推さなかったことが、選挙後、議会で問題にされた。ぼくはその席にもいたが、保守系議員の方々は、まったくおかしな論理を展開するものだと思った。いまの町政にも、いくつか問題はあると思っているが、町民にとって今の町長が誕生したのは良かったと思う。町長選挙にはなったが、町民の選択は間違っていなかったし、新堀さんの判断は、新堀さんらしい深いものだった。
議員同士のお酒の席で、日本共産党は名前が悪いという話になったことがあった。
「共産党の『共』は共同の共、産は『産業』の産」だと説明した。新堀さんは、それ以上のことは語らなかった。
文章力は確かだった。議会だよりの編集に関わってくださったときには、大きな力を発揮していた。
お見舞いに行こうと思っていた矢先の訃報だった。連絡を最初はにわかに信じられなかった。新堀さんの気持ちを汲んで議員活動をしたいと思っている。
ご冥福をお祈りします。