出初め式と二十歳のつどい
出初め式
出初め式に参加した。今年から来賓が消防団員と向かい合う形になった。消防団員の1年の出発になるとともに、20年勤続や10年勤続の団員を始め、表彰される団員への表彰状の授与が行われる。ぼくももうすぐ65歳になる。同級生の名前が退団する人の中に2人いた。長く消防に携わってきた人が、退団する歳になっていることを感慨深く感じた。ご苦労様と言いたい。
消防団は、男性のみで組織されている。山林火災、住宅火災、水防などさまざまな活動現場に駆けつけて体を張って仕事をされていることに敬意をはらいたい。幸い、地震による救援活動と避難所に消防団員が深く関わる経験はまだない。しかし、近い将来、こういう事態が発生する可能性がある。そのときに消防団員の果たす役割の中に人命救助が大きな意味をもって加わる。
女性の消防団員を確保する努力を行っておかないと、人命救助や避難所への物資の配布などを行うとき、どうしても男性の感覚だけでは補えない問題が生じてくる。
危機管理をになっている自治体の職場に、女性が少ないがゆえに、女性視点の取り組みが遅れていることが指摘され始めている。災害対策にもジェンダー平等の視点が欠かせなくなっている。これは消防団員についても言えることだと思う。
トイレやお風呂、生理用品、衣服の取り扱い、避難場所でのプライバシーの確保という人間の生活にとって、どうしても必要なことに対して、消防団員の果たすべきことは山積している。住民の半数以上が女性であり、瓦礫の中からの救出の際も、男女の違いがあるので、女性の力が必要になる。消防団=男性の文化で成り立ってきたが、視野を広げる時期に来ているのだと感じる。
成人式
午後2時からは成人式。権利と義務の話を聞かされるかなと思っていたが、今回は内容がほとんどない挨拶が多かったので、例年と同じような言い回しは少なかった。中阪町長の挨拶は、谷川俊太郎さんの20歳を祝う詩を紹介したことと、アンジェラ・ダックワース氏の言葉を引きながら話したことは印象的だった。
もし天才の定義を、’努力せずに優れた成果を上げること’とするなら、私は天才ではありません。しかし、もし天才の定義を、’己の全存在をかけてその道を極めるために努力をし続けること’とするなら、私は天才です。そしてその覚悟があるなら、あなたもまた、天才なのです。
アンジェラ・ダックワース
町長が引用した言葉ではないが、アンジェラ・ダックワース氏の言葉をネットから引用してみた。やり抜く力はグリット(GRIT)という言葉で表される。この話を聞きながら多くの作家が、作家になりたいという人に繰り返し欠いているのは、書き切ることだった。最後まで書き切って作品を仕上げないと作家にはなれないというものだ。やり抜く力というものは、これと同じだろう。アンジェラ氏は、情熱と粘り強さをやり抜く力にとって必要なものとして分析した。
情熱は「興味・関心の一貫性 (consistency of interests)」
粘り強さは「努力の粘り強さ (perseverance of effort)」
なのだという。
町長が、このことを紹介して、20歳の人々にはなむけの言葉を贈った意味は大きいと思われる。やり抜く力は「長期にわたる継続的な努力を要する取り組みにおける成功」と深く関わっている。
ぼくは、新成人を見ながら、「読み書きそろばん」のことを考えていた。昔ながらの「読み書きそろばん」の力を徹底的に極めていくことが、どんな仕事についても最大の力になることを感じている。文章を書く力について、ぼくは、45歳の時期からほぼ20年間一貫して努力をしてきた。何歳から始めても文章力はどんどん伸びる。年齢なんて全く関係がない。しかも文章力については、ここまでできたら達成ということはない。
「国境のトンネルを越えると雪国だった。夜の底が白くなった」という川端康成の『雪国』の冒頭のような文章は未だに書けない。とくに「夜の底が白くなった」という文章は、簡単に書けるものではない。
この書き出しのような文章が書けたのは川端康成の才能ではないと思っている。作家としてやり抜く力を継続してきた中で、生まれた文章だろう。作家のほとんどは才能で書いてはいない。見事な構成をもったストーリーテーラーの人々は、ひらめきで書いているのではなく、文章を書く中で次第に構想を組み立てていく。書かなければ構想は組み立たない。書くことと見事な構想は一体のものだ。文章は必然的な関係性を生み出す。文章を書く中で構想は木になり森になり、一つの世界になる。それは何年もかかるものだ。
原稿用紙10枚を書ける力を身につければ、話し方も変わるという言葉を信じて、楽しみながらこのBlogを書いてきた。小説なんて書けないと思ってきたが、ある本を読んで、自分でも書けるかもと思って書き始めると書けることが分かってきた。それは20年間の努力の一つの結晶だった。しかも、小説を書き始めると、文章力が上がることを実感できた。文章を自在に書くところから、潤いをもった文章を書くというところへの変化をいま感じている。
かつらぎ町の議会だよりは、創刊時から25年ほどが経つ。集団の力によって、編集力は格段に上達してきた。よりよい議会だよりを作りたいという気持ちが、議員全体を動かし始め、ここ数年間の努力によって編集力は飛躍的に向上した。全国の数多くの議会だよりの中で、10本の指の中に入る水準を生み出したのは、やり抜く力のたまものだった。「よりよい議会だよりを作りたい」というこの一点が変化を生み出した。25年間をかけて変化してきた編集力には敬服する。
20歳の人々が、自分のもっている力を信じて、やる抜く力を育てていくような生き方をしてほしいと思う。社会は、社会一般のために立ち働くことを通じて、自分自身を高める人を求めている。一人一人の人間の価値は同じように存在しており、しかも一人一人が違うように、価値は多種多様に存在している。自分のもっている力は伸ばせる。その力が伸びれば社会の役にも立つ。そう信じて、未来に向かって努力してほしい。本当の天才は、努力しうる才能の中にある。
20歳の節目の歳、おめでとうございます。
総合文化会館で開催された出初め式のあと、喫茶店によって4中総決議を読んだ。今回の決議はかなり深い意味を多面的にもっていると感じた。読んだ後、自宅に戻って昼食をとり、午後1時半にもう一度総合文化会館に行った。午後は二十歳のつどいだった。会場でM議員から「西村京太郎」さんの小説を手渡された。ぼくの文章と西村京太郎さんの文章は似ているのだという。オーシャンアローという和歌山に走っている列車の中で事件が起こるという話のようだ。読んでみたい。
それが終わった後、話をしたいという方の案内で喫茶店に行った。この方との話は楽しい。自宅に戻ったのが5時過ぎ。そこからビラを作成し、夕ご飯を食べた後は、共産党の文書の作成に力を費やした。終わったのが午後11時24分。肩が凝った。
「東芝君、遠くから見てたら猫背になっているで」
と言われた。うーん、ショック。パソコンのしすぎだろうか。背中がこりすぎている。









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