般若心経から学ぶこと

雑感

地域の祇園祭が開かれた。夜中に雨が降ったので掃除がなくなって、10時30分から祭礼が行われた。祇園さんと呼ばれる祭礼は、神様を拝み仏様を拝むという形で行われる。般若心経をどちらも唱えるが、最初唱和する神様のときには、仏説という頭の言葉を抜いて読み上げる。仏様のときには抜いた仏説を入れる。

般若心経は、ネットで検索すると「いい葬儀」というサイトが紹介され、そこに次のような説明があった。

「西遊記に出てくる三蔵法師として有名な玄奘(げんじょう、げんぞう)がインドから中国に持ち帰った「大般若経」が原書とされています。三蔵法師はサンスクリット語で書かれていた大般若心経を漢語に訳し、600巻ほどにしたためました。そして、その600巻のエッセンスをわずか300字弱で表現しているのが般若心経です。般若心経には仏教の真髄となる教えが凝縮しています。」

何も知らないので般若心経=真言宗だと思っていたが、実は日本では、天台宗・真言宗・臨済宗・曹洞宗・浄土宗がこれを用いてるらしい。というのが分かった。

ぼくたちは、「これが正しい」と思いがちだが、それも変化の中にある。「正しい」と思い込んでいても、社会の変化の中で「それは間違っていた」ということになる。変化を軸に考えると、ものの見方考え方というものをたえず相対化できる。自分は「正しい」と思っているが、それはいつも「正しいのではないか」という問いを内包しているものであり、やがて「その正しさ」も変化して行く。

人類が積み重ねてきた人権思想も、全ての人間が対等平等という社会の発展の中で、ようやく機能する。それはジェンダー平等も同じ。
私たちは、人権が保障され、ジェンダー平等を実現できる社会をめざして、社会を構築する努力をしており、日本国憲法のいう「個人の尊厳の尊重」という精神を軸にして、全ての人間には基本的人権があり、対等平等の権利を与えられているという社会を構築することをめざしている。

しかし、これらは簡単に破壊できるものでもある。破壊する力をもつ最大のものは戦争だろう。戦争によって、人類が積み重ねてきた国連憲章や日本国憲法の基本原則は、いとも簡単に葬り去られる。日本政府が、アメリカに従属する形で、日本国憲法の基本原則を破壊しようとしているのは、戦争を準備しているからに他ならない。

人間は皆平等、基本的人権はすべての人に与えられているというこの思想を、自民党の憲法草案は否定している。
どうして、この人権思想を否定するのか。
それは、現時点でもはっきりしている。戦争を準備しているからに他ならない。
国民の権利を踏みにじらないかぎり、戦争はできない。
憲法草案を自民党がつくったときに、片山さつきさんが、「われわれは天賦人権説をやめました」と語った。自民党の憲法草案は、戦争を始められるように、人権思想を相対化して、国家が国民に命令できる憲法をつくりたいという意志に貫かれている。それは、第二次世界大戦の中で侵略戦争を繰り返してきた日本への先祖返りであり、戦後の日本の民主主義の否定に他ならない。

般若心経の言うように、全ては変化の中にある。戦争の世紀は、人類が積み重ねてきた基本的人権を根本から破壊する。第三次世界大戦が起こるとすれば、それは人類が第二次世界大戦以後、営々と積み重ねてきた人権思想の破壊として現れる。
般若心経の和訳を読んで、そんなことを考えた。


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雑感

Posted by 東芝 弘明