般若心経、追記

雑感

お昼はラグマンラーメンに行き、午後事務所の会議に参加した。夕方、少し集金に行った。まだ少し肌寒い。

般若心経のことについて機能は書いた。少し思いが残っている。残っている思いを少し書いてみよう。
全ての事物は変化の中にある。実体があると思っているものも、やがて消滅する。般若心経は、この全ての事物は生成し、発展し、消滅するという過程の中の「消滅する」というところに力点を置いて、事物を捉えているような感じがする。実体があると思っている人間の肉体も、それに備わっている精神も、はかなくも消滅していく。この視点でものごとを捉えると、全ての事物は実体があると思っても、それはそうでない。いつかは全て無になるという捉え方なんだと思う。

唯物論は、物質が先に存在して精神は物質の発展の中で生まれたという捉え方。般若心経が、生成、発展、消滅のプロセスの中の消滅に力点を置いているのと、唯物論がいう物質が先にあるという捉え方は、プロセスのどこに視点を置くかだけの違いだと思う。般若心経は、人間の精神というものにも実体がないといい、物事への執着には意味がないとして、全てを変化の中で捉え、執着心を全面的に否定し、そこに精神的発展の無限性を説いている。般若心経が生成してきた歴史の古さを考えると、この考え方にたどり着いたのはすごいことだと思う。
この考え方は、人間には魂があって、この魂の永遠性を説き、精神の貴さを説くという宗教の一つの考え方を、徹底的に排除しているように見える。般若心経が唯物論と親和性があるというのは、ここにある。

弘法大師は、般若心経の教えを大切にしたお坊さんだったと思うが、この考え方の中に先祖供養を取り入れ、位牌をつくり魂についての供養を受け入れたというのが面白い。どうやって宇宙の摂理である、全ての事物は変化の中にあるという考え方と先祖供養を共存させたのか。ここを知ってみたくなった。神仏習合というように、ぼくたちは簡単に神と仏の共存性を語るが、根本的には全く違う教義を共存させているということだ。相反するものを受け入れて溶け込ませるという柔軟性が、弘法大師の特性なのかどうか。誰かに聞いてみたくなった。

雑感

Posted by 東芝 弘明