執着心と人間の度量
9時30分に現地集合で、町道に面する西斜面の柿畑を確認に行った。ぼくを知っている人は、こういう形で現場に立ち会い、役場との間でやり取りをして、事業に繋がっていく。議員は多かれ少なかれこういう仕事をして、状況を改善してもらっている。
何かあれば、議員を活用してもらえればいい。そう思う。
この点では、「議員をお使い下さい」というアピール度がまだまだ小さい。
どうすれば、相談事も含めてアピールできるのか。このことを考える必要がある。
岩出市の共産党の議員は、赤旗の宣伝紙を毎月30部ほど配布して、訪問を続けている。そこにお困りのことがあればお話し下さいというチラシを配布している。ぼくよりも多い相談事に応じている。これが大きな力になっている。
かつらぎ民報を発行しなくなって久しい。ここを改めないと変化は起こらないだろうと思う。忙しく動いていればいいという形を脱して、自分に負荷をかけないといけない。でも徹底してやり始めると、自分のキャパを大きく超えるだろうと思われる。
午後は和歌山市で会議があった。自宅までの帰り道、カーナビをセットして帰った。和歌山インターから阪和道を通り京奈和に乗り継いで帰るのと、24号バイパスを走り、岩出市のヤマダデンキのところで左折し、粉河加太線に乗って、京奈和に乗るのを比べると、15分の違いが生まれる。和歌山インターから京奈和へという道の方が15分時間を短縮できる。
カーナビの到着時間の計測というのは、驚くほど正確だと思う。車を急いで走らせても1分か2分の違いしか生まれない。
自宅で洗濯物を取り入れると雨がぱらついてきた。セーフだなと思いつつ、事務所に行くともう誰もいなかった。7時過ぎまで議会基本条例の逐条解説を作ってみた。こういう作業は面白い。この逐条解説ができれば、議員にとっても役に立つと思われる。議会基本条例の全部改正に、どのような思いが込められているのか。ここが明らかになる意味は少なくない。
般若心経の意味を理解したので、人間の執着心とは何なのかを、改めて把握できるようになった。ぼくにも様々な執着心がある。例えば、Windowsを駆逐してMacになればいいというような思いもその一つ。
このぼくの思いは、Windowsを使い、Macを使ってきた中で培われたものだ。Windowsの利点と弱点とMacの利点と弱点を比較したぼくの結論の一つが、Windowsの駆逐なのだが、しかし、それは、Windowsの現状とMacの現状に対する認識であって、このこだわりには、いくつもの前提条件がある。強いこだわりに見えるものも、前提条件が変化して行くと、捉え方は変化する。いわばそれだけのことだ。自分のこだわりについても、視点を変えて、相対化できる違う目をもつことが重要なんだと思う。
Windowsの駆逐を口にしているぼくだが、世の中にはMacが全く対応できていないソフトがあり、このソフトがなければ仕事が全くできないという分野はたくさんある。この現状を考えると、Windowsの駆逐なんてことは「できない」ということは明らかだ。そういうこともきちんと理解して物事を捉えることが必要になる。
まわりの人を見ていると、こだわりの強い人がいて、日常の生活の中に「こうでなければならない」というるルーチンがかなり多い人がいる。こういう人は、自由ではあり得ない。たくさんのこだわりがあると、次から次へと「こうしなければならない」というこだわりに支配されてくる。そうならないように、「まあいいか」という姿勢を自分の生き方に組み込む必要がある。
自分と考え方の違う人は多い。そういう人の意見をじっくり聞くことを通じて得るものは多い。「まあいいか」という度量は、自分とは違う人を受け入れる幅の広さと深さによって培われる。政治的な見解が全く違う人の話をじっくり聞くようになり、その言い分を再検討できるようになれば、人間の幅は広がるように思う。
感情的に反発しないところまで行くと、人間性は豊かになる。ぼくはそうなりたい。



